「敦周、速記を命じられ、忠通に聯句をもって応ずること」速記談6042
近衛天皇の御代、摂政藤原忠通公が、直廬において除目を行われたとき、蔵人掃部助敦周が、速記録をとることになった。忠通公が、敦周の速記の腕前を尋ねたところ、奉行の蔵人藤原朝隆卿が、まだ経験は足りませんが、うまくこなしてみせるでしょう、と、申し上げたので、忠通公は、早速敦周をお呼びになり、申文の速記をせよ、とお命じになった。敦周は、すぐに、子細がわかりませんと難しゅうございます、とお答え申し上げた。忠通公は、申文に子細で返すとは見事だ、としきりに感心なさった。この敦周の父は、茂明朝臣である。
教訓:申文、の字に、申が入っているので、敦周が子細で返したのを、子と申が入っていて見事だ、と褒めたのである。