第36話 修羅場
「わぁ!古いお家ね。こういうお家初めて入ったかも」
瑠璃が珍しそうにキョロキョロ周りを見る。
確かに築年数は20年を超えているそうだが……そう言えば、小学校の時も蒼介の家以外にはそんなに遊びに行くことも無さそうだったな。
蒼介の家も、瑠璃の家も、今も昔もおそらく新築だった。
「蒼ちゃん達は、ここでどんなお勉強をするの?」
「皆んなで宿題やってるよ。あと、雪人……俺の親友が塾のテキスト持ってきてくれるから、それ教えてもらったり」
ずんずん勝手に入っていく瑠璃を追いかけながら、蒼介は質問に答える。
……どうも蒼介は瑠璃のワガママな行動のお世話をする習慣があるみたいだ。
子供の頃に親から言われ、担任教師から任されていた役割を、今だに自ら買って出るのは自分でも不思議だ。
「ここがトイレで、わぁ!お風呂狭いし、これどうなってるの?」
瑠璃はお風呂場にまで入っていく。
「お風呂の使い方は、まずこのスイッチを……」
追いついてきたルカが律儀に解説し始めようとする。
「あのね、ごめんなさい。私は蒼ちゃんに聞いているの。あなたはご自分の勉強をなさってて良いから」
丁寧な口調だが、迷惑そうな表情をしている。
ああ、そうだった……瑠璃は蒼介と話している時に、他の女子が話しかけてくると、いつもこんな風に周りを遠ざけていたんだ。
だから、蒼介には瑠璃の他に放課後遊ぶ友達なんていなかった。
瑠璃がいなくなるまでは。
あの街にいた日々には。
「そう、わかった」
ルカは大人しく引き下がった。おそらく言われた通りに勉強をし始めるのだろう。
特にルカは気分を害していないはずだ。
そろそろ蒼介もルカのことなら、その程度わかる様になって来ている。
でも、
「瑠璃、今の言い方は良くないよ。
せっかく親切に教えてくれようとしたんだ」
蒼介は諌める。
蒼介はもう瑠璃のお世話係では無いから。
それに対して瑠璃は眉根を寄せた。
「別にここのお風呂使う予定も無いし、使い方とか別に知りたくなかったのに……」
瑠璃はくるりときびすをかえして、今度は2階に勝手に上がろうと、階段を上り始めた。
壁の一部が新しくなっている、少し急な階段。
「瑠璃、許可無く人の家の中をあちこち見たらダメだよ」
今更になるが蒼介は止める。
瑠璃は、宇宙人に一度は攫われて生還したこの少女は、もしかしたら、それまで以上に親に、金持ちの親に大切に大切に守られて育てられて来たのかも知れない。
子供の時だって、思い返せばかなりのワガママだった。
蒼介は、今みたいに諌めたりはせずに、ずっと言いなりになっていた。
親に、教師にそうする様に言われていたから。
瑠璃を失ったら、蒼介には友達なんていなくなるから。
でも、今は違う。
親にはそうしろなんて言われてないし、瑠璃がいなくなっても、蒼介には他にも友達がいる。
瑠璃はすっかり拗ねていたが、その表情を見て、何と無く幼い頃の妹を思い出した。
微笑ましくなって、蒼介は表情を少し柔らかくした。
「まあ、物珍しいのはわかるよ。
俺も片付いた後の2階とかは知らないし、先生に許可もらって一緒に見よう。
でも、その前にお茶の一杯でも飲ませて貰おう」
「そうね。そうしましょう」
蒼介が優しい口調になったのを感じ取って、瑠璃も素直に従う。
その時、玄関の方で物音がした。
雪人と由香里が来たんだ。
「誰か来たみたいね」
瑠璃が玄関に向かう。
玄関にはすでに二人をルカが出迎えるためにいた。
そして、雪人と由香里が、瑠璃を見て目を見開いて固まる。
玄関には、瑠璃とルカ、二つの同じ顔が並んでいた。
瑠璃が由香里を見て、にっこりと愛らしく微笑んだ。
その表情を見て、何故か蒼介の脳内には「ネズミを弄ぶ猫」という言葉が浮かんだ。
「はじめまして、蒼ちゃんのお友達ですね。私は蒼ちゃん……蒼介の幼馴染の天野瑠璃と申します。
これから、よろしくお願いします」
そう言って頭を下げる。
その何でも無い一軒家で見せた優美すぎる所作は、常人に距離感を感じさせるものだった。
精神的な距離感。
由香里が瞬きしてから、フリーズから復帰した。
「はじめまして、中学から5年間蒼介と親交がある藤野由香里です。
……星名さんとよく似ていらっしゃいますけど、姉妹かご親戚の方?」
何と無くトゲのある口調だが、先に喧嘩を売ったのは瑠璃なので仕方が無い話だ。
「ええ、そんなところ。
ね、蒼ちゃん?」
小首を傾げて蒼介を上目遣いで見ながら、そっと指先を握ってくる。
「あ、ああ……うん」
蒼介は話を合わせておいた方が良いだろうと判断した。
「……そちらの方は、藤野さんの恋人なの?」
今気がついた様に、瑠璃は雪人の方にようやく目をやる。
「はじめまして。白石雪人です。
藤野とは友人同士です。よろしく。
あ、蒼介、今日はテキストコピー取ってきてるから、配るよ。本当はそう言うのダメなんだけどな」
雪人は短く、ありきたりに挨拶をして靴を脱ぎ、さっさと本来の目的に話を移行した。
「本当か、サンキュー」
蒼介もさりげ無く、瑠璃の手を振り解いて雪人についていく。
すると、振り解いたはずなのに、蒼介の指先に、また女の子の指のヒンヤリした感触。
「瑠璃?」
ではなかった。ルカが瑠璃がそうした様に、蒼介の指先を軽く握っていた。
顔はいつも通りの無表情だったが、握った手をジッと見つめている。
「……星名?どうした?」
「……何でも無い」
ルカは手を離した。
すると、瑠璃が、ルカと蒼介の間にスッと体を滑り込ませた。
「蒼ちゃん、私たちも早く行こう、ね?」
そして、結局また瑠璃の手が蒼介の手を握った。今度はさっきよりもしっかりと。
結局、座るまでは瑠璃に手を握られていたし、少し近すぎる距離感で瑠璃は蒼介の隣に座っていた。
その後は由香里と瑠璃の醸し出すなんとも不穏な空気に当てられて、勉強なんて頭に一つも入ってこなかった。
モモだけが、その中で楽しそうにしていた。
「ねえねえ、蒼介、修羅場ってこんな感じ?」
モモが蒼介に近づき、からかいの言葉をかけてきたが、
「百々瀬さん、少し近すぎない?」
蒼介に近づきすぎたことで、瑠璃に咎められていた。
ルカはいつも通りに見えたが、何と無く蒼介に話しかけたがっている気がしたので、
由香里と瑠璃がまた口論を始めた時を見計らって、ルカに声をかけて一緒に台所に飲み物を取りに行った。
ついでに茶菓子を見繕いながら、ルカに訊く。
「なんか言いたいことあるなら何でも言えよ」
ルカは驚いたのか、目をぱちぱちと瞬かせた後、
暫く唇を緊張してるかの様に引き結んでから、ようやく口を開いた。
「私も……………………」
よく見ると、両手をグーにしてる。小さな子供みたいだ。やっぱり緊張してるのか。
蒼介も心して聞くつもりで、真面目に言葉を待つ。
「ルカって呼んで」
「……んん?」
予想外の言葉に蒼介も目をパチクリさせてしまう。
「他の人は皆んな、由香里とか、瑠璃とか呼んでる。私もルカって呼んで」
そう言った後、また唇を一文字に引き結んだ。
蒼介はポリポリ頭を掻く。
「いや、百々瀬は下の名前で呼んでないから、皆んなってことも無いけど、
まあ、良いよ。これからはルカって呼ぶよ」
それを聞いたルカは少し顔を赤くして、大きく頷いた。
「……うん!」
唇が少しほころんで、目を細めるその笑顔は、同じ顔の瑠璃でも中々出せそうにない威力があったので、蒼介も自分の顔が少し熱くなるのを感じた。




