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第十六話「なんでもないことは、誰かにとって大事なことです」


 狼さんが知的好奇心を抱えて門まで行くと、そこには魔女さんしかいませんでした。


「魔女さん。早いな」


「おや、ブラブ。もう少し時間が掛かると思っていたのですが、早かったですね。私は魔法で運んでいましたから、早いのは早いんですよ。郵便受けか玄関先に届けるだけで終わりですから」


「それもそうか」


 では、なぜ狼さんに持って行かせたのか。

 そういった疑問が渦巻き始めた頃、魔女さんは手持ち無沙汰に抱えていた一つの鞄を見せるように掲げます。


「魔女さん、それは?」


「最後の荷物です。これだけはブラブと一緒に届けようと思っていたので」


 真っ黒な革に包まれたものが、狼さんの手へ自然と渡ってきます。

 渡っただけですが、狼さんはその荷物が手にした以上の重さを持っているように感じます。


「一緒に、て。どうしてだ?」


「ブラブは聞いたことがあるでしょうか。もしくは、風の噂でも鼻にしたかもしれません」


「上手いことを言ったつもりか。俺の鼻は人より優れているだけだ」


 二人並んで歩いていきます。

 門から左。そのまた先へ向けて。その中を、いつも以上に神妙な面持ちで歩く魔女さんから、人より優れた嗅覚をもった狼さんはなにか気づいたのかもしれません。


「魔女さん。俺だって悪い人間じゃない」


「狼人間だと言うつもりですか?」


 からかうような魔女さんの声音に、狼さんは僅かな安心が胸の奥に浮かんできます。


「そうじゃない。いや、狼人間なんだけど。悪い狼人間じゃないていうか……」


「……ふふ、すみません。からかっただけです。そうですね。ブラブは優しい人です。何も説明せず、案内するのは自分勝手でしたね」


 もう一度、魔女さんは「すみません」と先程より低い声で言います。

 それに対して、狼さんが「いや……」と口の先から言葉に詰まった頃。

 あれほど石畳が続いた道に、突如砂地が現れ始めたのです。それは、人の往来がないことを示しているようでもありました。

 道端には、伸びきった雑草が小さな樹木みたいにもなっています。しかし、手入れがされていないかと言われれば、一概にもそう表現できないわけです。

 狼さんと魔女さんが歩く道だけは、草むしりがされた形跡があるのです。小さく土のえぐれた跡が点在しています。


「この先には、あるお爺さんがいらっしゃいます」


「魔女さんのお爺さんか?」


「いえ……ですが、私のお爺さんっぽい人ですね。どう言いましょうか。悩みますけど……血は繋がっていません。でも、昔から私の面倒を見てくれて、時に叱ってくれたお爺さんです」


 地域ぐるみの――村ぐるみのお爺さんということでしょう。

 誰のお爺さんでもなく、皆のお爺さん。

 それを思い返しながら、魔女さんはポツポツと紡ぎます。思い出の引き出しから、大切な写真を見せるように。


「そのお爺さんのところへ、薬を届けに行くのです」


「大切な人、なんだな」


「はい。私が魔法で浮かばず、地に足をつけながら歩いているのはお爺さんのおかげです。あの時、魔法の加減を誤って、窓ガラスにぶつかりかけた私を助けてくれてから。こっぴどく怒られましたけど」


「そりゃ怒られるだろ……」


「ですが、楽しいのですよ? ブラブもやってみますか? あの宙に浮いた感覚と、足元が浮ついた不安感から得られる高揚感が癖になりますよ」


「遠慮しておく」


 狼さんは頑なにの意思として、丁重にお断りします。

 今は地に足をつけていたいのです。

 少しでも、人として――自分自身が、立っている証拠が欲しいから。


「で、その大切なお爺さんへ届けに行くんだな」


「はい。そうです。今はもう、動けそうになさそうですから」


 狼さんの喉が苦しみを帯びます。

 地雷だったのかと。聞いてはいけないことだったのかも、と。しかし、それでしたら、狼さんをわざわざ連れてきた理由にはなりません。

 ただ、自分自身の気持ちがそれを許してくれるかと言われたら、できないのでしょう。


「すまん……」


「謝らないでください。律儀ですね、ブラブもそのうち、歳を取れば分かることですよ。もちろん、私も。それを責めるのは違いますし、私が紹介したいのです」


「……でも、俺何も持ってきてないぞ。その、病に伏せっている人のための果物とか、今から買ってこようか」


「いりません。薬だけでいいのですよ」


 真面目ですね、と魔女さんは振り返って笑います。

 決して、困っているわけではない。決して、悩んでいるわけではない。

 ただ、狼さんの優しさに綻びでた笑顔なのでしょう。

 穏やかなもので、気持ちだけで充分だと言っているようでもあります。

 それ以上のことは、しなくていい。

 余計なことはしなくていい。

 見てから判断してくれ。

 そう言っているようでもあるのです。


「なにより、この薬も気休め程度です。効いているのかどうかも分からず、ただただ、性質だけを重視した面白みもないものです。多分、この薬も必要なくなると思います」


 しかし、その後ろ姿はどうしても寂しがり屋のものでした。

 悲しいのです。哀しいのです。

 見ているだけの狼さんでも、ふんわり漂ってくる悲哀の匂いに、思わず胸がキュッとなります。


「魔女さん。そんな悲しいこと言わないでくれ」


 だから、狼さんは伝える義務もあるのでしょう。

 伝える権利もあるのでしょう。


「俺は魔女さんの薬で治った風邪だってある。今日会った奥さんも喜んでた。魔女さんも忙しいだろうに、あれが欲しいと思っていたら袋の中に入っていてありがとう、て言ってた。そのうち、俺も魔女さんの薬で狼男じゃなくて、元に戻るつもりだ。

 そんな凄い人が、謙遜はしてもいいが、卑下だけはしないでくれ。俺達の感謝が意味もなくなってしまう」


 魔女さんは、後ろ姿だけを狼さんに見せます。

 決して、振り返ることもないです。

 決して、言葉に反応している様子もないのです。


「…………そうですね。軽率でした。ありがとうございます、そこまで言っていただけると私も嬉しいです」


 淡々と、つぶやくように言います。

 決して、狼さんに顔を見られないように。

 だって、そうしなければ、真っ赤な顔を見られて笑われてしまいそうなのです。

 だって、そうしなければ、今にも涙を蓄えた目が決壊しそうなのです。


「せっかく、お爺さんに会うんだ。そのお爺さんとのことを教えてくれよ」


 ニカッと、狼さんは魔女さんに見えなくても笑います。卑怯ですね。

 そうなのです。

 卑怯なのです。

 怯えてるのです。魔女さんが遠くにいってしまう感覚を。

 卑屈に近いのです。自分が、その不安げな背中しか見ることしかできないことが。


「……ブラブは、そうやって私の傍若無人な美少女時代を知りたいだけでしょう?」


「まぁ、それもあるかもな」


 魔女さんは、ちょっと笑います。

 そのおかげで、涙が元いた場所へ帰ります。


「いいでしょう。私の麗しき過去の日々と、翻弄されたお爺さんとの思い出に焦がれてくださいね」


「それはそれは。そうなったら、魔女さんの薬で治してもらわないとな」


 そうやって、まだ続きそうな地面を踏みしめます。

 いつしか、先行していた魔女さんが狼さんの横に並び、冬空の風が二人の間を駆け抜けます。

 雑草があり、決して平でもない道。傍らには、溝があって排水の役目を担っているでしょうに、枯れ果てています。

 しかし、そんなことを二人は気にしないのです。

 ただ、記憶に閉まっておくのでしょう。

 いつか、取り出した時に焦がれるために。

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