研究所再訪
「タチバナ波動物理研究所 所長の橘だ。急に呼び立ててしまってすまなかったな。君が坂崎君か? 先日は失礼した。トラブルでどうしても手が離せなくてな。あの絵はなかなか良かったぞ。利根川より先に見られなかったのが悔しくなったくらいだ」
一気に捲し立てると、さも嬉しそうに笑った。
ひょろっとした体格にくしゃくしゃの髪、無精ヒゲは生やして無いのだが、研究一筋という風体からは想像出来ないほどの豪快さだ。
これが成功者の貫禄というやつなのだろう。
所長の名は橘玲樹 ––『れいじゅ』と読むそうだ。
今年45歳になるリーダーにしてベテラン研究者。
そして、海外の大学を2校も飛び級で博士号を取得したという天才波動物理学者。
当時の研究テーマが『波動物理学におけるタイムミラー理論による時間超越に関する考察と検証』と書いてあった。
平たく言うとちんぷんかんぷんだ。
「光栄です。所長さんから直接お褒め頂けるとは思ってもいませんでした」
——昨夜のことだ。
利根川からメッセージが送られて来た。
近々お会いできないかという内容だったことから、前のめりにならないように注意を払いつつ要件を確認したところ、所長がお礼をしたいというので、研究所まで来て頂きたいという。
日がな特に用事もなくだらだら過ごしてる俺だったが、少し見栄を張ってこう答えたのだ。
「スケジュール調整してみますが——。そうですね。明日10時からであれば、何とかなりそうです」
そして今、こうしてタチバナ研究所の応接室にいる。
「とにかく、かけてくれ」
所長はそう言うと、どっかとソファーに腰を下ろしたので、俺も倣う。
すると、すぐにお茶が用意された。
「茶でも飲みながら少し話をしようじゃないか。早速だが、君はGATE技術のことはどれくらい知ってるかね?」
「そうですね。隠し立てしてもしょうがないのではっきり言ってしまいますが、名前は知っているが中身はさっぱり……です」
事実だし誤魔化せるだけ基礎すらないので、自重気味に笑いながら正直に答える意外に選択肢は無かった。
「まぁ、そうだろうな。もちろん責めてるわけでは無いぞ。世の中の99.99%の人間は理屈を知らないし、知ってるふりすら難しい話。それがGATE技術だからな」
「実は昨日、お会いする前に多少は知識を入れておこうと解説資料に目を通したんです。しかし、序文から聞いたことの無い単語や理論のオンパレードで挿絵とグラフだけ眺めて諦めました。俺の––いや、私の頭では、とっかかりすら掴めませんでした」
「そう堅くなる必要は無い。無理な敬語は不要だぞ。 それはともかく、ごく簡単な理屈だけ説明しようか」
「俺の頭で分かるレベルでお願いします」
「他人の知識と理解力を推し量りながらの技術説明か。面白そうだな。やってみようじゃないか。といってもノーヒントってのは不公平ってもんだろう。いくつか質問させてもらうぞ」
橘所長は笑いながら話し始めた。
「次の単語で知ってるものはあるか? ダークエネルギー、宇宙マイクロ波背景放射、平行宇宙、真空のゼロ点エネルギー、カシミール効果、量子もつれ、フォトンの2重性、量子物理学、波動物理学。どうだ?」
「あ、えっと・・・、ダークエネルギーと量子物理学くらいは。内容はともかく、聞いたことはあります。でも他はさっぱりです」
「そうか。まず、ダークエネルギーってものは存在しないってのは知ってるかな?」
「宇宙が膨張してる原因だって言われていたものですよね? 存在しないってどういう? それ以前に、GATE技術と宇宙が関係あるんですか?」
「ハッハッハッ。すまんな。あまりにもベタな反応だったもんで。説明はそこからだな」
橘所長が少し前のめりになり、腿に肘を突いて顔の前で組んだ手で口元を隠す、これから、とびっきりの悪巧みを仲間に伝える時のポーズを取った。
「では、昔話から始めようか」
ニヤリと笑っているであろう口元は見なくても分かる。
この人は今、とても楽しんでいるんだ。
「過去の宇宙物理学では、宇宙の膨張には多大な反発する力 —— 斥力が必要だと分かっていたが、どうにもその正体が掴めない。だから『理論上、こんなエネルギーがあるはずだ』という辻褄合わせで定義されたのがダークエネルギーなのだよ。ダークとは『暗い』ではなく、『見えない』『検知出来ない』が正しいかな。そして宇宙が保持するエネルギーの70%を占めている」
「えっ。 これ昔話ですか? 今の一般常識だと思うんですが」
「まぁ聞きたまえ。面白くなるのはここからだ。その70%がどこに隠れていると思う?」
「えっと。ブラックホールとかですか?」
「はずれだが、正解とも言える」
「はずれで正解?」
「いいかね、坂崎君。君たちは学校で『物質が集まるから空間に歪みが生じる』と習っているから、それが真実だと信じて疑わない。だが物質とは『空間の歪みに溜まっていくもの』なのだ」
それって、どう違うんだ?
いきなり理解が及ばない。
ポカンとした表情に気付いたようで、橘所長が少し顔を寄せてからゆっくりと話を続けた。
「この違いは重要なのだよ。物質が無いと空間に影響が出ないとしたらエネルギーの所在は物質にある。では、空間の歪みに物質が溜まるとしたら?」
「空間自体にエネルギーがある……ということですか」
「坂崎君、なかなか察しが良いねぇ。もっと言えば、空間に歪みがあれば必ず物質があるわけではなく、物質の無い歪みや重力レンズ効果を観測出来ないほど規模が小さい歪みもある。そんな場合は誰の目に触れることもない。だから見えないし検出することも出来ないわけだ。そう。これこそが宇宙全体の総エネルギー量の70% ––ダークエネルギーの正体だ」
!?
「なかなかいい表情だね。20世紀から数多の天文学者、科学者たちが観測、実証しようとやっきになっていた仮説が、目の前で否定される瞬間に見せる感情としてはいささか物足りないのだが」
笑いながらさらに続けた。
「先ほどの疑問にも答えておこう。ブラックホールとは星の寿命が尽きた時、超新星爆発や重力崩壊して出来るものという考えも間違いだ。単純に巨大な歪みのことをそう言うのだ。歪みの中身は元は恒星であっても岩の塊であっても水でもガスでもいい。物質が溜まっていく過程で、物質が持つエネルギー量が空間の歪みに蓄えられる量を超えて溢れることを超新星爆発という。君たちも習った天体現象なのだよ」




