第6話〈魂の呼び声〉
シスターと思しき少女は、ゆったりとした動作で夕都に歩み寄り、丁寧にお辞儀をする。声をかけようとしても、身体が動かない。
金縛りにあっていると認識した途端、少女はすばやく目の前に進み出てきて、顔を突きつけてくる。
まさに天使というような愛らしい風貌であるが、背筋がわなないて脂汗が背中を伝い落ちていく。
魂を掴まれるような感覚に、夕都は朝火が無事か心配した。
視界の端にうつりこむ朝火は、顔を強張らせて少女を睨みつけている。
夕都は、少女が胸元の十字架を額に当てるのを黙って受けるしかない。
額のひやりとした十字架の感触に瞳を閉じると、脳内にある光景が広がっていく。
十字架に貼り付けにされた救世主が、目を見開いて老人に入り込む――光が溢れて蒼穹が割れた。
「……っ」
身体がかしいでベッドから転がり落ちる。痛みに顔が歪み、目を開いた時には、少女の姿はもうなかった。
肩を抱かれて起こされる。
ベッドに座らされた夕都は、朝火に今しがた見た光景を説明してみたが、眉ねを寄せて頭を振られた。
夕都は腕を組み、少女の姿を改めて思い出してみる。
――あの顔、どこかで。
「茉乃に似ている」
「あっ! そうだ!」
朝火の指摘に夕都は合点がいく。
あのシスターと思しき少女は、茉乃にそっくりだったのだ。
ある推測は確信へと変わる。
「そういうわけか」
ならば、なぜ、このようなややこしい形で、存在を示すのだろう。
あの老人は何なのか。
夕都は朝火と相談して、アルギニア村へと戻ることにした。
村は静まり返り、出迎える者もおらず、警戒心の無さに拍子抜けする。
件の屋敷を訪ねるが、鉄門は閉ざされていた。上の部屋の窓からは明かりが漏れている。
夕都は鉄門に手をかけてのぼろうとした――その時、どこからか足音が耳にとどいた。無数の声音とともにすぐそばで止まる。振り向けば、男が群れをなしていた。皆一様に、黒い聖職者の格好をしており、夕都は緊張感に苛まれる。
鉄柵から手を離すと、中心に立つ茶髪の若い聖職者に話かけた。
「貴方達は?」
「我々は、罪を犯した仲間を捕らえに来たまで」
「アントーニオか?」
彼らの柔和な顔つきからは想像できないほどの鋭い視線に射抜かれて、朝火に身を寄せる。
お互いに腰に下げた刀を見やり、目線を交わすと頷いた。
一旦は、場を譲る。
鉄門を開くよう、リーダーらしい茶髪の聖職者が呼びかけた。やがて玄関から使用人の女性が姿を見せると歩み寄り、鉄門を開く。
まるで、彼らの来訪を知り得ていた様子だ。
騒々しい足音を立てて屋敷になだれ込む。
夕都も朝火と連なり、再び中へ足を踏み入れたが、ランプで照らされた様は印象が違う。
奥の壁際に、車椅子の老人がいた。
脳裏には、かの聖人が老人に入り込む光景が蘇り、息を呑む。
――まさか。
聖職者達は老人を取り囲み、突然罵詈雑言をまくしたてる。
「この反徒め!」
「あの方を語るとは身の程知らずめが!」
「必ず罰を受けるであろう」
「よくもあの方を侮辱したな!」
老人は細い瞳を見開いて唇を震わせた。声はしない。喋れないのかもしれない。 夕都は黒い服の波の合間を縫うように押し進み、老人の前でかがんだ。
物言わずとも、その目には慈愛と憂いが満ちるのがわかる。
立ち上がり、聖職者達に苦言を呈する。
「失礼な言い方をやめろ、この方はお前たちが考えているような存在ではない」
日本語で話すために伝わるかどうか不明ではあるが、年若いリーダーは顔を歪めて意思を示した。
「その者は、我々の主人を侮辱した罪もある」
夕都は首を傾げて問うた。
「聖人ではなくて、主人を?」
童顔を歪ませてさらに彼は叫ぶ。
「マッテオ様が、レイラインを利用したと妄言を!」
「マッテオ?」
ふと感じたのは、老人に入り込む聖人が、訝しむような感情。
老人は夕都を見つめてためいきをつく。
「アントーニオはどこだ! 共に捕らえよ!」
「はい! マルコス様!」
マルコスの命令に、聖職者達は老人を中心として夕都と朝火を捕まえた。
結局アントーニオは逃げてしまい、アールシュの行方も不明なまま、一夜があける。
部屋に三人揃って閉じ込められたため、夕都はじっくりと朝火と話し合うことはできた。ひとまず、貴一と茉乃の元へ一同が向かうよう仕向けると策をねる。
ふと老人が懐から何か紙片を取り出すのを見て、朝火が受け取り、夕都へと手渡す。見ると、地図である。
「?」
かすかに地図が光るのを見て、老人を信じることにした。
奴らをどう誘導するか……視線をおよがせていると、ドアの前に気配を感じて気を張る。
「そろそろ出発する。さっさと準備しろ」
ドア越しから声をかけてきたのは、件の若い聖職者マルコスだ。
夕都は声を張り上げた。
「どこにつれていくつもりだ?」
「無論、主人のもとへ」
「マッテオか? なら、気になることがある」
ドアが開いてマルコスが身を滑らせる。
背後には二人の護衛役がついていた。
夕都は彼を座らせて、自分は先を見越す力があると説明してから、地図を見せてみる。
こういう話には敏感らしい。
すぐにくいついて、耳を傾けた。
この地図は、メリッサーニの地底湖をさし示しており、確かにマッテオの姿が見えたと力説してやる。
マルコスはマッテオ崇拝者らしく、役にたてるならと、地底湖へ向かうことを決断した。
メリッサーニの地底湖。
茉乃は、貴一にこんな場所に連れて来られるとは思いもよらず戸惑っていた。
貴一の機転で山中を途中で休みつつ下山し、こうして無事であるのだが、まさか有名な観光地にくるだなんて。
観光客であふれたツアーに混じり、舟に乗り込む。船頭は茉乃をぼんやりと見ると、無言で二人を乗せたのだ。
――何か、感じる。
後方に貴一と乗った茉乃は、貴一の手を握りしめて、洞窟の青の水面を眺めやる。神聖な世界の中を、喧騒も意に介さず、茉乃は息を呑む。
湖の底を見つめると、自分の姿が見えた。
「どうして?」
「茉乃さん?」
水面にうつるだけでなく、底から茉乃そっくりな裸体の少女が浮かび上がってくる。
少女の身体は金色にかがやいて、やがて湖からとびだした。
辺り一面の水面は荒波となり、他の観光客を乗せた舟は転覆せんばかり。
貴一は茉乃をだきかかえてくれるが、少女の姿に気圧された様子だ。
金色の少女は微笑むと、茉乃をまたたくまに湖へと引きずり降ろしてしまう。
「茉乃さん!!」
――貴一さん!!
手を伸ばすが、激しい水にのみこまれ、たちまち世界は青一色となり、脳内には、少女の言葉が溢れ、ある光景が流れた。
シスター達が七人、整列している。
暗い教会の中で、皆、瞳を閉じて微動だにしない。
マノ、と呼ばれて目を開くと、騎士の少年が跪いていた。
「マノ……」
――ああ、彼は貴一さんなのね。
――私達は、ミカエルの力を制御するために、身を捧げた。
教会はいずれ地下に埋められて、いつか目を覚ます“聖女”にすべてを託す。
彼はマノの手を握りしめて、ささやく。
「共に在ろう」
「……」
駄目。言葉は成さず、彼は目の前で剣を胸元につきたてた。
マノの足元にすがりついて、愛をささやきながら果てた。
――もう、何度繰り返したの。
この記憶は、珍しくもない。
「貴方を救いたいの」
つぶやきは洞窟内に響き渡り、気づけば小舟の上に、貴一と横たわっていた。
茉乃は、気絶している周囲の観光客達と船頭をみやり、自力でこぐと接岸し、貴一を地に寝転がらせる。
額に唇を寄せてから立ち上がり、ある目的をもち歩き出す。
「連れて行ってやろう」
突然の声に身がすくむが、すぐに顔をあげて男を睨む。
アントーニオが、浅黒い肌の長身の男をともない、茉乃を見据えていた。
両手をかかげて大仰に叫んだ。
「お前の望みを俺なら叶えてやれる!」
茉乃は唇を噛みしめる。足元には、いつのまにか黒い小さな蛇がいて、まとまりついていた。




