第3話〈聖母の意思〉
アイノス山、アルギニア村。
教会に監禁された茉乃は、貴一の身を案じて、小部屋から脱出する機会を伺っていたが、見張り役の村の男性達がドアの前から離れない。
ふいにきしむ音が聞こえて、身体が震える。奥の隠し部屋のドアがひらいて、車椅子の老人が姿を見せた。
茉乃の前にぎこちない動きでやってくると、細い瞳で見る。
老人は身奇麗な紳士で、話せないようだが、まなざしで優しさが伝わるのだ。
この村に連れて来られてから、貴一とは離れ離れ、世話役の村の女性達は、茉乃をちゃんと見ようともしない。
彼だけが、茉乃とまともに向きあってくれた。
ここが、ケファロニア島にあるアルギニア村で、教会だという事実はわかるが、アントーニオと名乗る男の目的が不明で、途方に暮れている。
ふと、視界に何かが映り込んだ。
椅子に腰掛けている茉乃の足元に、一匹の黒い小さな蛇がいたのだ。
悲鳴をあげて両足をあげるが、蛇はうごかず、まるで茉乃を観察するかのようである。
老人はうなずくと、蛇に向かって手を差し伸べた。蛇が指にからみつくので、茉乃は心配したが、老人に変わった様子はない。
ふいに耳が足音をとらえた。
ドアがノックされる。
「巫女よ、入るぞ」
アントーニオの声だ。
茉乃は身構えて老人の傍に寄る。
開いたドアの先から身を滑らせたのは、黒装束の長身の男。身なりは目深に帽子をかぶった神父ではあるが、鋭い眼光に背筋が震えた。胸元には銀色の十字架を下げている。
アントーニオは閉めたドアの前で佇み、茉乃を見て言った。
「あの時の言葉を覚えているかい」
――あの時の言葉。
忘れるはずがない。衝撃的で、魂に刻まれたような気すらする。
頷くと、アントーニオは笑いながら両手をかかげた。
「聖母マリア、そしてこの蛇がいれば、お前はレイラインの変質をとげられる」
帽子で見え隠れする瞳をみつめながら、茉乃は疑問をなげる。
「そ、それがどうして貴一さんと関係があるの?」
「忘れたのかぁ? あいつは、一度龍脈にとらわれたはず! それに、魂は、輪廻の中をさまよう運命!」
「あ……」
“輪廻の渦”
兄がいつか言った言葉が、脳内に響く。
アントーニオは、口の端をつりあげて、茉乃にささやいた。
「愛しい彼を永遠の輪廻転生から助けたければ、命を投げ出せ」
「……貴一さんは、いつも私と一緒だった。私もずっと貴一さんと苦しむわ」
「ふん。ならば、奴がどんな苦しみを負っていたのかを見せてやろう」
頭の上に手のひらを置かれて、意識が沈む。途端に、視界が開けた。
あたり一面は焼け野原。
傷ついた鎧姿の者達は地に伏して誰もうごかない。
一般人もいる。老若男女も同じく息をしていない。
佇む女人は茉乃だ。茉乃はいま、自分の転生前の姿を見つめていた。
貴一と茉乃は、同じ名で、同じ顔で、数多の生を共に生きた。
それなのに、幸せな生涯を終えた記憶はない。かならず、若くして離れ離れで命を終える。
茉乃を喪った貴一は、その度に慟哭し、絶望して、自ら命をたつ。
そして、龍脈の力により、ふたたび、転生する。
愛した人の悲惨な最期を見届ける生を繰り返す――まさに無限地獄。
茉乃は口元をおさえて後ずさった。
アントーニオは、茉乃の後ろから肩を抱いて、わざとらしい口調で告げる。
「君が彼の苦しみの元凶だ。どうするべきかわかったかい」
「……っ」
茉乃は瞳を伏せて頷いた。
とめどなく流れる涙を拭うのも忘れた。
老人が目を向けて口を開くが、言葉をなさず、うなだれる。
アントーニオは、背を向けると高らかにいい放つ。
「すべてが変わる時が来た! 光あれ!」
誰に向かって言っているのだろうか。
茉乃は得体の知れない男に捕らえられている、大切な人が心配でたまらなかった。
聖母マリアのホリーヘビは、毎年アルギニア村に現れる。かつて、海賊を恐れた修道女は、聖母に祈り、修道女は小さな蛇に変えられて救われた。毎年、聖母マリアの祭りの際には、頭に黒い十字架を持つ聖なる蛇が教会に戻る。
貴一は、村人から聞かされた伝説について考えた。数あるマリアの逸話の中で、はたして特別な物語なのかは判断しかねる。
神父の服に着替えさせられ、鏡に映る自分の姿を見つめて眉根を寄せる。
アントーニオの目的は、茉乃を利用して何かを企んでいるという事しか予想できない。
窓際の小さなマリア像に目がいく。
開かれた窓から、涼やかな風が吹き込み、マリア像に吸い寄せられた。
その顔を見て心臓が脈打つ。
マリアの瞳から血の涙が流れ出ていたのだ。触れてみるが、指には何もくっつかない。
代わりに、身体がひやりとして、何か背後から感じた。強張る身体を反転させると、そこにはいつのまにか女性がいた。
「わっ!? あ、あなたは!?」
女性は――聖母マリアにそっくりなのだ。
貴一は思わずマリア像を掴んで彼女と見比べるが、微笑を向けられて卓上に戻す。
よく見れば、女性はあわい光を放ち、足元は透けている。
貴一の瞳を見据えて顔を覗きこみ、耳元にある言葉をささやく。
――そんな。
声をあげる暇もなく、聖母は姿を消してしまった。
貴一はマリア像に深いお辞儀をすると、寝台傍の椅子に腰掛けて、両手を組み、祈りをささげる。
しばらくの後に、騒がしい声が外から響いてきた。
まごうごとなき、夕都と朝火の交わす声だ。
腰を上げた貴一は、窓に近寄るが、グッと拳を握りしめてたえた。




