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美雪とミューキー  作者: よしなし つづる
タチバナ研究所
15/26

プロジェクト『Rin』

 研究所に通い始めて2週間が過ぎた。


 勤務時間は午前10時から16時まで。

ラッシュ後の空席が目立つ循交で悠々と出勤し、混み始める前に退社する。

昼休憩も1時間あり、作業が無い時間は全て自由で早出も残業も無く、休日出勤も無ければ深夜の呼び出しも無い。

しかし、プロジェクトが機密扱いだという以前に、仕事の性質上、必ず出勤しなくてはならないのは面倒ではあるが、この好待遇ならこれっぽっちの不満もあろうはずもない。


 俺が配属されたプロジェクトは『Rin』という、どことなく凜々しいような儚いような、そんな印象を受ける名称を与えられている。

Rinとは、簡単に言ってしまえば、デジタル個性であるArtificial Personality、略してAPに第3者の記憶をベースにした特定人格を付与するという、高度に機密扱いされている研究プロジェクトだ。

どの辺りが機密なのか、2週間経った今でもあまりよく分かっていないのだが、研究所と機密保持契約も締結しており、Rinの内容を部外者に話すことは出来ない。

だが、特に話す相手もおらず、何も心配する必要は無いと思うと、妙にやるせなく感じるのが機密保持契約の嫌なところだ。


 それはともかく、初日の顔合わせで紹介されたのは、プロジェクト主任の佐藤聡と、チームリーダーの前島静、メンバーの中西美桜の3人だった。

佐藤は日頃の不摂生が下っ腹を成長させてしまった感のある50代で、自分が興味のあること、研究のこと以外はとんと無頓着だ。

ぼさぼさの髪に無精ヒゲ、ヨレヨレのワイシャツ、コーヒーの染みが付いた白衣がトレードマークという、ある意味、昔からの定番を地で行く見た目は女性陣には大変不評である。

佐藤と同年代の前島からしょっちゅう面と向かって身だしなみを注意されているし、中西に至ってはあからさまに1歩多めに距離を開けているくらいだ。


 前島は佐藤とは反対に、細かくて何事にも折り目正しく、研究職然とした人という印象っだったのだが、話をしてみると世話好きで面倒見がよい人だから、佐藤の面倒をみるようになったんだと理解した。


 メンバーの中西は俺より若く、20代半ば過ぎで元カウンセラーだという。

元来の明るい性格と少しぽっちゃりした体型のせいか、とても人当たりが良く、被験者の警戒心を上手く解くことが出来て、このチームに割り当てられたタスクに適任なのだろう。



 このチームで俺に与えられたタスクは、被験者の話を聞いてスケッチを描き、AP用の性格設定作業を補助するというものだった。

今時、話を聞いて画像を生成することくらいAIにやらせれば一瞬で出来ることなのに、なぜ100年前のように、時間がかかる手描きスケッチを必要とするのか?

初日の作業説明を受けて、真っ先にした質問がこれだ。


 前島の説明では、AIはディテールを付加して足りない部分を補ってくれるから、一見、正しく完全な情報が得られているように見える。

たぶん"情報としては"正しいのだろう。

だけど、記憶にはあやふやな部分があるもので、不鮮明になっていることにも理由があり、強く印象に残っている部分と、ぼんやりした部分のコントラストがあるからこそ、記憶の主題がはっきりと浮かび上がってくる。


 当初、AIが付加した細かなディテールは記憶を補足してくれるプラス要素、もしくは、あってもなくても結果に影響しない単なるノイズだと認識していた。

ところが、そんなノイズが付加されるとイメージや印象が薄められ、時にはノイズに引っ張られて意図とは違う方向に歪んでしまい、求めるデータの精度が維持出来なくなることが、後に判明した。

被験者の当初の印象、意図から逸れてしまったイメージを元に作成されたAPプロンプトは、当然のごとく想定とは異なる人格を獲得し全く使い物にならなかったのだ。


 次なる手段として手描きスケッチを取り入れようとしたのだが、絵心が無い人間が描いたスケッチは逐一解説が必要で、これは別な意味で使い物にならなかった。


 どんなスケッチを描いたのか好奇心から見せてもらったのだが、印象派がキュービズムを取り入れたような独創的なスケッチは、ある意味前衛的なアート作品と呼べなくはない代物で、解説無しには理解が困難だというのも頷けた。

後から知ったのは、この絵心が無い人間というのは中西のことで、スケッチの話題になった途端目を逸らしたのは、そういう理由だったようだ。

もちろん、前島から『絶対に参考にしちゃだめ』と強く指示されている。

そして「真似したくても、さすがにこれは無理です」と答えた瞬間、空気が凍り付いた気がした。



 こんな流れから、停滞気味の現状を打破すべくチームに招かれたのが俺である。

1週間に1人ずつ、中西と俺がヒアリングを行ってスケッチを作成し、被験者も交えてディスカッションする。

今回の被験者は奥さんを亡くしたご主人で、対象者とは亡くなった奥さんのことだ。

具体的には、被験者と中西の雑談を元に俺がスケッチして、被験者に見せては修正してを繰り返しているだけなのだが、それでも想定以上の効果が出ているそうだ。

中西の臨機応変で細やかな誘導もあってのことだからスケッチが全てではないが、AIには拾いきれない細かな心情の変化を捉えるには、カウンセラーや画家の技術スキルがどうしても必要になるということだ。


 ディスカッションの最後に、前島が比較対象としてAIで生成した画像と、俺のスケッチを被験者に見せると、スケッチの方がイメージに合っていると言ってもらえているし、目の前で描いているところを眺めるだけで新たな記憶が呼び覚まされることもある。

案外、そういった待ち時間や、目の前で進められるアナログ作業を見ることが刺激となって、大きな品質の違いに繋がるものなのだろう。



 ボーッとしている佐藤主任を見つけた時に、スケッチだけで性格に味付けしたAPで問題無いのか質問してみたことがある。

ベースになる人工人格は16タイプあり、その中から対象者に近いタイプを1つ選択するのだが、普通なら本人に心理分析を受けてもらわないと正確にはならないはずだ。

しかし、もう亡くなった人のAPを作る場合、残された人、この場合は被験者のイメージで作成することが、被験者が満足する最適解になる。

ご本人と似ても似つかない性格を持ったAPが出来上がっても、それで満足するならそれが一番じゃないか。


そんな答えだったが、言われてみればそうなのかもしれない。


 Rinの最終目的は、亡くなった家族のAPを作成し、ホームノイドに搭載することだという。

そう。RinとはReincarnation、つまりは転生の略だ。

 高齢者にとってAP搭載ホームノイドは、死別のショックを最小限に抑えられる最善策になるだろうことくらい俺にだって容易に想像出来る。

そして、大金を積んででも求めるものになるだろうことも。


ただ、家事を全くしなかったお爺さんを搭載したホームノイドが、急に家事が苦手になってしまわないか気になるところではある。



 これは想像だが、橘所長は、俺が妻を亡くしたことや、画家になる前はIT関連の仕事をしていたという経歴を知っていたから、このプロジェクトに参画させるために時間を取って面談がてら話をしたに違いない。

もしも真実だったら、ほんとうに食えない人だ。


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