第二十一話「あの時の話です」
数日後。
魔女さん宅にて、魔術書を読み耽っている人が放り出した綺麗な御御足をばたばたと動かしています。
はい。
魔女さんですね。
「…………そういえばブラブ」
「なんだ」
お菓子作りに精を出す狼さん。
キッチンまで届くか分からなそうな気だるげな声も、彼の御耳にはしっかりと聞こえるのです。
さすが、狼というところでしょう。
面目通りと言う感じでしょう。
「あなたの幼馴染の――アデレードさんでしたっけ。あの方をいつ頃になったら呼んでくれるのでしょうか」
「……そんな話もあったな」
狼さんの頭の中に、かつて――数日ほど前に約束したことが蘇ってきます。
そう、それは狼さんがどうして狼男になってしまったのか。原因を突き止めた結果、原初の魔女さんがなぜか残してしまった魔導書を盗み見てしまったからにあります。
原初の魔女さんのイタズラにあった狼さん。
無事、狼さんになったわけです。
そして、その原因となった魔導書を持って来た――いえ、持ってきてくれたのが狼さんの幼馴染でもある、アデレードさんなのです。
しかし、魔女さんの瞳が捉えたのは、幼馴染の麗しい乙女ではなかった。
「あの方も、原初の魔女によってイタズラを受けた人です。早くに呪いを解読しなければいけませんし、遅ければどうなるか私にも分かりません」
「分からない、ていうのは……」
「もしかしたら、一生呪いを残したままになってしまうかもしれないということです」
それは狼さんが包丁をまな板に置き、熟考するには充分でありました。
考えます。
刻んだリンゴをお皿に移しながら、自分の手のひらを見つめます。
慣れないながらも、頑張って包丁を扱えるようになった手。肉球。ふわつやの毛。そして、長くなりすぎる爪は定期的に切り揃え、短くなりすぎないよう絶妙な伸ばし具合にしています。
そうしないと、激しい痛みに出血が伴うからです。
狼さんの爪には血が流れていますから。
そして、自分がこのままでいいのか。どうか。
それを考えます。
「ブラブはその姿が気に入ったのですか?」
「まさか。そんなことはない。こうなった時にはあるべき姿に戻りたいとしか思ったことしかない」
「ですが、魅力的ではありませんか? 人には無い力。それが体感して分かるわけですから、もったいないと少しでも思ったりしませんでした?」
「……」
未来の自分が人間であった方がいいのは分かります。理解できて、納得もしています。そして、自分自身――狼さん自身がそれを望んでいるのは言わずもがなです。
しかし、もったいない。この言葉が狼さんの心に僅かばかりの小悪魔を生み出します。
囁くのです。
「微細かつ美彩に捉える嗅覚。遠くまで鼓動が聞こえる聴覚。嫌な気配だけでなく、様々な存在を認識できる本能。他の人は絶対持つことはできない、類を見ないどころか前例がブラブのみの希少な存在。
今さらそのような特殊能力を手放すのは、もったいないと思いませんか?」
「そうやって俺を試そうとするな。俺は元の姿に戻るんだ」
可愛らしい金髪の小悪魔さんは、「そうですか」と少し嬉しそうでもあり悲しそうでもある声音で納得します。
しかし、本題は狼さんの将来とかではありませんね。
「では、ブラブはちゃんとした人としての姿に戻るということですので、話を戻しましょう。
アデレードさんの呪いを解くかどうかも、こうやって本人に聞いてみないと話になりません。ですので、早くに連れて来ていただけると嬉しいのですが」
「そうしたいのは山々なんだが……」
珍しく言葉を濁す狼さん。
やんごとなき事情が、裏側から垣間見えるほどには狼さんの態度は露骨でもありました。
「なにかありましたか? 喧嘩でもしたとか」
「喧嘩できたらそれはそれで面倒くさいけど、そうすることもできないんでな……。
あいつ、いつも家にいないんだよ」
そこでようやく、魔女さんはふらふらの足を止めて狼さんの方を向くように体を起こします。
「いつも、ですか?」
「いつもだ。今日の朝だっていなかったし、昨日の夜もいなかった。でも、周りの人は出掛けるけどちゃんと帰ってくるて言ってるんだ。タイミングが合わないだけかもしれないが……ずっとすれ違っているんだよな」
「それはブラブが置き手紙だとかをしてないからではないでしょうか?」
「正論はやめてくれよ……」
今になって狼さんが置き手紙だったり、隣人に言伝を頼むことに気づくのです。
あー、なんということでしょう。
萎れた狼さんですが、早速置き手紙をしておこうと心に決めるのですから強かなものです。
「じゃあ、今日の夕方にでも置いておくよ……。ありがとな」
「いえいえ。ブラブの気づきになったのでしたら、いいことです」
「何がいいことですか?」
玄関がいつの間にか開いておりました。
そして、白髪の麗しい女性が立っているのです。
そう、噂の人物かつ件の人物。
狼さんの幼馴染――アデレードさんです。




