第二章
「……。」
戦闘を終えると、リユネとヴィアは任務達成の報告するために、街へと戻っていた。
怨念への対応……それが魔術傭兵の自分に貸せられた今回の任務だった。
怨念には様々な形がある。死人の霊だったり、悪意や憎悪……そう言った強い思念が形を成す事もある。怨念や亡霊は死人が成り果てた物だ。
死んだ魂が強い恨みや瘴気などの負の念を纏い、集め続けると、そう言った手に負えない化け物となる。
「………。」
この世界には、様々な目に見えない驚異が存在している。
怨念や魍魎、妖魔……。普通ならば目には見えない存在だ。
しかし、それらを視認し、対抗するために古代から受け継がれてきた兵器が存在している。
式神――。
それは、兵器の一つだ。自分自身の魂を守護霊として、現世に発現させる霊的存在。
これには、機械的なプログラムと術式が施されており、現代で再現は疎か、解読すら困難な未知の技術だった。
自身に潜在する気力を使い、魂を現世に表す機械的プログラム……。
人には隠された潜在的な気力が存在した。人はそれを魔力と呼んだ。
人々は、これらの未知の技術を神の残した産物だと疑わなかった。
太古の昔、魔術は空想の産物として扱われていた……それが現実となった。
しかし、古代の文明は滅び、そのテクノロジーは失われ、未知の産物だけが魔法となって現代に残った――。
「……。」
ヴィアは、しばらく歩くと、町にある魔装兵士連盟の組合所まで来ていた。
ここではスコーリアーや他の魔装兵士が妖魔や怨念に対応する任務を請け負う手続きをする。
ヴィアは戦果報告の手続きを済ませ、任務完了の報告を行う。
「これで、無事手続きを終えたな……」
「はい……。主、お疲れさまでした……」
報告を行い、二人は組合所を後にすると、リユネは顔を俯かせたままそう述べた。
だが、ヴィアはいつも通り――何も表情には出さないままだった。
任務の報告書には、【掃討】の文字が書かれている。浄化、では無く――。
スコーリアーは主に怨念や妖魔を討伐する魔装兵士だ。
それは、ある意味特種で、通常では手に負えない強大な怨念などを対応する。
人の手に負えなくなった、人の化物を――。
故に、重武装を施した兵士の事を言う。
しかし、怨みや悪意が固まり残る怨念への対応は、浄化する事が正当とされている。
掃討は排除……つまりは強制的に殺すことだ。
浄化は、怨みや悪意の根元を見つけ、霊に呼び掛けて成仏させることを言う。
しかし、ヴィアは――。
「主、疲れていませんか……?」突然、リユネがそう声を掛けた。
「俺よりも、自分の心配をするんだ。死人みたいな顔で何を言ってる」
平然とそう返すヴィア。まるで死人のような表情をしているというのに、主の心配をする。
怨念を掃討した後、リユネはいつもこんな様子だった。
こいつは、昔から変わらない……。
「あうう……主が何だか疲れているような気がしていていましたので……」
そんな事を口にするリユネを見ては、ヴィアは不思議に思う。
やはりこいつは不思議な式神だ。パラメーターを観察している分、何かを感じ取ったのか……。
「やれやれ……お前の方が重傷だな。俺のことは良いから、お前も休め」
「あうう……」
泣き面に蜂とはこの事か、リユネはさらに顔を落としてしまった。
そのまま、街へと出るヴィアとリユネ。
平穏な街並みが流れている。ここには瘴気が渦巻いてはいない。
「リユネ……。お前に責任は無い」
「あうう、主に励まされるなんて……私は駄目な機械です……。主人をサポートするのが式神の役目ですのに……」
ダウナーモードに入っているのかリユネは表情は暗いままだ。
怨念は人の魂が成り果てた怪物だ。それを無理矢理殺してしまうのは、同じ霊的存在であるリユネにとって仲間を殺したような感覚になってしまうのだろう。それに、元は人間だったのだ。
ただ、こいつの場合は……通常では有り得ない反応ではあるが……。
プログラムであり、己の守護霊である式神がそんな怨念に同情するなど、あり得ない話なのだ……。
古代人の残した産物は、あまりに人知を越えている代物だった……。
現在でも、未知の物が多い。
そして、それを神の産物だと信じて疑わない人達も多い。
古代人の残した産物は、神の奇跡と呼ぶに相応しい物ばかりだった。魔法や奇跡を体現し、その影響の御陰で今の世界は平穏を保つことが出来ている。
いや、平穏とは違う……せめて人が生きられる世界を保つことが出来ている――。
一歩でも安全な世界と隔離されている場へ出れば、闇が蠢いている……。
しかし、それを古代人の産物が阻止している。
「………。」
古代人の残した遺産は奇跡や魔法と呼ぶに相応しい代物ばかりだ。人知を越えた力が世界を守っている。
人が自分達を守る未知の産物に対して、神格化をするようになったのは、ある意味で自然な帰結だった。
「………。」
同じ古代人の遺産から生まれたリユネは、通常の式神とは違う特別な物を持っている……。
機械とは思えない、特別な――。
あまりの技術――それは神に等しき力……。
だが、それを奇跡と呼ぶに相応しいのか、値するのか、ヴィアには分からなかった――。
――ヴィア……。あなたの大切な物は何?
僕の大切な物……。分からない。
――見た目に惑わされないで。人の心は移ろうものよ。
ミューリアのその言葉を、ヴィアはよく分からない。
――私が大切にしているのは、あなたと、あなたのその優しい心よ。
「………。」
幼いヴィアは、その言葉の意味を考える。
――もし、私が怨念となったら、あなたは私を殺せる?
「無理だ……そんなの……。ミューリアを殺すなんて」
そう否定するヴィアだが、ミューリアは真剣な表情で告げる。
――いいえ。その時は決して迷わないで。それは私の姿をした別の何かであって、もう私じゃないわ。
「どうしてそんな事を?」
ヴィアは思わず尋ねた。
――この先、何が起こるかわからない。この世界はまだ未知の出来事であふれているの。
その時は、まだ自分もミューリアの身に起きる事が予測できなかった。
まさか、ミューリアが、あんな力を隠していたなんて――。
――ヴィア、大切な事を見失わないで……。
「………。」
ミューリアは、とても綺麗な瞳をした少女だった。白い髪に、とても優しい表情をしている。
自分と背丈は同じくらいの少女――。
自分が夢を語る時も、彼女は微笑んでいた。話すときは、いつも遠くの景色を指さす。
優しく話を聞いてくれた。同じように時を過ごした。
それがミューリアだった――。
町の中を歩くリユネとヴィア。とある場所へと向けて歩を進めている。
「………。」
町の様子を見るヴィア。今も町中を魔除けの祈りを捧げて歩いている人達がいる。
こうした行事は、平穏が保たれている町では日頃から行われている。
古代人への祈り……。神からの贈り物と成されるこの平穏への祈り――。
平穏な町並だ。人々も穏やかに時を過ごしている。
「………。」
しかし、リユネの表情は俯いたままだ。
こいつは、いつもそうだ。
怨念を殺した後は、こんな風にしょぼくれる。
こいつを励ます方法みたいなのが有ればいいのだが……。
「………。」
まったく……機械を励ますというのも、中々におかしな話だが……。
まあ、"俺には"無理な話か――。
「あ、主……。今度は、きっと上手くできます……よ……」
「なぜお前が俺を励まそうとする……。」
ヴィアが思わず言う。こんな引きつった表情で励まそうとしてもな……。
やれやれ……。
しかし、重い空気をどうにかしようと、リユネはあれやこれやと思考を巡らせる。
「あうう……。またもや主が悲しい思いをするではないかと……! 私は心配で……!」
「……俺の心配は無用だ。今は余計な気を使いすぎるな。大体、さっきから下を向いているのはお前ばかりだぞ」
表情一つ変えないヴィア。戦闘中も、その後も……まるで変わらない態度で過ごしている。
そう言うヴィアだが、リユネは反抗する。
「そ、そんな事はありません! 私は長い間主を見てきたんです! 私は成長しています! あ、主のことはある程度は理解しているつもりです」
胸を張って自信気に言うリユネだが、どこか頼り無い。
「わ、私を頼ってください、主! 私は学び、成長する、あなたのサポートなのですから……!」
「頼る、か……」その言葉を考えるヴィア。
「は、はい! 困ったときは、お互いに助け合うのが理想と言うものです……! 信頼を築くにしても、お互いの相互理解が大切なのです……!」
「……。」
リユネの言葉を考えてみるヴィア。頼ると言っても、何を頼ればいいのか……。
「ううむ……。そうは言うが、頼られる主というのもどうなんだ……?」
そう疑問を返すヴィア。普通は主が頼られる側ではないか……?
「そんな事はありません! 主に頼られるほど優秀な式神だって居るはずです! それも守護霊である式神と主の一つのあり方だと思います!」
熱が込もるリユネ。
「固定観念に捕らわれないでください……!心を開いてください、主……!」
真剣な眼差しで訴えられるが、どうにも引き締まらないヴィアだった。
「オープン・ユア・マインド……! 人類は良い言葉を残しました……!」
そんな事を言い出すリユネ。過去の偉人の言葉を持ち出してはいるが、どうにも使い所がずれているようにも感じた。
「まあ、お前に頼れるようになる時が来ることを期待している」
「あうう……私はまだ頼られるような存在ではありませんか……」
「……期待している」
そう励ますヴィアだったが、リユネは複雑なようだった。
考えるヴィア。機械を励ますには、どんな言葉を掛ければいいのか……。
こいつは複雑だ……。本当に……。
いや、リユネが複雑なのか……?
ヴィアはそんな事を考えると同時に、リユネをどうしたものかと思案を巡らせながら歩を進めていた。
自然と足取りは重く、後ろにいる守護霊もどこか重苦しい。
「………。」
雰囲気を明るくする方法は無いものか……。このどんよりと暗い雰囲気はどうにも肌に悪い。
リユネにも色々な気を使わせてしまう事にもなりかねない。余計な気を使いすぎるのは、リユネにとっても良いことではない……。
「………。」
しかし、主が式神に励まされるなど、どうなのか……。ここは主の自分が励ましの言葉を言って場を和ませるのが普通ではないのか……。
なのに、俺はそんな気の利いた言葉は思い浮かばない……。
「ううむ……」
どうしたものかと悩みながら歩くヴィア。リユネは背後から付いてくる物の、やはりどこかよそよそしい。
本来なら、式神は機械だ。己の魂を現実に表したホログラム。己を守るためだけに存在する守護霊だというのに……。
主が使いの式神に励まされるなど、摩訶不思議とはこの事だ……。
――この世は、闇ばかりじゃないわ。驚くような不思議が満ちあふれているの。
「………。」
ミューリアの言葉を思い出す。あいつは、そんなことを言っていたな……。
楽しそうに……。希望に満ちた表情で……。
あいつは闇ばかり見てきたはずなのに、どうしてあんな光に充ちた表情が出来たのか……。
――見えないからこそ、面白い物も沢山あるもの。
「……。」
あの笑顔を思い出す。
人は見えない物には恐怖してきた。常に闇と隣り合わせの存在。人と闇は常に背中合わせだ。
だけど、ミューリアには別の光景が見えていた。
見えないからこそ、思いがけない物が隠されているのだと……常に希望と光を見ていた……。
俯くこと無く、前を見ていた。
やれやれ……。こんな時、ミューリアなら何と言って励ましていたか……。
ミューリアは人を励ますのが得意だった。自分はいつもミューリアに励まされていたのだ。
もう一度、色々と教えてほしい所だ……。
「……。」
だが、今の俺には絶望も希望も無い。
あるのは歯車のような思考だけだ。
しばらく街を歩くと、ヴィアは通信端末を取り出す。それに連絡を入れると、相手とすぐに音声が繋がった。
「……メイアス。任務を終えた。今からそちらに向かう」
「はいはい。また何かおかしな事はしてないでしょうね?」
「……何もない」
そう言ってすぐ通話を終える。ヴィアはそのまま歩を進めていた。
「リユネ、変化出来るか?」
「え? はい。勿論です」
気付いたように返事をするリユネ。
「何故に心配を……?」
「そんなに顔を俯かせているから、無理を強いるかと思ってな」
「そ、そんな事は有りません! 私は平気です! さあ、お乗りください! 主……!」
勢いよく返事をして変化するリユネ。大きな犬にその姿を変えた。
神使変化の一種で、狛犬から派生した獅子に変化することが出来る。
霊体である式神は、姿の変化もプログラムに従って行える。
古代人が残した、式神のインストールプログラムが――リユネにもインプットされている。
主に、動物を模した神の使いとされる神使の姿をしている。
本来なら式神は、そのプログラムに従った神使である動物の姿の方が正しいのだが――リユネは違っていた。
「急いで向かいます。主」
「ああ……」
獅子の式神に乗って移動するヴィア。
人型の式神――それは異質な存在だった。
何故か、リユネは動物の姿よりも人型の方を好んでいた。
理由は、落ち着くから、だそうだ――。
「………。」
そのまま町を移動して、目的地へと向かう。
町を出て、しばらく走ると、ボロボロのまま建っている一軒の建築物が見えてくる。
それは、ヴィア達が拠点としているラボだった。
小さな一階建てのラボで、地下にも空間がある。とは言え、やはり広々と寛げる空間とは程遠い――。
そんな建造物の前に、ヴィアとリユネが帰って来る。
「ふう……ここに戻ってくると、何だか安心感があります」
リユネがそんな事を言うので、ますます変な気持ちになるヴィア。
「無理をするな。ボロボロのここを見てそんな事を言えるなんて。……無理にいい子をしなくていい」
「そ、そんな……! 酷いですよ主……! 私達の家なのに……!」
ヴィアにとってはあまり思い入れのない場所だが、リユネにとっては育ての場所であるのは事実だった。リユネには、ここが我が家のように感じるのだろう。
暖かな家庭のような場所に――。
「マイホーム……! すごく良い響きです……! とても暖かいです……!」
輝くような表情をしつつ、強引な物言いで迫るリユネだが。
「それに、ボロボロの家なんて酷いです……!」
頬を膨らませ、拗ねたようにリユネは抗議するが、ヴィアは戸を開けて先に進む。
「……。」
そもそも、何故ヴィアに思い入れがないのかと言うと――。
「あら、来たのね」
「ただいまです。メイアスさん」
明るく挨拶をするリユネ。ラボに入って出迎えたのは、白衣を着た一人の女性だった。
少し高い背丈に長い黒髪を後ろで結んでおり、眼鏡をずれたまま掛けて居るのに直そうとしていない。見た目から、いかにも研究者な風貌をしている。
そして、その身なりと同様に、研究室にはあちこちに参考書や資料が散乱しており、とても住処とは思えないほどの場所になっていた。
そんな場所でも意に返さず佇む姿は、怪しげな研究に没頭する周りの見えていない研究者という表現が丁度よく当てはまる。
そのメイアスと呼ばれた研究者は、帰っても何も言わないヴィアに目を向ける。
「ただいま、くらい言ったらどうなの。まったく、死人みたいな顔ね。相変わらず」
ヴィアを見るなり、表情をキツくして文句を述べるメイアス。
「……まあ、俺は死人みたいなものだからな」
そんな皮肉にも動じず、小さく返答するだけのヴィア。
こうした狭い研究所に二人も住まうというのが――。
「……相変わらず息苦しい」
素直な感想を漏らすヴィア。あちこちに資料などがばら撒かれている為、窮屈さも相まって息苦しさを覚えるのだ。
「仕方ないでしょ。こんな狭い場所でしか研究できないんだから。貴方がもっと腕利きになって資金援助してくれるなら、ここも建て替えできるんだけどねえ?」
「……それは俺だけの責任ではない」素早くそう言い返すヴィアだった。
スペースを確保するために、いつもの片付けを行うことにする。
重い荷物を片付け、掃除する。そんな下働きのような役は、いつも自分が行っている。
「ちょっと! 大事な資料を散らかさないでよ!」
「……これでも片付けているんだがな……」
そんな文句を言われ、どうすべきか悩むヴィア。まったく、この研究者というものは……。
「こんな時は実体を持たない式神が羨ましいな……」
「えへへ、そうですか?」
ヴィアがそう言うと、何故か照れるリユネだった。