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ノスタルジスト

作者: 藤夏燦

 2000年代の少女向け雑誌を読んでいたら、妻に怪訝な顔をされた。

「これも仕事の一環なんだ」

「でしょうね」

 デスクに座る僕の弁解に、妻は肩を上げて頷く。仕事の合間に僕の部屋へ様子を見に来たようだ。

 続けて妻は表紙に映る半世紀近く前の少女の笑顔を見つめ、深刻そうな顔をした。

「今回のお客さんも、随分とお若いのね」

「そうだな。まだ60過ぎだ。しかもベルギーにいる」

「ベルギー……」

「2000年代は得意じゃないけれど、彼女のために全力を尽くすよ」

 僕は妻に笑顔でそう言うと、再び作業に戻った。

 ノスタルジスト。それが僕の職業だった。

 21世紀も中ごろになってから、VRやARの技術が発展し、HMDやVRスーツを付ければ、まるでその場にいるような雰囲気が味わえるようになった。SR(代替現実)のシステムも進化し、視覚や聴覚だけでなく触覚や嗅覚も再現も可能になった。そうした技術をフルに活用して作られた、現実と比べても遜色ない仮想空間のことをXRクロスリアリティと呼ぶ。現在では医療現場から建築現場まで、幅広い分野で利用されている。

 ノスタルジストである僕の役目は、XRを使って過去の風景を再現することだった。主に老人福祉施設やホスピスにいるクライアントに、無機質な病室ではなく、懐かしい家の中で最期を迎えてもらいたい。XRを使ってそのサポートをすることが僕の主な仕事だ。

「年代ごとに得意不得意なんてあるの? 確かにファッションの流行や家電に違いがあるだろうけど、それは調べてしまえば分かることじゃない?」

「そうだね。確かにファッションや家電製品、インテリアは調べてしまえば分かることだ。でもその時代に流れている空気感や匂いは、その時生まれていない僕たちには分からない。1990年代や1980年代が得意なのは、これまでに担当したお客さんから聞いた話がたくさんあるからなんだ。比べて2000年代を指定してくるお客さんはまだ少ない。だからあまり得意ではないんだよ」

 モデリングの技術や過去に対する豊富な知識はもちろん、ノスタルジストにはクライアントから「その時代にいた人々の生き様」を引き出す力が求められる。

 僕は当時の写真と膨大な2000年代の資料から、XR空間の「ラフ」を完成させ、ベルギーにいるクライアントとの打ち合わせに臨んだ。依頼されたのは彼女が幼いことに住んでいた自宅の再現だ。

しかしまだこの段階では当時の雰囲気を再現しただけの「模造」にすぎない。彼女から時代の空気感や匂いを聞いて、「本物」に限りなく近づけていく。

 打ち合わせはVRのSNS上で行われた。見かけ上は快活な女性のアバターだが、彼女は重い病を患っており、安楽死が合法化されたベルギーに滞在している。

「いかがですか? 気になる点があれば、なんでもおっしゃってください」

「素晴らしい。素晴らしいわ」

 彼女は僕のラフを隅々まで見回して言った。

「でも一つだけ気になることがあるの」

「なんでしょうか?」

「よその家の匂いがする」

「なるほど」

 僕はHMD越しに彼女の寂しそうな思いをくみ取った。どれだけ本物に近づけても、匂い一つで偽物になってしまう。

 その家独特の匂いはクライアントの体臭やその時代に流行った食べ物の匂いから推測する。『おばあちゃんの家の匂い』のような既製品のプリセットを使うこともできるが、僕はプロとしてできるだけ使いたくはない。

「何か、昔よく食べていたもので思い出に残っているものはありませんか?」

「そうね。母がよくカレーを作ってくれたわ。子供用のカレールーね」

「わかりました」

 僕は打ち合わせを終えると、さっそくオンライン図書館へと向かった。2000年代の子供用カレーの包装を見に行くためだ。

 現物は用意できなくても包装を見ればある程度の匂いは想像できる。

「今度はカレーでも作るの?」

 部屋に戻るとまた妻が訊いてきた。

「ああ。同じカレールーでも年代によって微妙に違うからね。2000年代は酸味料や香料が多くて食欲をそそるものが多い。まあこれは微妙な違いだから難しいんだけどね」

「そうなんだ。でも今作っているXRはカレーを作っている部屋ではないんでしょ?」

「うん。何日か前にカレーを作っていた、でも今日の夕飯じゃない。そんな匂いを目指したいんだ」

「そんなんで上手くいくの?」

「わからない。でももう一つ、お客さんから送ってもらったものがあるんだ」

 僕はコントローラを動かして、あるデータを空間上に出した。

「これは亡くなったお客さんのお母さんの私服。それにこっちがお父さんの私服さ」

「へえ。でもちょっと匂いとしてはあざといんじゃない?」

「うん。だからカレーと混ぜ合わせるのさ」

「考えたね」

 亡くなる直前に仮想空間で家に帰る。それは走馬燈のように流れる死に際の幻に近いのかもしれない。

 しかし仮想空間であっても、これは現実であり、かつて体験したことの再現なのだ。

「ありがとう。ノスタルジストさん」

 XRのなかで彼女は静かに旅立っていった。ベルギーにいたのは安楽死が合法化されているからであり、そのためにわざわざ日本を出なければいけなかった。所謂、安楽死ツーリズムというやつだ。

 本当なら自分の慣れ親しんだ場所で生涯を終えたい。そう願っている人は多いはずだ。たとえ模造であっても、仮想であっても、できる限りそんな場所に「終の棲家」を近づける。

 それが僕の役割だと思う。



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