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知る準備

 俺が()()()()()()()()で倒れてから、今日で1週間になる。


 正直に白状する。

 仕事は、これまで通り続けていたが、身が入っているとは言いがたい状態だった。ミューキーと遊ぶという別枠の仕事だってそうだ。

遊び足りないような、不満げな顔をしたミューキーを見れば、上手くこなせていないことは一目瞭然だろう。


 では、この1週間、何をしていたのか。

 シンプルに言うと、業務終了後、2日に1回は診察室の一角を借りて、美桜に話を聞いてもらっていた。


 診察室を借りたのは、いつ倒れても大丈夫な状態の方が話しやすいだろうと吉川先生が提案してくれたからだった。

結果的に、ただの1度も倒れずに済んだのだが、これは美桜の気遣いによるところが大きいだろう。

もし、1人で考え続けていたら、毎日のように倒れたに違いない。


 美桜と何の話をしていたのか。


 そう。()()()()についてだ。


 最初は、いざ話をしようとすると、どうしても身構えてしまって言いたいことが上手く伝えられなかった。

 たまたま様子を見に来た吉川先生が見かねて「サポート役を買って出てくれてるのに『中西さん』だなんて、よそよそしい。もっと親近感が伝わる呼び方の方が本質に迫る話が出来るんだよ」と指摘され、二人とも下の名前で呼ぶことになった。

すると、とっかかりからギクシャクしていた会話が、スムーズに深くなったのは無意識に作っていた壁が原因だったんだと納得した。


 喫緊の課題は、過去の俺を自力で見つけていくか、全てを所長に聞いてしまうか決めることだ。

 過去に触れず忘れてしまう案には、俺も美桜も賛同出来なかった。

何かの拍子で中途半端に思い出してしまう可能性がある以上、単なる先送りにしかならないからだ。


 そして、美桜は吉川先生の『過去の自分を自力で見つける案』に賛同している。


 しかし俺は迷っていた。

同じ知るなら、苦労の末に知るか、今知ってから苦労するかに違いがあるとは思えない。

だからといって、調べもせずに答えを聞くのも、何となく負けた気がする。


 いや、違うな。

勝ち負けではなく、素直に納得出来るかどうかという話だ。


 数々の疑問と不安があるのだが、それでも、将来の俺にとってベストな選択をしたい。そんな決意を持って迎えたのが今日、方針を伝える日だ。



 美桜、吉川先生、そして橘所長に集まって頂いた。

背もたれのないスツールを4つ並べただけの診察室は、ガランとして殺風景な気はするが、今は、それで十分だと思えた。


「俺のために集まって頂いて、ありがとうございます。吉川先生と中西さんの意見を聞いた上で、じっくり考え、俺なりの結論が出ました」

一堂の視線が集まる。


「率直に言います。まだらに欠けてしまった過去の記憶を取り戻したい。過去がどうあれ、今の俺は、今の記憶から形作られている。それが根幹から変質すると俺が俺ではなくなるかもしれない。だから時間をかけて馴染ませ、今を大切にするのという吉川先生の提案が最善なのかもしれない。だけど、モヤモヤした気持ちのまま、ずっと今の生活を続けられる自信もない……」

美桜の視線が刺さる。

怒ってるのか?


「だから、早く真実が知りたい。今、代償を払ってでも」


 美桜は目を逸らし、うつむいてしまった。

裏切られたと感じたんだろうか。


 しばしの間の後、吉川先生が、ふぅと息を吐いて、諦めたような表情で応えた。


「聞いてしまったら、もう戻れないかもしれないわ。それでも聞きたいと言うのね。医師としては止めたいところだけど、坂崎くんの意思を尊重する方針だし、こうなる可能性も考えた上での3択ですから仕方がありません。所長、事実は1つずつ開示するようにお願いします。一気に伝えると危険ですので」


「坂崎君の決意は分かった。吉川、医師の立場から、必要なタイミングで止めてくれよ。心理学や精神医学には疎いからね」


「もちろんですよ」


「中西君も良いね?」

うつむいたまま、何も言わずにうなずいた。


「坂崎君、まず質問する。答えによっては真実を伝えられないが良いな?」


「覚悟は出来てます」


「覚悟の問題ではないんだよ。受け入れる準備が出来ているかどうかだ」


「準備ですか? 出来てると思ってますが」


「そうか。準備が出来ているかどうかは、この質問で分かるんだ。坂崎くん、君の記憶は、()()()()が本物か気付いているか?」

吉川先生がハッとした表情で所長に振り向いた。


「本物って……。あの、何を言ってるんですか? 失われた記憶を呼び起こす話ですよね?」


「そうだ。だが、坂崎君の捉え方には問題がある。意味合い、重さ、範囲、規模。全てを軽く見積もっているし、あえて見ないように目を逸らし続けている」


「軽く? 目を逸らす? それじゃ俺の過去も記憶も全部偽物だって言ってるようなものじゃないですか」


「そう言ってるんだよ。ここまでの話の流れを思い出してみなさい。まず最初に疑うのはそこだろう」


予想外のカウンター、それも強烈なヤツが脳天を貫いた。

クラッと天井が揺れた。


「俺の記憶が偽物だって? 失われた記憶を呼び起こす……? どこから……? 準備……?」


「準備とは、正しい現状把握のことだ。そのためには、正確な情報が必要になる。情報は出所まで遡って初めて真実かどうかが分かるものだ。今の坂崎君は、思い込みと希望的観測で動いている。どこまでが君自身の『本物の記憶』か知ってからじゃないと辻褄の合わない部分に気付けないし、納得も出来ないだろう」


「記憶が偽物なら、今までの治療はいったいなんだったんですか!」

つい、大きな声が出てしまった。


「申し訳ありません。つい」


「構わんさ。蘇った過去の記憶を定着させる処置を行っている。進捗はまだまだ悪いし、坂崎君を混乱させる原因にもなっているが、治療は本物だ」


「本物……? 記憶が戻ると、人格が変わるかもしれないんですよね? 全く変わらない可能性もあるんですよね?」


「記憶と人格の関係は深い。Rinで故人APのプロジェクトに関わっているんだから分かるだろう?」


 俺の記憶を定着させなければ、人格は今のままということになる。

だったら治療をやめて、今に集中するのも有りかもしれない。


 いや、だめだ。これは最初に否定した1番目の案と同じだ。


「何もしないと……」


「何もしないと、今の記憶しか持たない薄っぺらい人間になってしまう。それに、知りたいという欲求に逆らい続けるのは難しい。好奇心は身を滅ぼすというが、好奇心を抑え込んでいると心を滅ぼすことになるだろう。この選択は身体か心のいずれかを滅ぼす可能性がある。君の場合は特に……」


「所長、もう、その辺りで」

止めたのは吉川先生だった。


「あぁ、そうだな。ここからは、少し本質的な話をしよう」


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