ep15.それぞれの結末
ルナは、ニルスの亡骸を抱きしめたまま、声を上げて泣いていた。
彼女の右手には、愛する人を殺したナイフが握られている。
そして抱きしめていた左手からは、ニルスの命の温かさが、まだ温かく、確かに失われていくのが感じられた。
(ごめんなさい…ニルス…)
その時、背後から冷たい殺気が迫った。
ルナは悲しみに打ちひしがれていたが、長年の暗殺者としての本能が、彼女に警告を発していた。
「これで終わりだ…暗殺者…」
暁の牙の首領が、嘲笑を浮かべながら剣を振り下ろそうとしていた。ニルスが致命傷を負った倉庫の片隅、ルナは無防備な状態だった。
しかし、その剣はルナに届くことはなかった。
ルナは、ニルスが命をかけて守ろうとした、彼の最後の願いを思い出した。
「ルナ…君の…ためだ…」
ルナの目に、再び光が宿った。
それは、ニルスを殺した悲しみと、彼を奪った首領への激しい怒り、そして、彼が望んだ未来を守るための、強い意志の光だった。
「お前だけは…絶対に許さない…!」
ルナは、ニルスを抱きしめていた手を離し、立ち上がった。彼女の動きは、悲しみに満ちていながらも、驚くほど素早かった。
首領は、ルナの変貌に驚きを隠せない。
「何…!?」
ルナは、ニルスの亡骸から、彼を貫いたナイフを引き抜いた。
その刃は、血で濡れ、鈍く光っていた。
ルナは、そのナイフを握りしめ、首領に真っ向から立ち向かった。
首領の剣が再びルナに襲いかかろうとした瞬間、ルナは彼の懐に飛び込み、ナイフで首領の心臓を貫いた。
「…あ…」
首領は苦しみに顔を歪ませたが、何も言うことはできなかった。
その場で崩れ落ち、命はあっけなく消え去った。
ルナは、血に濡れたナイフを床に落とすと、再びニルスの元へと駆け寄った。
彼の体は、もう冷たくなっていた。
「ニルス…」
ルナは、ニルスの胸に顔を埋め、涙を流した。
しかし、彼女の心は、もう絶望だけではなかった。
そこにはニルスが命をかけて守ってくれたという、かけがえのない愛と、彼が望んだ未来を生きるという、確かな決意が宿っていた。
夜が明け始め、倉庫の窓から差し込む光が、冷たくなったニルスの体を照らしていた。
彼女は、彼を殺したナイフを懐にしまった。
愛する者を殺してしまった戒めとして。
そして、彼のペンダントを首から外し自らの手で握りしめた。
(ニルス…あなたとの思い出は、私がずっと持っているから…)
ルナは倉庫を後にすると、どこへ行くという当てもなく街をさまよった。
ギルドに戻ることはない。
彼女は、暗殺者としての自分を完全に捨て去ることを決めていた。
――――――――――――――――
その後のギルド本部。
ビブリオは自室で、一通の報告書を読んでいた。
それは「暁の牙」の壊滅と、首領の死亡を伝えるものだった。
首領の死後、求心力を持った新しいリーダーが現れる事はなく、組織は解体されメンバーは散り散りになったそうだ。
ルナが成し遂げたこの偉業は、ギルドにとって大きな利益をもたらしたが、ビブリオの心は満たされていなかった。
その部屋に、シーアが静かに入ってきた。彼女の顔には、憔悴した色が浮かんでいる。
「ビブリオさん…ルナは…」
「彼女の捜索はもう行っていない。彼女は依頼主を殺害するという重大な違反を犯した。ただ、それによってギルドにとっても厄介な存在であった組織を壊滅させる事が出来た。その状況からギルドはルナのギルド強制脱退という決定だけで終わらせる事になった。」
ビブリオは、そう告げると、シーアに席を勧めた。
「シーア、君の所にルナから何か連絡はあったのか?」
「いえ、あの日以降ルナからは連絡はありません。虹の山海亭にも顔を出していないようですし、ルナはルーヴァンの街から離れたんだと思います。」
「そうか......確かにこの街にい続けるには辛すぎたのかもしれない。」
暁の牙首領の死体が発見された現場にはもう1人、ニルス・グウェルというかつてルーヴァンで医師資格を取得した男の死体もあったという。ルナはおそらくその現場に立ち会ってしまったのだろう。
そんな状態のルナにはこの街は居づらかったに違いない。
「シーア、私のやり方は、間違っていたのだろうか……」
ビブリオは、シーアに向けて呟いた。
彼の脳裏には、自身の師であり、共に鍛錬を積んだリグルの姿が蘇っていた。
リグルは、記憶を失って街に流れ着いた幼いルナを拾い、実の娘のように育てていた。
ビブリオもまた、ルナを実の妹のように思い、リグルの辛い訓練にも一緒に耐えて頑張ってきた。ルナの事を家族のように思ってさえいた。
しかし、リグルは暗殺者としてルナを厳しく鍛え上げていた。
それは、いつかルナが暗殺者という職業を辞め、自由に生きる事ができるようになった時のために、自らの身を守る術を身につけさせるためだった。
だがギルドの内紛が起こり、リグルは暗殺された。
リグルの死後、ルナはシーアに引き取られ、暗殺者としての仕事を続けながらも、人間としての感情を育んでいった。
ビブリオは、師の遺志を継ぐため、そして何よりルナを守るために、彼女をギルドの最高の暗殺者として育て続けたのだ。
ルナを最高の暗殺者にすることで、彼女がいつかギルドを抜けて自由に生きられる未来を、ビブリオは密かに願っていた。
ビブリオは、シーアに全てを話した。
シーアもまた、自分がニルスをギルドに引き渡した真意を、涙ながらに語った。
二人は、それぞれの方法でルナを守ろうとしていた。しかし、その善意が、結果的にルナを深く傷つけることになったのだ。
「ルナは…もう、私たちに会うことはないでしょう。」
シーアがそう言うと、ビブリオは静かに頷いた。
「彼女は今、自由だ。それが、リグルさんが望んだこと。そして、私たち…あなたが望んだことだ。ルナの幸せを、遠くから見守ってやろう。」
ビブリオの言葉に、シーアはただ涙を流すことしかできなかった。
しかし、彼女の心には、ルナが自由に生きているという、かけがえのない事実が残されていた。
――――――――――――――――
数週間後、ルナはルーヴァンから遠く離れた、小さな港町にたどり着いていた。
ボロボロだったルナを町の人達は恐れる訳でもなく優しく受け入れてくれた。
そして彼女は、そこにある海の見える小さな食堂で働き始めた。ルナと言う名前を捨て、イリスと言うまったく違う名前で。
それは過去の暗殺者だった自分との決別の意でもあった。
かつてのように、人を殺すための鋭いナイフを振るうことはもうない。
彼女の手は、料理をするために、誰かのために温かい食事を作るために使われるようになった。
「いらっしゃいませ。」
「おう、イリスちゃん! いつものやつ頼むぜ!」
仕事を終えた漁師たちが昼食を食べようとやってくるのをルナは、微笑みながら迎える。
その笑顔は、かつての暗殺者としての冷たさを失い、穏やかなものになっていた。
しかし、その瞳の奥には、ニルスを殺した悲しみと、彼への愛が、決して消えることなく宿っていた。
ルナは今後もニルスとの思い出を胸に抱きながら生き続けるだろう。
それがルナを幸せにするのか、それとも苦しませ続けるのか、ルナ本人にも分からない。
しかしこの託された命を持って今を一生懸命生きていこう、ルナはそう誓ったのだった。
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