第六話 いざ面接へ
翌日。
遅い。待ち合わせ場所に指定したのは昨日の路地裏からそう離れていない広場だ。よほど寝過ごしたりしていなければ、そろそろ現れる筈なのだが。
「まさか逃げたんじゃないでしょうね……。この期に及んで」
通行人が数名、セレナの方をちらりと見やる。ニートへの恨み節が聞こえたのか、はたまた彼女から発せられる苛立ちを敏感に感じ取ったのか。
周辺を見回してみる。東西南北それぞれに歩き去っていく人々の中にギルハイドの姿は無い。
一刻も早く彼に会いたいセレナは、無意識につま先をトントンと鳴らし始める。昔からじらされるのが嫌いで、親や友人によく「せっかちセレナちゃん」とからかわれていた。路上で演奏を行っているギタリストの歌も、ただやかましく感じるだけだった。
「おはようございます……セレナさん」
背後から聞き覚えのある青年の声がした。きっとギルハイドだ。
やっと来たか……! 遅刻なんてどういうつもり、と叱りつけようとしたセレナ。だが、振り返るなりすぐにその言葉を飲み込む。その代わりに「え……」という呟きが無意識に漏れた。
そこにあったのは、圧倒的な闇を放つギルハイドの姿だった。
昨夜はよく眠れなかったのか、目の下には薄黒いクマができている。足取りもなんだか覚束ない。ただでさえ頼りなさげだったのに、これではちょっと叩いただけでぶっ倒れてしまいそうではないか。
「え!? 何、ちょっとあなたどうしたの!? ねえ! ていうか生きてるのこれ!? 邪悪な魔導士の秘術によって彷徨い歩いている死体とかじゃないわよね!?」
あまりにも衝撃が凄すぎて、セレナはつい数秒前まで沸いていた怒りを忘れてしまった。
とりあえず、このままだと冗談抜きでギルハイドが昇天しそうなので近くのベンチに座らせる。
「本当に平気? 飲み物とか買ってこようか?」
「いえ……大丈夫です……。そんなことまで、させたくありません……。セレナさんは優しいですね……」
まるで末期患者みたいな悲壮感溢れる笑みを浮かべるギルハイド。
いつもなら「何言ってんの!」っていう風にバシッとつっこむセレナだが、今の彼にそんな迂闊な真似はできない。
風邪をひいているのではと思い、ギルハイドの額に手を当てるセレナ。
「うーん、平熱ね。一体どうしちゃったのよ」
「いえ……なんでもないです……。気にしないでください……。さあ、早くバイト先へ行きましょう。もうだいぶ楽になりましたから」
ギルハイドはヨロヨロと立ち上がり、フラフラと歩きだす。「楽になった」なんて到底思えない。ここまでまる分かりな嘘が過去にあっただろうか。
「まあ、そんなにゆっくりしてもいられないんだけどね。あの子気難しいから……」
セレナは困り顔で言う。
あの子、というのは研究所を経営している友人のことで、そこへ今からギルハイドを連れて行こうとしているわけだ。しかし、いかんせんその友人は他者に対して警戒心が強く、態度も厳しい。遅刻なんて言語道断である。
とりあえず昨日セレナと別れた後、ギルハイドの身に何かが起こったことは間違いない。彼をここまでボロボロにした何かが。
「とりあえず、無理しないように歩いてね? まだ時間はあるから」
「はい……」
一体全体何があったのか、すぐにでも聞き出したい。だが今ここでそんな質問をすれば、彼の心の傷を抉ることになる。それが分からない程セレナも無神経ではなかった。
昨日は全然眠れなかった。
原因はソフィリアに襲われそうになったという恐怖が半分、もう半分は彼女に「最低だ」なんて言ってしまったことによる罪悪感だ。
実は、こうしたトラブルは今回が初めてじゃない。過去にも彼女は何度か手を出してこようとして、その都度僕らは喧嘩した。けれど、もう限界だ。
今朝、短い睡眠から覚めた頃にはソフィリアは出勤していてもういなかった。律儀にもダイニングのテーブルに朝食が用意してあったのが辛かった。
そんな中僕はセレナさんに肩を貸してもらいながら、というよりもほぼ引きずられるようにして目的地へと辿り着いた。
市街から離れた場所に位置するこの一軒家は、普通とはだいぶ違った造形をしていた。
壁面からは太いパイプやら謎の装置やらがあちこち突き出ていて、ここが何か特別な作業をしている場所だということを分かりやすく示していた。補強工事の痕跡がちらほら残っているのも気になる。
「えっと、これって一体……」
「ここは新しい魔法具の開発をやっている、いわゆる研究所ね」
魔法具。それは魔法に携わる道具のことだ。と、一口に言ってもそのジャンルは多岐に渡り、代表的なものだと魔法薬や魔法武器などが挙げられる。
「そして聞いて驚きなさい? 何を隠そう経営者はかの有名なミラ・イスタよ!」
「ええっ!? 本当ですか」
ミラ・イスタ。その名は僕も知っていた。
魔導士ギルド〈ジェネシス・ダイヤ〉のランク12(トウェルヴ)だ。
魔導士の場合、どのギルドの所属でもその階級は十三段に分かれている。階級の数が大きい者ほど強力であり、ハードで高報酬な依頼を受けられるっていう寸法だ。
中でも最上級クラスの11(イレヴン)、12、13(サーティーン)は、各ギルドで一人ずつしかその地位に就くことは許されない。その権力は大きく、ギルドの運営そのものにまで関わることができるんだって。
しかもミラさんの所属するジェネシス・ダイヤは、王都にある四つのギルドの中でも一番歴史が古い。所属している魔導士も皆強者揃いだ。
いやあ……そんな凄い人の仕事場だったのか。
期待通りの反応に満足したのか、セレナさんは得意げに胸を張っている。
「でも、僕なんかが雇ってもらえるんですか。競争率高そうというか……」
「大丈夫よ。実は私、ミラとは昔からの友達なの」
「そ、そうなんですか? 更に驚きですよそれ。じゃあつまり、コネがあるってことですね?」
「そんなところよ。……ま、多分コネなんて必要ないだろうけど」
えっ、それってどういう意味?
見当もつかぬまま、セレナさんに背中を押されるようにして前へ進む。
ドキドキしながら、僕は扉の前に立った。何しろ相手は超有名な魔導士だ。粗相の無いようにしないと。
「って……あれ?」
ドアノブを引いても、びくともしない。ノックなどをして呼び掛けても無反応だ。まさかとは思うが留守にしているのではないだろうか。セレナさんは当惑する僕を面白そうに眺めている。彼女は中に入る方法を知っているのだろうか。
「意地悪しないでくださいよ」と言おうとした時、僕の頭上から白い球体がフワフワと飛んできた。
球体の真ん中には大きなレンズのような物が埋め込まれていて、その外見はまるで大きな目玉だ。こちらを見つめる瞳には、不思議そうな顔をしている僕が映っていた。
そして、またまた驚くべきことが。
「誰なの、あなた」
「えっ! しゃ、しゃべしゃべ、喋った!?」
透き通るような美しい声。それは間違いなく、僕の額の上で浮かんでいる目玉型の物体から発せられたものだった。
「こんにちは。例のバイト志願者、連れてきたわよ」
更に不可思議なことに、セレナさんが目玉に話しかけたではないか。しかも普段友達に挨拶するみたいな、ごく自然な感じで。何なのこの状況。
訳が分からずぽかんとしていると、「ガチャッ」という音と共に扉の鍵が外れる音がした。誰かが内側から開けた様子はない。
まさか、自動施錠式!? そんなの王族が住んでいるお城にも無いと思うんだけど……? これもミラさんの発明品だろうか。
初端から彼女の技術力に魅せられながら、僕はセレナさんと共に中へ入った。
内装は何というか、個性的な外観と違って殺風景だ。家具とかインテリアも必要最低限しかないみたいだし、物寂しい雰囲気が漂っていた。
「それじゃあ私はミラを呼びに行ってくるわ。たぶん実験室にいるから。きみはそこの部屋で待ってて」
「あっ、はい」
遂に顔見せかあ。ちょっと緊張するな。
セレナさんの指示に従い、〈応接間〉と記されたドアに手をかけたその時――
ドタドタドタッ、ともの凄い勢いの足音が響いた。
何事!? と思って振り向くと、廊下の奥から一人の女性が凄い勢いで駆けてくるではないか。
女性は憤怒の表情でこんなことを口走っていた。
「まったく、人のことを何だと思っているのかしら!? こんな所もう辞めてやるわよ!」
(え…………?)
その不穏すぎる台詞に、僕は固まる。
どういうことなのか聞こうとしたのに、女性はさっさと玄関から出て行ってしまった。
「あーあ、またやめちゃったわね」
セレナさんもセレナさんで別段珍しがる様子もない。
そういえばさっき、「コネなんかいらない」とか言っていたな。もしかしてここって……やっぱりブラックバイトってやつなのか!?
(いやいやいやいや、そんな訳ないだろ! 経営者はあのミラさんだよ!? 魔導士ギルドの偉い人だよ!? そんな人の職場がブラックだなんてありえないだろ!)
僕は思い切ってセレナさんにここの営業実態を尋ねようとした。ミラさんの友達であるならば真実を知っているかもしれない。
「セレナさん、正直に答えてください。ここは、いわゆる黒い職場というやつなんですか?」
「いいえ全然」
即答。
拍子抜けしている僕に、セレナさんは続ける。
「確かに、仕事がキツいっていうのはあるわね。でもその分お給料はいいから安心して。何せ時給2500ナックよ」
「に、にせんごひゃく……!」
普通のアルバイトの時給が約1000ナックだから、その倍以上あるじゃないか。
どこか腑に落ちない部分はあったものの、今はセレナさんを信じるしかない。
一抹の不安を抱きながらも、僕は今度こそ応接室へ入った。