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tuer la romance 〜彼女が彼を殺すまで〜  作者: かみやまあおい


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ep10.守るべき者

雑貨屋の主人が去った後の道には、重く、気まずい沈黙だけが残されていた。

全ての元凶が明らかになったというのに、ルナの心は晴れるどころか、より一層暗く、複雑な感情の迷路に迷い込んでいた。

ニルスは、ただ黙って彼女の隣に立ち、その表情からは、親友に裏切られ、そして殺されたという両親の過去を知った衝撃と、ルナに対する申し訳なさが痛いほど伝わってきた。


二人は、どちらからともなく、再びニルスの家の中へと戻った。

向かい合って椅子に座るが、言葉が見つからない。やがて、重い口を開いたのはルナだった。


「……やはり、行くしかない。」


その声は、感情を押し殺した、氷のように冷たい響きを持っていた。


「依頼主を殺す。そいつを消せば、この依頼そのものが消滅する。それが、私たちが生き残るための、唯一の方法よ。」

「ダメだ!」


ニルスは、即座に、そして強く反対した。


「君の言う通りかもしれない。でも、そのために君を危険に晒すことだけは、絶対にできない。君がギルドに追われるくらいなら、僕が……僕が自首する。僕が全ての罪を被れば……」

「馬鹿なこと言わないで!」


ルナは、思わず声を荒らげた。


「あなたが自首したって、ギルドは私を許さない! 依頼を遂行できなかった暗殺者は、裏切り者として処分されるだけ! あなたが死んで、私も殺される。それが、あなたの望む結末なの!?」

「だが、君が依頼主を殺せば、君はギルドの掟を破ることになるんだろう!? どちらにせよ、君は追われる身になるじゃないか!」

「だとしても、可能性は生まれる! 依頼主という元凶を断ち切れば、追っ手の規模も、執拗さも変わってくるはず! 逃げ切れる可能性が、少しでも高くなる! でも、何もしなければ、私たちに待っているのは確実な死だけよ!」


互いを想うが故に、二人の意見は決して交わらない。

ニルスはルナの身の安全を最優先し、ルナは二人で生き残るための最も確実な道を選ぼうとしている。

その議論は、どこまでも平行線を辿り、出口の見えない袋小路へと迷い込んでいくようだった。

ルナは焦っていた。

ギルドの最後通告。その期限は刻一刻と迫っている。こうして無為に時間を過ごしている場合ではないのだ。


その時だった。

ふと、ルナの全身の毛が逆立った。

彼女の鋭敏な感覚が、家の外に、複数の殺気を感知したのだ。

それは、村人が発するような生活感のある気配ではない。息を殺し、獲物を狙う狩人の、冷たく研ぎ澄まされた気配。

普通の人間であれば、決して気づくことのない、死の匂い。


(……来たか!)


ギルドの「最後通告」は、言葉だけではなかった。期限を待たずして、痺れを切らしたギルドが、ニルスと自分を「処分」するために刺客を送り込んできたのだ。


ルナの表情が、一瞬にして迷える少女から、冷徹な暗殺者のそれへと変わった。


「ニルス。」


彼女の声は、先ほどまでの感情的な響きを完全に消し去っていた。


「ギルドの刺客が来た。おそらく、あなたと私を処分するために。」

「なっ……!?」


驚愕に目を見開くニルスに、ルナは簡潔に指示を出す。


「奥の寝室に行って。クローゼットの中に隠れて、私が合図するまで、絶対にそこから出てこないで。物音一つ立てちゃダメ。」

「しかし、君一人で……!」

「いいから、早く!」


ルナの有無を言わせぬ気迫に、ニルスは息を呑んだ。

彼は、ルナの瞳に宿る、覚悟を決めた戦士の光を見て、もはや自分が足手まといにしかならないことを悟った。

彼は、ルナの無事を祈るように、一度だけ強く頷くと、足音を殺して奥の部屋へと消えていった。


ニルスの気配が完全に消えたことを確認すると、ルナは二本の短剣を抜き放ち、音もなく家の裏口へと向かった。

感知した気配は、三つ。

家の正面に一人、裏の庭木に一人、そして、屋根の上に一人。完璧な包囲網だ。

だが、相手はこちらが気づいていないと思っている。その油断が、命取りになる。

ルナは、まるで猫のようにしなやかに裏口の扉を開け、闇の中へと滑り出した。

庭木に潜む刺客の位置は、既に正確に把握している。彼女は、地面を蹴る音すら立てずに、その背後へと回り込んだ。

相手は、家の窓をじっと監視している。その無防備な背中に、ルナは躊躇なく襲いかかった。


「―――!?」


刺客は、背後に迫る死の気配に、ようやく気づいて振り返ろうとした。

だが、遅い。ルナの短剣が、彼の首を、まるで熟した果実を切り裂くように、深々と、そして正確に掻き切っていた。

血飛沫が上がる間もなく、刺客は声なき声を発して崩れ落ちる。

その実力は、ギルドの中でも下っ端レベルの「掃除屋」といったところだろう。

任務に失敗した、あるいは裏切った仲間を処分するためだけに使われる、消耗品だ。


一人目を片付けたことで、残りの二人は確実にこちらの存在に気づいたはずだ。

ルナはあえて気配を完全に消し、闇に溶け込んだ。

次に狙うは、最も厄介な、屋根の上の監視役。

彼女は、壁の凹凸を巧みに利用し、スルスルと音もなく屋根の上へと登った。

月明かりに照らされた屋根の上には、クロスボウを構えた二人目の刺客が、神経質に周囲を警戒していた。

先ほどの仲間が消えたことで、彼の緊張は最高潮に達している。


「どこだ……出てこい!」


男が、苛立ちを隠せない声で呟く。その瞬間を、ルナは見逃さなかった。彼女は、男の真上にある煙突の影から、無音で飛び降りた。


「なっ!?」


真上からの奇襲に、男は驚愕の声を上げた。

慌ててクロスボウを放つが、その矢は虚しく夜空を切り裂くだけ。

ルナは、矢を軽々とかわすと、男の懐へと一気に潜り込んだ。

この男は、一人目より手強い。短剣を巧みに使いこなし、ルナの攻撃を防ぎ、反撃を試みてくる。

屋根の上という不安定な足場で、二つの影が火花を散らしながら激しく舞った。

だが、純粋な近接戦闘の技術において、ルナに及ぶ者など、ギルド広しといえどそう多くはない。

ルナは、相手の剣戟を最小限の動きでいなしながら、徐々に体勢を崩していく。

そして、男の攻撃が一瞬途切れた隙を突き、回転しながら放った蹴りが、男の脇腹を正確に捉えた。


「ぐっ……!」


バランスを崩し、屋根から滑り落ちそうになる男。その喉元に、ルナは容赦なく、もう一本の短剣を突き立てた。


二人目を仕留め、これで残るは一人。

家の正面にいたはずの、おそらくリーダー格の男だ。そう考えた、まさにその時だった。


ガッシャーン!!


家の中から、ガラスが派手に割れる音が響き渡った。


(しまった!)


ルナの背筋に、冷たい汗が流れた。

自分が外の二人を相手にしている隙に、最後の男がしびれを切らして家の中に突入したのだ。

狙いは、ニルス。

ルナは、屋根から躊躇なく飛び降りると、着地の衝撃もそのままに、最短距離で家の正面へと疾走した。割れた窓から、室内へと飛び込む。


そこに広がっていたのは、ルナが最も恐れていた光景だった。

部屋の中央で、ニルスが恐怖に引き攣った顔で立ち尽くしている。

そして、その喉元には、鞘から抜かれた長剣の切っ先が、冷たく突きつけられていた。

剣を構えているのは、黒い革鎧に身を包んだ、精悍な顔つきの男。

これまでの二人とは、明らかに纏う空気が違う。

揺るぎない自信と、幾多の修羅場を潜り抜けてきたであろう、歴戦の猛者の風格が漂っていた。彼こそが、この部隊の隊長だろう。


「手間をかけさせてくれたな、裏切り者」


男は、ルナを一瞥すると、侮蔑を込めて言い放った。


「仲間が二人もやられるとは、お前も腕を上げたようだ。だが、それもここまでだ。その男を助けたければ、大人しく武器を捨てろ。」


人質を取られた状況。絶体絶命だ。だが、ルナの瞳から、闘志の光は消えていなかった。


「……断る」

「ほう。ならば、この男の首が飛んでも構わないと?」

「その前に、あんたの心臓を貫くから、問題ない。」


ルナは、二本の短剣を構え直し、ゆっくりと男との距離を詰めていく。ニルスが、恐怖に震えながらも、ルナの名前を呼んだ。


「ルナ……」

「大丈夫。必ず、助ける。」


その言葉を合図に、ルナは床を蹴った。男もまた、ニルスを突き飛ばし、ルナを迎撃する。

凄まじい剣戟が、部屋中に響き渡った。

この男の実力は、ルナの想像を遥かに超えていた。

長剣から繰り出される斬撃は、速く、重く、そして何より正確無比だった。

ルナは、二本の短剣を駆使して必死に防戦するが、じりじりと後退を余儀なくされる。

まるで、巨大な鉄槌で打ちのめされているかのような、圧倒的な圧力。

キンッ! という甲高い音と共に、ついにルナの片手の短剣が弾き飛ばされた。

体勢を崩した彼女の腹部に、男の容赦ない蹴りが突き刺さる。


「ぐぅっ……!」


壁に叩きつけられ、呼吸が一瞬止まる。男は、追撃の手を緩めない。

ルナが体勢を立て直す前に、その長剣が、彼女の心臓めがけて真っ直ぐに突き出された。


(……死ぬ!)


死を覚悟した、その瞬間だった。


「くらえっ!」


横から、ニルスの叫び声が響いた。

彼の手から、白い粉が入った小瓶が、刺客の男に向かって投げつけられる。

小瓶は男の顔の前で砕け散り、中の粉が、もうもうと舞い上がった。


「なっ……なんだ、これは!?」


予期せぬ攻撃に、男は思わず顔を覆い、後ずさる。

そして、その粉を吸い込んだ途端、彼の動きが、目に見えて鈍くなった。


「身体が……痺れる……!?」


ニルスが、魔法の店で手に入れた特殊な薬草を調合した、強力な麻痺薬だった。

この千載一隅の好機を、ルナが見逃すはずがなかった。

彼女は、壁を蹴って弾丸のように飛び出すと、残った一本の短剣を逆手に持ち替え、体勢を崩した男の懐に、深く、深く潜り込んだ。

そして、がら空きになった首筋の動脈を、下から上へと、抉るように切り裂いた。


「……がっ……あ……」


男は、信じられないという表情でルナを見下ろし、やがて、その巨体をごとりと音を立てて床に崩れ落ちた。


部屋に、再び静寂が戻った。残っているのは、死体と、荒い呼吸を繰り返すルナとニルスだけだった。

ルナは、まずニルスの元へ駆け寄った。


「ニルス、怪我はない!?」

「だ、大丈夫だ……。君こそ……」


ニルスは、まだ震えが止まらない手で、ルナの身体を気遣った。彼の機転がなければ、今頃、自分は死んでいた。その事実が、ルナの胸を熱くする。


「……ありがとう。助かったわ。」


素直な感謝の言葉を口にすると、ニルスは、安堵したように力なく笑った。

だが、安堵していられる時間は、もう残されていない。

今回の襲撃は、始まりに過ぎない。

このままでは、第二、第三の刺客が、間断なく送り込まれてくるだろう。逃げているだけでは、ジリ貧になるだけだ。

ルナは、床に転がる刺客たちの死体を見下ろしながら、その決意を、改めて、そしてより強く、心に刻み付けた。


「……ニルス。やはり、行くしかない。」


彼女は、ニルスに向き直ると、その瞳に、揺るぎない覚悟の炎を燃やして言った。


「私たちが本当に生きるためには、依頼主を殺す。一刻も早く、そいつの息の根を止めなければ。」


その言葉には、もはや一切の迷いも、葛藤もなかった。

愛する人を守るため、そして、二人で未来を掴むため。

彼女は、自らの手で、この血塗られた運命を断ち切ることを、固く誓ったのだった。

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