第9話〈失意の策略者〉
教会を見た途端、青い羽の天使が空から降りたつ光景が脳裏に浮かぶ。
夕都は古の世界を束の間眺めた。
広がるのは、北欧の古都。
大天使は天秤と剣を手にして闇を払う。
地上では人々があらゆる苦難に襲われている。
老いたものは地を這うように進み、病のものは寝床で祈り、苦労ばかりの日々を送るものは、青い顔をしながらも笑みを浮かべた。
皆、短命であり、自然な流れで命を終えていく。
大天使は教会の十字架にて羽を休め、人々をながめやると、恍惚とささやいた。
「ああ……やはり、人の生とはこうでなくては……」
青い羽が視界を覆い尽くす。
「夕都、どうした」
「あ……」
朝火に呼びかけられた夕都は、我に返り、現実に意識を引き戻される。
教皇訪問の熱気に包まれていた教会は、人々の叫びで満ちていた。
近隣の病院が停電しているやら、記者達がローマ中の病院もだと驚嘆している。
夕都は朝火と顔を見合わせて、マルコスに目をやった。
奴は貴一を監視しつつ、すっかり異様な事態に飲まれている様子である。
うっとりとした顔は、見る者に胸の悪さを覚えさせた。
マルコスは教会の前に集まる人々に向かって両腕を広げて叫ぶ。
「皆よく聴け! わが主のお言葉を聴くのだ!!」
声はよく通り、脳内にまで響くように錯覚するが、人々の喧騒にかき消えてしまう。夕都とマルコスの間には、数十人の老若男女が集まり隔てられている。
マルコスは、教会の前の階段上に立って拳を握りしめて力説した。
「マッテオ様は、大天使ミカエル様の代弁者として、人類救済のために立ち上がられた!!」
妙な主張を始める聖職者に、怪訝な顔つきをするもの、怯えるもの、目を輝かせるもの、反応はさまざまである。
朝火が夕都の前に進み出て、マルコスを眺めてため息をついた。
「崇拝者はやっかいだ」
「崇拝者」
マッテオの、という意味だろうか。
よく通る声が天から降り注ぐ。
『私はミカエルの代弁者。人類の救済のために私は立ち上がった。今、人類は、本来の命のあり方に戻る』
教会の屋根の上、そこには金髪の青年と少女がいつのまにか佇み、見下ろしていた。
金髪長髪の白のドレスの少女は、まさに天使のように美しい。
その少女を見た瞬間、夕都の胸がざわめく。少女は虚ろな瞳を泳がせて、唇を開いた。在る詩が、脳内に響いてくる。
“魂は主を求め、
あなたの霊は救う神をたたえます……”
やわらかな小鳥の囀りのような声音に、脳天から爪先までぬかるみにつかるような感覚に陥った。
――夕都、朝火、わたしよ。月夜。
息を飲み、脳内の声に集中する。
朝火に目をやると、どうやら聞こえているらしい。
声はさらに言葉を紡ぐ。
――いま、マッテオに心身を制御されて自由にうごけないの。
――でも、月夜の意識だけは切り離せる。
夕都は朝火と視線を交わすと頷いて、話に耳を傾けた。
月夜は、いま、ルーナという聖女の肉体に宿り、ある計画に利用されているという。
夕都は流れ込む清らかな感覚に意識を向けた。レイラインの力だと気づいた時、ある光景が光の間に見えた。
――茉乃、アントーニオ! アールシュ!?
何やら遺跡の前に三人連なり、茉乃が石柱に身を委ねている。
“エイブベリー”
「エイブベリー!?」
聞こえた声を言葉にしたら、朝火が目を丸くして近づいてきた。
その手を掴み、勢いよく走り出す。後ろに貴一が続く。
周囲の人間は、マッテオと聖女にすっかり心を持っていかれて、三人に意識を向けるものは居ない。
タクシーを見つけて乗り込み、朝火が「フィウミチーノ空港」へと運転手に告げると、運転手は目を見開いて頷いて急発進した。様子がおかしい運転手に、夕都は、スマホアプリを駆使して後部座席から問いかける。
「具合が悪そうですが、大丈夫ですか?」
訳した言葉が通じたようだ。
運転手は禿頭を片手で撫でながら、娘が入院している病院が停電して、治療に支障がでていないか心配でならないと気持ちを吐露した。
ネットの情報を漁ると、ローマ中の病院が停電していたり、医師が行方不明になっているという不穏な文言が飛び交う。
ふと、メッセージの着信を告げる音がして、神無殻のSNSに久しぶりに動きがあり、見れば、千桜からである。
夕都は朝火と一緒にメッセージを読んで、息を飲んだ。
“神無殻が、一部のカトリック教徒やヒンドゥー教徒と協力して、世界中の病院や医師を助けるべく行動をしている”
千桜は二条の忍達や、欣怡と力を合わせて、中国で活動しているようだ。
なぜか、浩然も共にいるらしい。
奴は、神無殻を裏切り、アントーニオの下僕になったと認識していたのだが……。
タクシーは順調にフィウミチーノ空港に到着した。
貴一が「茉乃さんは無事かな」と、弱気な言葉を吐いたので、夕都はその背中をさすりつつ、頷く。
運転手に多めの金を手渡して、タクシーからずばやく降車する。
晴れた空の下、広大な無機質な空港がなんだか虚しく見えた。
数時間待たされたが、どうにかロンドン・ヒースロー空港に向かうため、飛行機へ乗り込んだ。
イングランド南西部ウィルトシャーのエイヴベリー村近郊。
エイブベリー。
ストーンサークルを含む、新石器時代のヘンジであり、遺跡の中心部にある2つ小さなストーンサークルで構成されている。
強力な磁場を発しており、“セント・マイケル・ライン”上に走る聖ミカエルの力が、茉乃の若い肉体に染み込んでいく。
――これで、貴一さんが輪廻転生の苦しみから解放されるなら。
茉乃は遺跡の間に身を委ね、二人の男を見つめる。
一人は、自分をこの地に導いたくすんだ金髪の男アントーニオ、一人は浅黒い肌のヒンドゥー教徒、太陽神の化身アールシュ。
彼らは、茉乃がレイラインに飲まれる様を静かに観察していたが、突然アントーニオが目を見開いて乱暴な言葉を吐き出した。
「しまった! あの野郎! 利用された!」
「アントーニオ?」
アールシュが驚いたような声で呼ぶ。
アントーニオは、茉乃に手を伸ばして叫んだ。
「巫女よ! こちらへ!」
レイラインに飲み込まれかけていた茉乃は、無理やり手を引っ張られて、アントーニオの腕の中におさまるが、意識が朦朧として、幻覚を見る。
――貴一さん。
石の間から愛する人の姿が近づいてくるのを見つめた。
その姿は鮮明になり、目の前までやってくるではないか。
「茉乃さんを離せ!」
憤怒した貴一が、アントーニオめがけて拳を繰り出す。
アントーニオは茉乃を貴一に向かってほうりなげるので、茉乃は瞳を閉じて衝撃に耐えようとする。優しく抱きとめられたと感じて、ゆっくりと目を開く。
潤んだ瞳で見つめる、端正な顔つきの少年に、胸が高鳴った。
鋭い金属音が鳴り響く。
二人の新たな人影が、アントーニオを襲う。刀身をふりかざした、夕都と朝火である。アントーニオは腰に下げていた剣をさや抜いて応戦したが、若干おされ気味で、地に足裏をこすりつけると、尻餅をついて剣を放り投げた。
「どうでもいい……結局、俺はあいつに勝てない……」
「な……?」
「夕都!」
夕都と朝火は、背中を突き合わせて、切っ先をアントーニオに向けたまま同時に動きをとめる。
空には暗雲が立ち込め、雷が発生していたが、ゆっくりと消えゆく。
草原の遺跡群は、強風に煽られ、淡い光が包み込んでいた。




