第三章
――世の中は光で満ち溢れているわ。
「……。」
ミューリアの言葉を、ヴィアは静かに聞いていた。
広々とした草原に子供が二人で座り、話をしている。
ヴィアとミューリアは、いつもこうして時間を過ごしていた。
――死んだ亡霊も、恨みの形も……。とても恐ろしい物だけど……。それと同じくらい、この世の中は希望と光に満ちているの。
とても楽しそうに、ミューリアは話す。
その笑顔が、ヴィアはとても印象に残っていた。
――光と希望の影が、今の世の中なの。
そんなミューリアの言葉が、とても意外な物にヴィアは思えていた。
――人の希望も、憎しみも……。亡霊や妖魔も……。目には見えない。何も分からない場所に隠れている。ふふ……。けど、希望も同じように隠されているわ。
「そうなの……?」
不思議な事だと感じて、ヴィアは想像してみる。
――ええ……よく目を凝らして……。ヴィアのその瞳の中にも、光が隠されているわ……。
ミューリアは笑顔を向けてそう言った。
――闇は暗くて何も見えないけど、希望は眩しくてよく見えないの。
楽しそうにそう話すミューリア。
――だから、よく目を凝らして。世界の広くを見渡して……。
綺麗な眼差しでこちらを見つめてくるミューリアに、ヴィアは思わず頬を赤らめて頷いていた。
――目に見えないのは怖いけど……ひょっとしたら、そこには驚きとワクワクが隠されているかもしれないわ。
ミューリアの話す言葉を、ヴィアは不思議な面持ちで聞いていた。
目には見えない所に、驚きが隠された世界……。
――ヴィア、大切なことを見失わないで……。
「リユネ、次は狛犬になってくれる?」
「はい!」
メイアスの指示に従い、リユネが神使である小さな狛犬の姿に変化する。研究所ラボでは、リユネの調整が今も順調に行われていた。
「よしよし、こちらも異常は無いみたいね」
「はうはう……」
パラメーターをチェックしていくメイアス。リユネの式神である姿にも気を配る。
変化したリユネの毛を撫でると、撫でられたリユネはとても心地良さそうだった。
「はい、調整は終了よ。」
「ふああぁーっ、すっきりした気分です!」
再び人型に戻ると、気分が良さそうに背伸びをするリユネ。犬の仕草が少し抜けていない。
調整メンテナンスが終わると、気分が晴れたように上機嫌だった。
リユネは特種な機械故に、こうした微調整は必須だ。
「ちょっとヴィア。あなた、日頃からリユネに無理をさせてるんじゃない? 何だか相当な負荷が掛かってたわよ」
調整が終わってメイアスがメンテナンス室から出ると、すぐさまヴィアに言い放つ。
「……いつも通りのはずだ」
短く答えるヴィアだが、メイアスは疑いの目を向けたままだ。
「メンテナンスもしているんだけど、負荷の原因がいまいち分からないわ。今の所わかっているのは、あなたに起因して関係しているという事だけ」
「俺に……?」
その言葉に違和感を覚えるヴィア。
「最初に言ったわよね? あの子は特別なの。あなたの恋人が礎となったその時から」
「……それは十分に承知している」
メイアスの顔を見ずに返事をするヴィア。
「このままあの子を放っておいたら、辛い思いをすることになるかもしれないわよ? あの子も、そしてあなた自身も」
「それはどういう意味だ」静かに問い返すヴィア。
「辛い選択を迫られる日が来るかもしれないって事よ。あの子に優しくすればするほど、同情を入れ込めば入れるほど、あの子は辛い思いをするわ」
メイアスは真剣な面持ちで言う。
「そして、それが積み重なると、良い結果にならないのよ。不明なエラーは蓄積されていく。たとえ、それが小さく些細なエラーでも……。解決しなければ、また小さなエラーが蓄積されていく……。その積み重ねよ……。」
そして、メイアスはヴィアに向き直る。
「あなたになら、分かるわよね? 一番あの子の側に居たのは貴方なんだから」
「………。」
押し黙るヴィア。最近、異変を感じてはいた。
あいつが……成長すると同時に……変化が著しくなるように……。
人から学び、人を思うようになり……。
リユネは普通の機械ではない。"特別"な存在なのだ――。
「このままいけば、よりよい結果にならないことは分かっているはずよ」
「……。」
ただ黙ったまま思え返すヴィア。昔からリユネを見てきた。
リユネは成長する。人を見て、人を学び、成長する。
最近のリユネの様子は変わってきている。あいつは機械であって機械ではない……。
時間と共に変化しない物など存在しない……。
その後、ヴィアがラボの地下から出ると、一階ではじっと何かを思い詰めるようなリユネが佇んでいた。指示通りに待機している。
その場でじっと佇んでいるリユネ。何を考えているのか、何かを気にしているのか……。
そんなリユネに、ヴィアがいつもの様子で話し掛ける。
「リユネ、お前にエラーが出ている。何か違和感のある事はないか?」
「エラーですか……? いえ、そんな事は……」
焦る口調になり、何かを隠しているような口調と素振りに、ヴィアは息を吐く。見え見えの嘘が身に染みている。リユネは嘘を付くのが下手だ。
感情が滲み出るような――。
「正直に話すんだ。隠しても良いことはない」
「わ、私が未熟なだけなのです……。主は気にしないでください……!」
「本来なら、プログラムの一種である式神は人格なんて物は持ち合わせない。主を守る為の守護霊なんだ」
「そ、そんな……でも……」
段々と表情が俯いていくリユネ。式神には有り得ない程に表情を変化させる。
リユネがこうして感情豊かに話していられるのには理由がある。
同時にリユネにとっては、苦い過去だった。ただ歯車のように動いていた過去は……。
「リユネ、お前の機能を制限する事が出来る。そうしたらその違和感も消えるかも知れない」
「機能を制限、ですか?」
よくわからないと言う表情のリユネ。
「お前のプログラムを制限する。そうすればエラーの元になる何かを打ち消せる可能性がある」
「そんな……それって……」
ショックにリユネの表情が変わる。
「元に戻ると言うだけだ。本来のお前なら、もっと伸び伸びと過ごせる」
言い聞かせるようにヴィアは説得した。意識に伴う感情が制限されれば、戦闘やそれに関する負荷も軽減されるかも知れない。
本来、機械には備わっていない機能――。
プログラムである式神には持ち合わせるはずのない感情――。
「煩わしいだろう。そんならしくない機能。感情を抑制すれば、お前は普通の機械として生きれる」
「でも……もしそうなったら、私の記憶はどうなるんですか?」
「消えたりはしない。ただ機械らしくなる。と言うだけだ。もう悩んだり、色々と戸惑う必要もなくなる」
「じゃあ、主から貰ったこの思いも……。」
リユネが胸に手を当てる。
「嫌です……! これは主から貰った大切なものです。私には何にも変えられません」
頑固な物言いに、ヴィアはどう説明すればいいのか考える。
「今すぐにとは言わない。時間はあるから、気が変わったらゆっくりと考えて……」
「いいえ! 私の気は変わりません。この気持ちを無くすなんて……! 心を無くすなんて……!」
リユネには、心が備わっている――。
本来なら、持ち合わせないはずの物が――
「主には、感謝してもしきれないのに……」
悲しそうに述べるリユネに、ヴィアは息を吐く。
「いいや、俺に恩義なんて本来は感じるべき事じゃないんだ。お前には――」
「そんな事はありません! 主は私に大切な事を教えてくれました!」
「………。」
押し黙るヴィア。そのリユネの態度に、ヴィアは驚くしかない。口調を荒げて、必死に何かを守ろうとする。
大切なもの……それは見えない物のはず……。
手に取ることすら出来ず、実体も持たないはずの物……。なのに、それに価値を見いだす機械……。
律儀に恩を感じて、それを返そうとする機械――。
「私には、何にも変えられない大切な事です……。この気持ちは……」
リユネは頑なまま言い、今までの過去を思い返していた。
この思いが無くなれば、それは自分ではなくなる気がしてならなかった。
もう、昔のような何も無い存在にはなりたくなかった。
この痛みも、苦しみも……。無念に消えていった存在達に何も感じないなんて……。
――私が私である証拠……。
自分が人である証拠……暖かい存在である確認。無くしたくない……。
目に見えない……手に取れない……でも感じる事が出来るから……。
「私は、逃げたくありません……。この苦しみからも……。」
「確かにお前は霊体だ。怨念も元は人間の魂だったことには変わりない。だが……それで全てがお前と同じ存在という訳ではない」
その言葉を聞くリユネだが、抱いた意思と表情は変わらなかった。
「それでも……あの魂達は……叫んでいるんです……。本当は背負いきれないほどの怨みと憎しみを……そして悲しみを抱いていて……」
「リユネ……」
「だから私が、せめて聞いてあげなくては……」
リユネは今まで会った怨念達を思い返した。例え恨みと憎しみの悲鳴でも……。その魂の思いを誰にも聞かれないなんて……。
「……。」
そんな俯くリユネを、黙ってヴィアは見ていた。
過去の記憶は、確かにリユネに存在している。
昔から機械として働いていた頃の記憶……。古代人の遺産として存在していた頃の記憶……。
背負うことをやめない……。目を逸らそうとはしない。その現実から……。
リユネには、怨念が元の人間だったことがハッキリと見えているのだろう。
「すみません……。私が弱いのは、ただ私が未熟と言うだけなんです……」
「………。」
そのまま俯くリユネに、ヴィアは息を吐くしかなかった。どうあっても言うことを聞こうとはしないようだ……。
これで、文句は全て言い切ったようだ……。 頭がこうして垂れていくのは、言いたい事が無くなったという合図だ。
相変わらず、こいつの複雑さは……。
「分かった……。そこまで言うなら何も言わない」
「はい。ありがとうございます……」
礼を述べるが、少しずつリユネの表情が俯いていく。
「でも……主が不出来な機械が嫌だというのなら……。その……」申し訳無さそうに呟くリユネ。
「別にそんな事は思っちゃいない……。不出来な機械だろうが、お前はお前だ。お前らしくあればいい」
「は、はい!」
その言葉が、リユネにはとても励みになった。
自分らしくある――たとえ機械でも……。
私が私であるために……私はこの意志を紡ぐ。
人を守る機械でありたい……。私の願い……。
もう、あんな冷酷な……冷たい存在には戻りたく無かった――。
主に貰った暖かなこの思いは、無くしたくない……。