第十章
「………。」
修復ケースに入れられたリユネの様子を見つめながら、メイアスとヴィアの間に沈黙が続く。リユネは未だに目覚めず、修復メンテナンスを続けている最中だった。
鬼神像に襲われ、命辛々逃げ帰ってきた。
「どうしてあの子をこんな危険な目に合わせたの? ずっと言ってきたわよね? この子は特別だって」
痺れを切らせ、突き詰めるように問い掛けるメイアス。今まで我慢してきた鬱憤が胸に沸き上がっていた。
重い張り詰めた空気が漂う。
ミューリアの過去が脳裏に蘇る。
「わかっているの? あの子を傷つけているのは、貴方でもあるのよ? 心を持たせて、重荷を負わせて、貴方の為にあの子は傷付いている」
「っ……。」
そんな事は解っている――そう言い返そうとするが、ヴィアはそれが出来ない。
今の自分には、何も言い返すことは出来ない。
「あいつが無くしたくないと言うんだ。なら俺は何もしない……」
「わからない親心ね……理解できないわ」
「お前に何が分かる……」
そう短く答えるだけのヴィアだが、メイアスは気が晴れない。
「心は軽々しく扱って良いものじゃないわ。貴方もわかっているわよね?」
依然、厳しい口調でメイアスが詰め寄る。
「どんなエラーを発症するか分からない。心のバランスが乱れれば……また昔のような悲劇が起こるのかもしれない」
「っ――!」
その言葉に、ヴィアの脳裏にはあの光景が浮かんでくる。
人というのはつくづく不便だ……。
嫌な記憶も忘れることは出来ない。機械のような便利な機能は備わっていない。
――でも、だからこそ強くなれるのよ。ヴィア。
「………。」
ミューリアはそう言っていた。いつも悩んでいた。その痛みを乗り越えれば、きっと強くなれると……。
――心が痛むのは、とても大切な事なの。悲しいけど、痛いけど……大切なの……。
黙ったままヴィアは表情を固くしたままだった。人として、大切なこと……。
――心って、不思議なの……。
「あなたにも感情があるなら、きちんと自分で考えて。あの子にとって、何が最善なのかを」
「俺の心は、もうとっくに死んだんだ。あいつを殺したあの時からな……!」
「いいえ。貴方は目を背けているだけ。嫌なことから、現実から」
「っ……!」
必死に言葉を返そうと口を開くヴィアだが、うまく言葉が出てこない。
それは間違いの無い事実だからなのか――。
「都合の良いことを見えないようにしているだけ。それを死んだ心の所為にして、逃げようとしている。でも、そんな事は現実が許してはくれないわ」
「………!」
表情が苦くなるヴィア。何をするのが正しいのか、何をするのが正解なのか……。
それが頭の中で渦を巻く。見えない答え、導けない正解が頭の中で繰り返されている。
「例え心が無くても、あなたには責任があるの。あの子を守る責任が……。親の貴方には」
メイアスの言葉に、ヴィアは過去を思い返す。
リユネをこの世に作り出した時のことを。
「きちんと考えて。あなたの心で。その時が来るまで」
「………。」
黙ったまま背を向けるヴィア。心がなければ、考える必要もない。悩むことも。苦しむことも感じない……。
きっと、それは楽なのだろう……。だが、俺は機械じゃない――。
厄介な話だ。心が無いのに思考する脳が機能しているというのは……。
はっきりと……。
「………。」
ヴィアは、腰掛けたままリユネの様子を気に掛ける。
あれだけの深手を負った。一歩間違えればリユネが消滅していた。
怨念と同じように、霊体である式神も消滅する。ホログラムであるリユネは機械なのだ。
機械は壊れる。どんな機械も――。
だが、同時にホログラムの霊体である式神は、その身に何かが起きてもある程度の融通が利く。
曖昧で、実体の無い存在……生身の人間よりは修復が出来る。どこかが壊れても代わりのパーツがあるように融通が利く。
だが、リユネは違う……。リユネは他には無い特別な物を持っている……。
「………。」
リユネは未だに目覚めない。
他にも、致命的な何かがリユネの身には起きている――。
何かが欠けている。大切な何かが……。機械では無い心は、どんなエラーを引き起こすのか分からない。
その詳細を確かめようにも、未だに不明な部分が多い。確かめようにも、確かめることは出来ない。
目には見えず、手にも取れない。とても曖昧で……不思議な物……。
時には天気の空模様。時には空に掛かる雲のようだとミューリアは言っていた。
そして、あの空は人の夢なのだとも口にしていた……。
どんなに見たことの無い綺麗な風景をも描くことのできる夢……。
「………。」
ヴィアは黙ったまま座り続けた。リユネが目覚めるには、どれだけの時間が掛かるだろうか……。もし、このまま目覚めなければ――。
ヴィアは息を吐いた。時間の感覚が無くなっている。あれだけ戦い続けた為だろう。色々な事があった。
そのまま、ヴィアは休みを兼ねてリユネを見守り続けた。
「………。」
リユネは俺が落ち込むと、何故か自分を落ち込ませる。
俺が怒ろうとすると、怒れないから代わりに怒る。
俺に悲しい事があると、何故か代わりに悲しむ。
俺には怒りが無いから怒ったりはしない。俺には感情が無いから悲しんだりはしない。
代わりにリユネは怒り、時には勝手に悲しんだりする。
何も表現できない自分の代わりに、リユネは感情を露わにする。
俺には感情が無いから微笑みかけたりはしない。俺には感情が無いから、優しくしたりはしない。
俺は――何もない……。
あいつを、リユネを誉めることもある。良くやってくれたと言い聞かせている。
だが……どこか機械的だ……。成果を出せば、それを誉めるばかり。良い出来栄えだと誉めるばかり。
普段の行いで悪いことをすれば正し、良いことをすれば誉めるだけ。
悪いことをすれば訂正を求めるだけ。
良いことをすれば肯定するだけ。
最初から決まっているかのように……。
そんな機械のような人間が親になるなんて、無理な話だ……。
どうすればいいのか分からない。どう接すれば正しいのか答えを出せない。
いくら答えを求めるも、そこには何も提示されない。何が親として正解なのか、何が選択として正しいのか。
自分には分からない。だが……。
――自分だけの答えがあるからこそ、人なのよ。
ミューリアはそう言っていた。どんな答えでも良い。悩み、立ち止まり、考えるから前に進める。同じじゃないから人なのだと。
苦しみ、努力し、積み重ねた事は絶対に前に進める。
半歩でもいい。少しずつでもいい。それがどんなに遅くても、一歩を積み重ねているのなら……それは必ず前へ進んでいるのだから、と……。
――大切な事を見失わないで、ヴィア。
あいつがそんな答えをくれた。どんな結果が待ちかまえていても、それが自分の歩んだ未来なのだから、と……。
どんなに辛い未来でも、それは必ず次に繋がる。無駄にならないことが絶対にある。
あいつは、そんな希望に満ちた言葉を残していた――。
そして、それを抱いて歩き続ければ、きっとそれは自分が想像したよりも遥かに輝く未来になっているはずだと……。
それが、機械にも出せない、どんなものにも出せない答え。自分だけが描ける可能性なのだと……。
それこそが、人の持つ無限の可能性なのだと――。
そのミューリアの答えは、今も胸に残っている。
誰にも想像できない未来……。どんな者にも、機械にも出せない答え。
人の夢という無限の可能性――それを導き出せるはず、と……。
想像を超えた、何か……。
それを奇跡だと……。それこそがこの世界の本当の魔法なのだと……。
――本当の魔法……?
幼い自分は、その言葉が強く印象に残った。
本当の魔法は、希望に満ちて、明るい未来を作り出すために存在しているのだと。
今の世界からは想像が付かない、神の奇跡に溢れた存在なのだと……。
「………。」
ミューリアの言葉をはっきりと覚えている。ミューリアの話す言葉は、どれも忘れてはいけない物のように聞こえていた。
何故か、もう二度と聞けない話をしているようで――。
今の魔法技術は……怨念や妖魔を倒すための魔法。大部分が戦うすべに使われている。魔を滅する為に存在している。式神も……。
外敵を討ち滅ぼす為の魔法技術……。兵器……。死人や魂をも蘇らせる禁忌の魔術……。
「……。」
そんな魔術を禁忌として扱う者も居れば、神から残された最後の奇跡と称える者も居る。
この世界にとって魔法は、色々な見方が存在している……。