第七話 後悔と自責
「玄関前の掃除が終わったら倉庫の整理をやって頂戴。私も旦那様のお部屋を片付けたら手伝いに行くから。それからあなたは廊下の床や窓を磨いておいて」
「「「分かりました!」」」
テキパキと指示を出すソフィリアに、部下のメイドは皆憧れの視線を注いでいた。
自宅と違い、職場での彼女は常にクール。屋敷で働く使用人達をその優れた手腕と行動力で纏め上げていた。
そんなできる女の見本のようなソフィリアが、今日はいつにも増して機敏に作業を進めている。それはまるで、何か自分の心を護摩化しているかのように。
「どうしたんでしょう、ソフィリアさん」
一人のメイドが箒を片手に持ったまま、隣にいる仲間に話しかける。
「なんだかご機嫌斜めじゃないですか? こう、態度が冷たいというか」
「そう? あの人が素っ気無いのはいつものことでしょ」
「それはそうですけど……。彼氏さんと喧嘩でもしたんですかね」
「ああ、同棲してるっていう? やっぱり一緒に暮らしてると色々あるのかしら」
「あなた達。こんな所でお喋りかしら? まったくいい身分ね」
ヒソヒソ言い合っている二人の背後から、鋭い声が響く。
ビクッと肩を強張らせながら振り向くと、そこにはソフィリアがこれまた鋭い目つきで立っていた。
「ええ、そんなに楽しい御歓談ならどうぞ続けて貰って構わないわ。職員日誌にもそう書いておくから」
「すっ、すいませんでした!」
「真面目にやります!」
二人のメイドは口々に言うと、それぞれ慌ただしく職務に戻っていった。
それをため息交じりに見送ると、ソフィリアもまた自分の仕事へ向かうことにした。
しかし機嫌が悪そうに見えるのは本当だろう。実際、彼女の胸中には確かな苛立ちが燻っていた。自身に対する、苛立ちが。
(ギルハイド様、私は……)
尽くすべき主の心を傷つけた。それによって、ソフィリアの心も同じように痛む。
だが仕事に私情を挟むわけにもいかず、彼女は後悔によって歪みかけた表情をまた引き締めなおす。
その時、彼女の進行方向に一人の男性が立ち塞がった。
「おおっ、ソフィリア! ここにいたか。女中から聞いたぞ。今日はだいぶ気色が優れぬようだな。仕方ない、俺が特別に話を――っておい! 何事もなかったみたいに通り過ぎていくな!!」
まるで路肩の植木でも避けていくかのように、ソフィリアは男の脇をごく自然な動作ですり抜けていく。
それを男は慌てて呼び止めた。
「待て! 止まれと言っているだろう!」
「何か御用でございますか? 旦那様」
事務的に喋るソフィリアに、男は歯がゆさを感じたように自身の金髪頭を掻いた。
彼の名はアスフォル・ウルドレッド。この屋敷の主にして、ソフィリアの雇用主である貴族である。
ハンサムな顔立ちに加え、高身長、良い体格。まさに絵に描いたような貴公子だ。普段は一流の魔導士として第一線で活躍しており、その地位も申し分ない。
並の女性ならば話しかけられただけでも喜ぶものだが、ソフィリアは笑み一つ見せず、むしろ少し面倒そうにすらしていた。
「旦那様。私は仕事中でございますので、用件が無いのであれば職務に戻らせて頂きたいのですが」
「うぬう……やはり釣れない女だな。だが、それがいい!」
フハハッ、と白い歯を見せて笑うアスフォルをおいて、ソフィリアは再び立ち去ろうとした。だが、ダンテは逃がすまいと彼女の腕を掴む。
「俺とて大方察しはついている。ギルハイドのことだろう?」
「……」
背を向けたまま、何も答えない。
沈黙を肯定として受け取ったのか、アスフォルは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「おのれ……お前のような美しい人間をこれ程まで消沈させるとは、なんたる背徳者だ。だいたい、あやつは碌に就職もしないでお前に頼ってばかりではないか。やはりあんな奴の所など去り、俺の元へ来るべきだ。どうだ、この機会に住み込みで働くというのは――」
そこまで言った時、アスフォルの手は乱暴に振り払らわれた。
ソフィリアは虚ろな瞳で主人の方へ向き直る。そして、ずいっと彼へ顔を近づけ、低い声で呟いた。
「貴方に彼の何が分かるというのですか?」
ぞくっ、とアスフォルの背筋に寒気が走る。それはおよそ常人が出せるようなものではない本物の殺意だった。
「あの人を侮辱することは、私が許しません……」
冷ややかに踵を返し、ソフィリアはツカツカと歩いていく。一方のアスフォルはすっかり気圧されてしまったようで、今度こそ彼女を引き留めようとはしなかった。
僕はソファに腰かけ、二人が来るのを待っていた。
この部屋も他と同じように、特に目立つ物は無い。机の上に花が一輪申し訳程度に置いてあるぐらいだ。ミラさんは魔法具の発明とかでバンバン特許を取っている筈だから、勲章の一つや二つ飾ってあってもおかしくないんだけどな。
あまりの飾り気の無さに、ここが本当にかの有名魔導士ミラ・イスタさんの研究所なのかと疑わしくなってくる。
「……」
それにしても長い待ち時間だな。どれぐらい経っただろう。
壁に掛かった時計を見ると、意外なことにまだ五分も進んでいなかった。
ああ……一秒一秒がとてつもなく遅い。緊張しすぎでしょ、僕。こんな風だからいつまでも就職できないんだろうなあ。
なんてまた湿っぽくなっていると、こちらへと向かってくる二つの足音が聞こえてきた。きっとセレナさんとミラさんだ。
いよいよか……! 鼓動の速さも最高潮に達して、もはや痛いぐらいだ。
安心しろ。気を強く持て。僕の臆病な心臓を落ち着かせてやるため、一度大きな深呼吸をする。うん、だいぶ落ち着いてきたぞ。
すると間もなく部屋のドアが開かれた。
セレナさんの隣にいる白衣の女性。その姿を見て、僕はあまりの美しさに息を飲んだ。
絹のように滑らか、そしてつややかな白い長髪。つんとすました顔は理知的な印象を醸していて、まさにクールビューティーという感じ。
その女性は僕を品定めするかのようにまじまじと眺めている。
再び僕の胸は高鳴っていく。こんな綺麗な人に見つめられてしまっては、仕方のないことだ。
その時、セレナさんが女性の後ろから顔を覗かせた。
「紹介するわ、彼女がミラよ。さ、ハイド君。挨拶しなさい」
「こ、こんにちは……」
セレナさんに促されてやっと僕は一言発することができた。
尚もミラさんは無言のままだ。その儚げな空色の瞳で、僕の心まで見透かしているのか。
だが、唐突に彼女は口を開いた。
「ふんっ、どんなのが来たのかと思えば。見るからにひょろっちくて弱そうな奴ね。ま、元から期待なんてしてないけど!」
……どうやら第一印象は最悪だったようだ。