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天地顛倒アイボリー  作者: 夕暮 瑞樹
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上編

 澄んだ空、泳ぐ雲、掻き分ける鳥、それらを眺めていると、一刻なんぞ溶け込んでいってしまう。いつもながらに首を伸ばし空を見あげるるのは、背後に聳え立つ美術大学の生徒である高橋双葉(たかはしふたば)であった。彼は裸眼で空を見るのは勿論、レンズ越しにも空を愛していた。

 ある日、普段ならありえない光景を彼は目にする。空に、ベンチが()()()()()のだ。椅子だけではない。小さな木の枝を始め、鞄やラケット、人や車。ありとあらゆるものが空に落ちていく。

その光景を捉える為シャッターを切った瞬間、膨大な浮遊感が彼にも襲った。慌てて近くにあったバス停の時刻表に手をかけ落ちることは免れたものの、カメラは足元で小さくなっていく。いくら男子といえど体力に自信がなかった彼は、一刻も早く安全な場所に避難すべきだ。そう分かっていてもずっと足元の空を眺めてしまうのは、一種の週間病であった。

「おい双葉、こっちに移れ!」

声がした方向に目を向けると、そこには幼馴染であり親友の有村紺(ありむらこん)が大学の窓からこちらに手を差し伸べている。彼はその手を素直に受け止め、片方の手を離した。

 再び校舎に戻ると、そこはもっと悲惨な光景だった。教室にあった全ての椅子や机、教壇までもがひっくり返った状態で山を作る。あちらこちらに見える血痕はその山の中に人が巻き込まれた事を示唆する証拠となり、怪我した者の行先だってしっかり線を描いていた。窓の外からの叫び声は相変わらず廊下に響き、それを聞くものは絶望そのものを身体で表現しながら、沈黙を続けている。

「…お前は大丈夫か?」

それが他人のものなのか本人のものなのかは判別つかないが、血まみれの友人にそんな事を言われてしまっては、何の汚れもない彼は「大丈夫」としか答えようがなかった。親友はその言葉を受け止めると、何度か頷き廊下を進む。

「…これからどこへ行くんだよ。」

「そんなん知るか。取り敢えず歩いてるだけだよ。お前も付き合え。」

これは親友であるからこそ分かる、彼の癖だ。紺は昔から苛立ったり気分を損なう様な出来事があれば、すぐ散歩に出かける。要するに気分転換法なのだ。家が近所である為よく付き合わされていたが、非道い時には散歩ではなく旅行という域に入る程遠出をするもんだから、毎回彼が機嫌を損なう度にある程度の覚悟を強いられる。しかし今の場合は屋根の繋がる校舎のみが範囲となっている為、比較的気が楽だった。ただ、親友の気分転換を遂行したとて自分の気分転換にはならない訳で。双葉という男は、不運にも唯一の気分転換法を失ったばかりである。「仕方無いな」と小声で返答すると、床に散らばる蛍光灯の破片を敢えて踏み付け、前に足を運んだ。

 他の生徒いわば同級生や先輩、後輩達はただ黙って廊下を歩いて行く二人を目で追って行く。その視線を双葉は嫌った。絶望の真っ只中で体が動かないのは分かるが、その行動力を自分らに託されている気がしてならない。誰かが何かを言えばその場がどうなるか。その“誰か”を押し付けられている様なのである。こう言って仕舞えば自分もその立場になり得るが、正直な所、その“誰か”は自分じゃない。じゃあそんなに毛嫌いする必要はないようにも思えるかもしれないが、それは誤解であり、彼の理論では普段は行動力に満ち溢れる人物が、こういった局面において無力化する事を嫌うのだ。つまり自分は根っからの無力人間である為、あながち理論に精通している。

 二時間も経てば流石に親友の歩く後ろ姿を見つめるのは飽きるもので、やっとグロい光景にも慣れてきた。人間の瞳の構造の作用で、暗いところに長く居ると慣れが生じて自然と見える様になってくる、というものがある。それと同じで、グロいものを見続けると、意外と恐怖心が無くなってくるものだ。

「そろそろ休憩しよう。」

これは親友として、責任を持っての発言である。決して自分が疲れたからではない。親友が自暴自棄で歩き続け気が狂ったならば、それを落ち着かせてこそが親友だ。

 ただ、親友は休憩場を選ぶセンスが無かった。近くの教室として選んだらそこはいつも双葉が世話になっている作業室であり、普段から“危険”とされる機械や設備ばかりの場所だ。入った瞬間鉄の匂いが鼻を刺し、見渡してみればそこで作業をしていたのであろう恩師が、機会に押し潰され、右腕だけが手前に転がっているのを目にした。これまでの慣れは何処へ行ったのか、双葉は完全に顔色を変え意識を手放した。親友を助けるつもりが、逆に助けられる羽目になってしまったのは、実はこれで2回目だ。

「起きてるのか?」

無事意識が戻った時には一応整理したであろう保健室にいた。

ベットがあるのは保健室しかなく、怪我人は多いものの意識を失うという事態に周りが気を遣って譲ってくれたらしい。本人からすれば唯の失神に過ぎない為、慌ててベットを空けたのは言うまでもない。

 親友の失神をきっかけに一旦冷静になった紺は、双葉が正常なのを確認した後、「来てほしい所がある」と言い手を引いた。

 紺が導いた場所というのは、すっかり日が暮れ星空が下に広がる渡り廊下だった。上下反転しているため、上に柵はあるが、下に柵はない。紺は渡り廊下の床(正確には天井だが)から夜空に向けて足を垂らし、下を覗き込むように夜空を眺めた。双葉はまだ昼頃の光景が忘れられず紺をじっと見つめるだけだったが、遂には紺の横に並んで座った。

「お前、空見んの好きだったよな。」

紺の質問に一応頷くも、声を出し返事をする事は出来なかった。

「やっぱ苦手になった?」

「やっぱって何さ。」

「俺は、好きだった歩く事が嫌いになった。」

「僕が急に倒れたから?」

「違う。地面を歩けなくなった、上に空がなくなったからだよ。」

というか歩くの好きだったんだ。あれ好きでやってたんだ。双葉はその事にまず驚いた。二人とも親友という認識は通じあっているものの、全てを知っている訳ではない。小学生から13年間同じ学校に属しているはずなのに一度も同じクラスになったこともない。だからこそ仲が良いのかもしれない。もし同じクラスになっても、あんまり話しかけやしないだろう。なんだかんだ言って、双葉はこの距離感が好きだった。

 昨日の災害の中で特に多く取り上げられた事は、まず死者の数、そして安全の確保、地上の上を走る乗り物が地下通路を除いて使えなくなった、いわば空を飛ぶ乗り物は大変有能なのだが、屋外に出してあった物は落ちていった為メンテナンス中である程度の修理が必要なものしかないつまり救助が遅れるといった内容だった。元から避難場所にいた二人は問題なかったが、古民家や地盤の緩い土地にある住宅街の人々はきっとパニックだろう。そんな事を、体育館から漏れるラジオニュースを聴きながら双葉は考えた。

 双葉の隣で寝ている紺の隣に、カラスが止まる。まるで自分がこの災害に屈しない、最強の生物だと言わんばかりに羽を広げ、閉じる。確かに、鳥にとっては何の変わりもないのだろうな。有り得はしないがこれがもし人工的なものであれば、きっと犯人は鳥愛好家なのだろう。有り得はしないが。

 カラスの鳴く声で紺が目を覚ます。鶏だったら良かったのにと思ったが、カラスも中々悪くなかった。

「あれ…今何時?」

「10時半。」

「何で分かんの。」

「向こうの教室の時計が見える。」

「何で見えんのさ。」

君より視力が良いからさ。心の中でそう答え、双葉は立ち上がった。


 一ヶ月程経った今の変化といえば、建物同士で橋をかけ、ある程度の移動が可能になった事。紺もその内の一人だ。幸い大学近くに一人で越してきたマンションがかなりの新築で、「戻っても良い」と指示が出た。戻っても良いというのは双葉の解釈であり、厳密にいうと「これ以上学校に人が溜まるのも良くないから戻れ」という命令に近かった。双葉の家は遠く、田舎に住んでいる為橋を掛ける事も愚か、これまで自慢にしていた平坦な土地が荒手となって救助隊を困らせているらしい。二人同時に追い出され、流れで着いてきてしまった紺の家に泊まる事以外に選択肢はなかった。

 紺はミニマリストだ。薄々気付いていたし、本人からも聞いてはいたが、彼の部屋に入った瞬間それが確かな情報だという事が分かった。双葉は、上下が一転しているのだからもっとグチャグチャに散らかった様子を想像していた。しかし入ってみれば、凄く綺麗だ。唯一の家具であろう椅子とテーブル、ベットは、ひっくり返ってはいるもののそれこそアート作品の様にも思えた。流石にキッチンの食器棚は一枚一枚の皿が暴れていたが、それでも綺麗な方だ。

 早速双葉の部屋を決めようと部屋を回ろうとしたが、そういえば此処はワンルームだ。紺が言うには、「自分は潔癖症でもないし家具屋に行く機会が無かっただけで家具の多い部屋も悪くはない、逆に経験してみたい」だそうだ。なんと気の利いた言葉、しかも紺が家具多めの部屋が好みだという事を踏まえてくれている。君が親友で良かったと感謝の気持ちを込め、押し入れを借りた。具体的には、押し入れの上段に敷布団を敷き、下段は荷物入れ、扉を外し押し入れに沿わせる様に紺のベットを置けば、上手い具合に部屋が拡張する。そこを個人的な部屋とし、その他は共有スペースにした。基本、本をよく読む双葉は、本棚を脇に置き、本を並べた。その上にパソコンや課題書類が置かれてある。一番の問題は電気だった。紺の案で電球を吊るし応急処置としているが、正直暗い。夜型の双葉にはきつかった。

 そんなこともあって何度目かの模様替えを考えていると、玄関のインターホンが鳴った。

「こー?居るー?」

それは紺の姉である有村佳奈ありむらかなであった。

「姉ちゃんなんで来たの?」

「何でって安全確認以外何かあると思う?」

「あると思うよ。研究所はどうしたのさ。母さんと父さんは?何で連絡がつかないのさ。」

「携帯落としたからだってさ。今は老人ホームに避難してるよ。」

紺の両親は共に市役所に勤め、佳奈さんは理系の大学で何やら研究をしているらしい。実は、同じ研究所に双葉の両親も所属している。互いに、何の研究をしているかは言ってくれないが。

「あの、僕の両親とも連絡がないんですけど何か知りませんか?」

「高橋さんらねー…ごめん分かんないなぁ。」

「そうですか。」

会ってないことはないはずなんだけどな、と思いながらもはっきりさせる事はしなかった。

 それから夜まで三人で座談会を開き、これまでの出来事やこれからの予定を確認し合った。お姉さんは夜からこの付近で別の予定があるらしく、さっきから頃合いを探っている。紺は久しぶりの再会に饒舌が止まらず、遂にはお姉さんから直に双葉に向けてアイコンタクトが送られた。仕方なくお姉さんが帰る流れまで持って行くと、玄関を出る時にお姉さんのスマホが鳴る。お姉さんが鞄を漁り、一度スマホを取り出したかと思ったら、すぐさまそ・れ・を仕舞い込みまた別のスマホを取り出した。双葉には見えた。そ・れ・が何なのか。お姉さんは何もなかったかのように「またね」と言いながら家を出ていく。お姉さんの姿が見えなくなっても、双葉は動くこと無く突っ立っていた。そ・れ・は、間違いなく母のスマホだった。

 その日の夜、双葉はどうしても寝付けなかった。紺のお姉さんが何故母のスマホを持っているのか。あの時のお姉さんの顔を伺っておけば良かった。“これからの用事”とはなんだったのだろう。考えれば考える程目が覚め頭が冴えてくる。こうなっては仕方ないと、深夜三時にも関わらず双葉は家を出た。大学は、未だ避難所の役割を担っている為閉まることはない。折角だから寄ってみようかと足を運んだ。

 校舎に着くと、そこは見違える程綺麗に清掃されていた。一ヶ月前は在校生の靴が散らばり、相変わらず蛍光灯の破片や窓硝子の破片が散らばるといった酷い有様だったはずだ。しかし今となっては下駄箱ごと無くなり、受付センターの様な場所が設けられている。緊急用グッズなんかも売っちゃったりして、大学らしさが一切残されていない。確か下駄箱はかなり大きかったはずなんだけど、どう処分したのだろうかと疑問に思ったが、空に落とせば良いのかとすんなり解決してしまった。そう思うと、よくここまで綺麗に出来たなという感心の一方、宇宙ゴミ問題を無視してまで地球の清潔感を守ろうという人間の大胆な性質さえ浮かんでくる。双葉がもし、今一番欲しいモノは?と問われたならば、それは「素直に綺麗だと感じる心」だと即答できるだろう。それ位、双葉の頭の中は濁ってしまっていた。

 長い廊下を歩き教室を回ってみる。星空の明るさにより陰が足元にくる為、少し歩きづらくはあったが、靴のおかげで何とか足を怪我せずに済んでいた。その時、下から音がした。生活音というよりかは何かの衝撃音の様に感じられた。大学は四階まである。今双葉が居るのは三階。今の状態では地下何階という計算になる為、必然的に音の発生源は四階となる。こんな時間にどうしたのだろうかと急いで四階に降りて見たが、廊下は特に何も起こった様子は見られなかった。となれば教室以外考えられない。一つずつ中を確認しながら進んで行くと、問題の部屋は見つかった。

 双葉がコンピュータ室を開けると、パソコンが一つだけ起動している。画面を覗くと、唯のホーム画面なのだが、機械類が得意な双葉からすればこんなフェイクには引っ掛かる事なく、本来此処に居た人物が見ていたであろうサイトを見つけ出した。それは、とある研究所のホームページ。とある研究所が、両親が通う、つまり紺のお姉さんが通う研究所と一致したのは、ホームページを見てすぐの事だ。研究所を再検索してみると、『〇〇研究所に隠された、闇の研究』『これは天災ではなく、人災か⁉︎』といった記事が出てきた。

「何してるの?」

ふと、背後の暗がりから声をかけられた。振り返っても逆光で誰なのか判別がつかないが、声色やこの状況からしてきっと紺のお姉さんなのであろう。

「貴女こそ、僕の母のスマホを持って何をしているのですか。」

「質問を質問で返すのは礼儀がなってないんじゃない?」

「貴女こそ、他人の私物を鞄に潜めるとはどういった礼儀が当てはまるのですか。」

言わずもがな、沈黙に包まれる。正直、こういった言い争いは好きではない。普段ならこちら側から謝って立ち去るのだが、目の前の相手が自分の両親について何か秘め事があるとすれば話は別だ。影が近づいてくる。双葉は、硬直したまま動けなかった。

「このスマホの事、教えてあげても良いけど条件がある。まず今から話す内容を一切口外しない事、勿論紺にも言っちゃダメ。次に、私の指示に従う事。この二点、貴方は守れる?」

まさかの条件に動揺するも、両親の事が知れたら後はどうでも良いという思考回路に流され、首を縦に振った。

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