第六章
その後、休憩を終えて体が自由に動くことを確認すると、ヴィアとリユネは一度ラボへと戻る。
二人はようやくの思いで見慣れた研究所へ辿り着くと、重苦しい表情で地下から出てきたメイアスがさっそく出迎えの言葉を投げかけてくる。
「どうしたの? 酷い有り様ね」
「怨念と戦った。リユネのメンテナンスを頼む」
機械的に口走るヴィアだが、メイアスは眉をひそめるしかない。
「リユネよりも貴方の方が修理が必要に見えるけど……?」
「いいからリユネをメンテナンスに。気になるエラーもあった。怨念が影響を与えている可能性がある」
「それは気になるけど……」
メイアスはリユネをメンテナンス室へと連れて行くが、どう見ても目の前の狼狽している一人の人間の方が重傷のように思えた。
しかし、あの能面の人間は、表情に出さない。まるで苦しみも痛みも感じていないかのように見える――。
「やれやれね……」
息を吐いてメイアスはリユネをメンテナンス室へと連れて行く。
「大丈夫? リユネ」
「はい、私は大丈夫です」
リユネの様子を確認するメイアス。受け答えもはっきりとしている。エラーも発生していたようだが、今は深刻なものではないようだ。
「リユネ……無理はしちゃ駄目よ? 貴方には相当な負荷が掛かっているの。戦いたくないなら、無理に戦う必要はないのよ?」
「わ、私は大丈夫です。メイアスさん。まだまだ私は平気です。心配を掛けて、ごめんなさい……」
そう謝るリユネだが、メイアスには不安だけが残されている。メンテナンスを施していくが、エラーの原因が分からないまま蓄積されている。ホログラムの存在であるリユネには、未知の機能が数多く備わっている。
原因の分からないエラーを放っておけば、取り返しの付かない事になるかもしれない……。
「………。」
この子は優しすぎる。それが負荷となっている。魂を葬ってきた機械に、また怨念という魂をもう一度殺させるなんて、この子にとっては残酷な話だ。
「………。」
その後、メイアスはメンテナンスを施すと、一階の研究室へと足を運んだ。
そして、休憩をしているヴィアを見つけるなり、声を掛ける。
「リユネについて話があるの。聞いてちょうだい」
「何だ? 何か異常でも見つかったか?」
「あの子、負荷が強くなっている」
表情を変えずに、メイアスは告げる。
「このまま戦わせれば、あの子はエラーで停止する可能性がある。そうでなくても、何らかの異常を抱え込むことになるわ。貴方は分かっているはずよ。このままあの子を戦わせるのは良くないと」
「……そうかもしれない」
そう答えるヴィア。確かにリユネの変化は感じ取っていた。戦う度に、その変化は現れていく。どこか、理由の分からないエラーを蓄積させていることは……。
「だが、あいつは……それを望んではいない。ずっと以前から」
思い返すヴィア。過去のリユネを。
どれだけ苦しもうとも、あいつは戦い続けた。目を逸らさなかった。魂の死から……。
自分の行いから……。
魂と戦い……自分とも戦っている。
「あの子をこのまま苦しめるつもり?」
そう問いかけるメイアスだが、ヴィアの答えは変わらなかった。
「あいつは……戦うことから逃げようとはしていない」
そう呟くヴィア。機械のはずが、どうしてこうも矛盾を抱えるようなことをするのか……。
まるで苦しむ為に心を持ったかのようだ……。
――それが、人である事ですから……。
「そんな辛い役目を負わせるなら、あの子をきちんと育てるなんて気安いことは言わないで。貴方は決めたはずよ。あの子の責任は自分が持つと。なら今、貴方がすべき事は分かるわよね?」
厳しい表情のままメイアスが告げるが――。
「……変更はない。今のままでいい」
「あのね……」
頭を抱えたくなるメイアス。どう説得したものかと考える。
「あの子には不向きなの。傭兵なんて、出来る事じゃないの。自分をコントロールするなんて普通の人間でさえ大変なのに、幼い機械のあの子を無理に戦わせるなんて」
メイアスには、予感とも言える予想が見えていた。そんな日が来る事が、何となく見える。積み重なると、耐え切れない。
あの子はとても繊細。そして――。
メイアスは真剣な表情でヴィアを見据える。
「あの子は機械なの。人にはなれない。なのに、誰よりも人間らしい」
「………」
その言葉に押し黙るヴィア。リユネの事を思い返す。自分が、側で見てきた――あいつを。
「今ならこのまま機械として平穏に過ごさせることも出来る。だから――」
「……このままで良い。今更何が起ころうとも、それは変わらない」
ヴィアが静かに断った。なんとなく、それは予想していたことだ。あいつの側にいた時から……。
「あいつをこんな風にした時から……俺の覚悟は決まっているんだ」
静かに断るヴィア。あいつに、命を分け与えた時から……。
心を分け与えた時から――。
「なんで貴方はこんなに頑固なのかしらね……。本当に聞き分けのない機械みたいだわ」
メイアスは頭を押さえて呆れるしかない。
もはや歯車だ。勝手に動き、止まる方法も知らず同じ場所を回り続ける――。
「もう一度言うけど、あの子にとっても、あなたにとっても、このままじゃ耐えきれないわ。これ以上続ければ、どんな支障をきたすか分からない」
もう一度忠告するメイアスだが、ヴィアは頑なだった。
「……何度言っても、俺の覚悟は変わらない」
「そう……。なら、好きにすると良いわ。その代わり、私も好きにさせて貰うから」
反場あきらめた様子のメイアス。もはや何を言っても聞かないだろう。この頑固者には……。
後悔するその日まで……省みず進む事しかできないのだろう……。
この歯車の機械は……。
まったく、頑固で融通が効かない。ミューリアを殺した時から、まるで死んだように生きている……。
機械のように……。
「主……? どうしたのですか?」
リユネは、地下に降りてきたヴィアの様子を見るなり心配そうに尋ねた。
いつにも増して主の表情が切羽詰まっているように見えていた。
あの主が、こんな苦い表情をするなんて――。
「何でもない。気にするな……。それよりも、お前はゆっくりと休んだか? この後にもまだ任務の予定なんだ。しっかりと疲れを取るんだ」
そう言ってヴィアは表情を和らげる。
「はい。ですが、私に疲れはありません……。私は機械ですから」
「まあ、気持ちの問題という奴か……」
皮肉めいた薄い笑みを浮かべるヴィア。
「だが、お前にも見えない部分で疲れている恐れがある。注意するんだ」
「はい……。心と言うものは不思議だと、改めて思い知らされましたから……」
それを自覚するリユネ。自分では分からない所で疲れがあるなんて思いもしなかった……。
主と一緒にいることで、それを学んだ。
その後、しばらく休むと、ヴィアは再びラボを後にする事にした。リユネの様子もいつも通りと確認する。
しかし、研究所を後にする時、メイアスには厳しい忠告が出される。
「あの子を危険な目に遭わせないで」
「自覚している……」
その忠告にそう返すヴィアだが、メイアスは繰り返された同じようなその返答に疑いの目を向けるしかなかった。
「リユネ、任務の前に少し休憩していくか……」
「え? どうしたのですか、主」
研究所ラボを後にすると、急にそんなことを言い出すヴィアに、リユネは驚く。
任務の前に気分転換など、滅多に無かった出来事だ。
「この所は気苦労も多かっただろう。どうにかして気分を紛らわせようと思ってな」
「それは良いのですが……。私は機械です。気分転換は主が必要なときに……」
「無理に遠慮をするな。分からない事であっても何でも試してみるものだ」
「は、はあ……」
その物言いに珍しさを覚えるも、リユネとヴィアはそのまま町の中へと向かっていくのだった。
そして、二人は海の見える海岸付近へと辿り着く。
「ここは魔力の流れがよいとされている。お前も涼んでみろ」
「うーん、確かに魔力が新鮮な気がします……! 霊体だから潮風に当たれないのは残念ですが……」
「ふむ……。」
魔力を与えて実体化させるヴィア。リユネは人型のまま背伸びをしてみるのだった。
「ううーん……!」
「調子はどうだ?」
背伸びをしたままのリユネに対して、
ヴィアが問い掛けるが、リユネも逆に問い掛けてくる。
「素晴らしい景色ですね! 主はどうですか? この海原で」
「そうだな……。綺麗な海だとは思うが……」
そう答えるヴィア。だが、リユネのようにはしゃいだりはしない。
表情一つ変えず、ただじっと海を眺めている。
「俺の事は言い。お前が気分転換が出来るようにすると良い」
「う、うーん、ですが……何だか悪い気がします……。主にばかり気を使わせてしまって……」
「なぜ俺に気を使う……。お前が気晴らしにすればいい」
そのリユネの言葉に眉をひそめるヴィア。どうにも分からない。
「主……。」
じっとリユネは自身の主に目を向けていた。これほどの海に来ても顔色一つ変えない。
そのままリユネとヴィアは海を見ながら散歩した。
「あ、お魚です!」
「そうだな」
魚が海から飛び跳ねる度に驚きの声を上げるリユネ。
「可愛いです……。ぴょんと飛び跳ねるのが見事ですね……」
「お前も泳いで来たらどうだ?」
「で、ですが……。私にそのようなプログラムは備わっていません」
「お前に魚の神使のプログラムをインストールしてやれればな……」
そう言葉を漏らすヴィア。しかし、そのためには容量が足りない。リユネのタスク容量はもう使い切っている。
「わ、私は今のままで十分です……」そう遠慮するリユネだが。
「すまないな……。お前には窮屈な思いをさせてばかりで……」
ヴィアは俯きながら詫びを述べるのだった。
「あ、ああっ……! 主! そんな事は良いですから……! ほら! 魚が可愛いですよ!」
どうにか場の雰囲気を変えようと、リユネは話題を変える。主はこうして謝ってばかりなのだ。
小さく泳ぐ魚を見ては、指をさして眺める。
「釣って食べてみるか……?」美味いかも知れないと言い、考えてみるヴィア。
「た、食べてしまうのは可哀想です……」
そんな雰囲気の中、気分転換は進んだ。リユネとヴィアは、よく分からない雰囲気ながらも海辺の散歩を終えるのだった。
「いやー、今日もいい天気ですね!」
「そうだな」
短く返事を返すヴィア。妙に半笑いのリユネが気になるが、そのまま歩き続けた。
しばらく歩いて海辺を離れると、少しの瘴気が漂ってくる。いつの間にか町の外れまで来ていたようだ。
「なんだ、この瘴気の流れが……」
「ほんとです……。森のほうから流れてきているみたいですね」
リユネも気付く。海とは反対の方角からだ。その方角から、僅かだが瘴気が流れてきている。
しかし、どこか違った瘴気だ――。
大きな瘴気と言うわけでもなく、危険な感じはしないが……。
「気になるな……。この瘴気は……」
「た、確かに今までに感じたことのない瘴気ですが……」
以前に怨念と戦った地点からは、離れた場所にある。ここには探索の要請は出されていなかったはずだ。安全地帯にも瘴気が湧き出て来たのだとしたら、大変な事になるが……。
「リユネ………」
「は、はい」
リユネの探知機能を元に、その瘴気の出所を探っていく。
そのまま探索を続け、深い森の中の側に辿り着くヴィア。瘴気は森の中からも続いているようだった。そして、瘴気の調査をするために歩を進める。
「主、この先へ向かうのは……」
以前の戦闘をした地点からは遠い場所だ。しかし、この瘴気は気になる瘴気だ。
「いや、もう少し見ていく。ここは何故か迷う……」
心配そうに進言するリユネだが、ヴィアは構わず歩を進めた。
方向の感覚が曖昧になる。まるで別の異次元空間に来たようだ。
「主……。」
頑固なままに進むヴィアを、リユネは不安になるまま後を付いて行く。主の様子が少しおかしい気がしてならなかった。
主が瘴気や怨念と対峙する時、特にそれを感じていた。
まるで、何かに捕らわれるように――。
「……。」
それでもヴィアは歩を進める。瘴気が色濃く残る周囲を散策する。
捕らわれている。
その面影に……。その記憶に……。
見えない何かに、捕らわれたまま。
あるいは恐怖に、あるいは願いに……自覚もなく突き動かされる。
見えない何かに、捕らわれている。
見えない何かを、求めている。
「………。」
ヴィアは歩を進める。すると、一軒の古びた建物が見えてきた。
「これは……」
「社……?」
その建物を見るや、疑問が浮かぶリユネ。ボロボロすぎて、あまりに社と見るには厳しい建物だった。
昔では『神社』と呼ばれている代物だったようだ。
「まだ機能しているのか……?」
確認する為、ヴィアは足を進める。社は、その区域の魔力を清める効果のある建物だ。機械的プログラム術士式が施されており、強い魔力を生成すると同時に、瘴気の浄化を行っている。リユネと同じ、古代人の遺産だ。
その遺産を元に、各地に建てられている。古代人が建てた元から存在する物もあれば、その遺産を頼りに現代で建てられた社も数多く存在する。瘴気などを浄化する作用を持つとされる、とても重要な建造物だ。
今では、本当の神の住まう建物ともされているが……。
こうしてボロボロになった姿を見るに、何か事情がありそうだ。
もう長く使われていない、廃墟となっている。
「……お参りでもしていくか……」
「あ、主……ですが、ここに何かがあるのですか……?」
不安そうな面持ちで、リユネが尋ねるが、ヴィアは構わず足を踏み入れた。
瘴気はあるが、あまりに危険な様子は感じられない。社が機能しているなら、瘴気を浄化する作用が働いているはずだが……。
「誰じゃ! 勝手に踏み入る輩は!」
そんな声が響き、リユネは飛び跳ねて驚く。
ヴィアは声のした方向を振り返る。すると、そこには鳥居の上に寝そべる一匹の猫が居た。
「ふん……久しぶりに見たのう……。人などと」
「あなたが、ここの守主なのか?」
そう尋ねると、その猫はピョンと鳥居から降り立った。
守主は、社を仕切る守り主のことだ――。
目の前の猫も現実に存在する猫の姿をしているが、実体は無く霊体だ。そして、霊体の一種だが、社を管理する術式プログラムが施されているホログラム。
「ふん、守主など買って出た訳ではないのだがな。いつの間にか、ここに住まうようになっていた」
そんな軽々しい口調で猫が喋る。毛並みを整え、だるそうに話している。
口調が特徴的だと感じるヴィア。ある種の人格プログラムが形成されている。
「昔はただの家に置かれる招き猫プログラムだったのじゃがのう……。いつの間にか、ここに祭られるようになっていた」
「招き猫だったのか……。」
そんな過去を話す猫。そして、厳しい目を向けてくる。
「ふん、お参り来たのは良いが、お賽銭はあるんじゃろうな?」
「賽銭? いや、金は持ち合わせていない」
そう答えると、猫はあからさまに不機嫌な、表情になり
「なにい!? お賽銭が無いのなら、とっとと帰るんじゃな! おぬしのような者がこんな場所に易々と来て良い場所ではない! 立ち去るが良い!」
それだけを答えると、猫は鼻を鳴らして背を向けた。丸みを帯びた背中だけが向けられる。
「ひさしぶりに人が来たと思いきや、こんな貧相な輩とはのう。やれやれじゃ」
「……それより聞きたいのだが、この社はまだ機能しているのか?」
ヴィアが周りを見ながら尋ねる。
守り神としての使いがいるのなら、この社は機能している、と言うことになるが……。
「ふん、ここはもはや機能しておらん。見てのとおり酷い有様じゃ。怨念や妖魔、魑魅魍魎共が社を壊していきおった。瘴気の出は抑えられん。わし一人の力ではどうにもならん」
気だるそうに背中を足で掻く招き猫の守護主。背中を丸めたままだ。
「やれやれじゃ。招き猫に出来ることなんぞたかが知れておる。まったく、人間というものは猫使いが荒い」
愚痴るように喋る猫を、不思議に思うヴィア。招き猫にも使い方というものがあるのか……。
「……ここの機能はもう取り戻せないのか? どうにか復旧させたい。セキュリティはどうなっている」
「まあ、好きにするが良い。ここにはセキュリティ機能はもう無いからのう」
「なんだって……?」
その言葉に危機感を覚えるヴィア。本来なら、こうした社には魔除けの防護機能が備えられている。怨念や妖魔に破壊されないように……。
「ここの像は、みな壊されている。どこかへ行ってしまった像もあるやもしれんがのう」
その言葉に、危機感を感じるヴィア。
像というのは、護神像の事だ。社には必ず配備されている。
護神像は、社を守る機械兵器だ。武装を施した護神像を鬼神像。他のセキュリティ機能を担う護神像を観音像などと呼ばれている。
他にも様々な護神像はあるが、社に配備されている護神像は、そのまま侵入者や異物を葬る用途で使われている。
怨念だろうが容赦なく葬るその様子は、まさに鬼神そのものだ。
他にも、護神像には、様々な呼び方や、色々な種類が存在するが……。全て同じように社を守る為に設置されている。
太古の昔に残した、古代人の遺産であるこれらは、瘴気の渦巻く今の環境には欠かせない物だ。
社は瘴気を薄め、憎しみや怨念などを鎮める作用を持つ。
そして、それを壊そうと企てる存在を排除するのが護神像……。
どんな者でも……。怨念であろうと、人であろうと……。
「まったく。御利益が欲しいのなら、銭をよこすのじゃ。銭を」
「ご利益は貰いたい所だが、ともかくここの機能を回復させられるかを試したい」
「好きにするが良かろう」
ヴィアが申し出ると、招き猫の守主は欠伸をしながら許可を出すのだった。