第三話 その名はセレナ
「ふふっ、きみ結構やるのね。私びっくりしちゃった」
振り返ると、チンピラから解放された女性が満面の笑みを浮かべていた。さっきまで散々好き勝手言っていたくせに、向こうはそんな些細な事覚えていないのか、すっかり穏やかなムードだ。まったく、やられた側は忘れないんだよ?
「ところであの男の人、殺しちゃったの? 随分とこんがり焼いていたけど」
「大丈夫です、ちゃんと加減はしておいたから」
それなら良かった、と彼女はにっこりほほ笑んだ。
初対面ながらも親しみやすい態度に、僕はこれ以上の不満は抱けなかった。
しかも、チンピラ共と押し問答している時は気付かなかったけど、中々の美人だ。
丸くて可愛らしいオレンジ色の瞳は魅力的なだけでなく、彼女の内側で漲っている活力を湛える器でもあった。ぴょこんと伸びる赤いポニーテールもチャーミングだ。
「あ、自己紹介が遅れたわね。私こういう者です」
彼女は肩掛けバッグから名刺を取り出して僕に渡してきた。そこには〈ドラグニヤ・タイムス 記者 セレナ・ドレイク〉と書かれていた。
ドラグニヤ・タイムスといえば、王都で最大の発行部数を誇る新聞の出版社だ。何か事件が起こればすぐに記事にして届けてくれるため、読者からの評価は高い。ちなみに僕の家もこの新聞を取っている。
そういう一流企業に勤めているってことは、かなり厳しい試験をくぐり抜けてきたのだろう。箸にも棒にもかからない僕とは大違いだなあ……。ああ妬ましい。
なんて黒いオーラが出そうになるのを抑えていると、そんなことはちっとも知らないセレナさんがこんな質問をしてきた。
「……あ、そういえばきみって魔道士なんでしょ? この際だから所属ギルドを教えてほしいんだけど」
(うぐ……それは聞かないでよ……!)
今までに幾度となく他人にこのことを聞かれているけど、やっぱり恥ずかしさには慣れない。こうなるから人前で魔法使うのは嫌だったんだ……。僕が臆病で争い事が好きじゃないっていうのもあるけど。
魔導士という職業に就く者は普通、ギルドと呼ばれる機関に勤めている。
この王都ドラグニヤには複数の魔導士ギルドが存在する。
ブレイブ・クローバー。ブラッディ・ハート。
ジェネシス・ダイヤ。インペリアル・スペード。の、四つだ。
それぞれの経営方針は違うけど、根本的な概要は魔導士への仕事の依頼を仲介する場。いわば事務所のようなものだ。
依頼される内容というのは主に人の護衛やモンスターの討伐、衛兵などでは手に負えない凶悪犯の逮捕といったところ。変わったやつだと、パーティーの余興とかを頼まれることもある。
こうした依頼を達成し、そこから発生する報酬によって魔導士は生計を立てている。
しかし、いかんせん僕はギルドへ未だ入団できていない。こうなると魔導士として認定されず、いくら強いモンスターや賞金首をやっつけたって誰からも評価してもらえない。
「おーい、急に黙ってどうしちゃったのよ? まるで歯を磨いたばかりの口に砂糖水を撒かれた時のような切ない顔になっているわ」
改めて自分の置かれている状況を見直しげんなりしていると、その態度を変に思ったらしくセレナさんは怪訝そうに眉をひそめた。ていうか例えの設定が細かいしひどい……。
ともあれさっきの話に戻すが、自分から無職ですって言える程僕も羞恥心は欠如してない。それに彼女が働かない者を非難していることはさっきチンピラ相手にやっていた演説で十分に証明されているので、ここはどうにか誤魔化したいところだ。
返答に困った僕が尚も無言でいると、ついにセレナさんも「まさか」と何かを察してしまったように口を開いた。
「……きみ、ニートなの?」
なんでこう記者って勘が鋭いのか。
ニートというのは近年王都に広まった言葉で、働かない若者への蔑称みたいなものだ。ちなみに僕はつい先日バイトをクビにされたばかりなので、彼女が言った通り現在は完全に無職だ。
とにかく無職だとばれたくない僕はものすごい勢いで首を横に振った。それはもう自分でも挙動不審だと分かるぐらいに。余計に怪しまれてしまうかもしれないと、今更後悔しても遅い。
とりあえずここは嘘でもいいのでちゃんとギルドに所属していることにしておこう。
「エーット、ボクハギルド〈ジェネシス・ダイヤ〉ショゾクデスヨ?」
「片言になっている点がすごく気になるんだけど……。それによく考えたら、今日私ジェネシス・ダイヤへ取材に行ったけど、ギルドの団員名簿にきみの写真は無かったわよ。先日の入団試験合格者の欄にも載っていなかったし。ギルドを訪問したのはついさっきのことだから間違いないわ」
うぐっ……完全に墓穴を掘った……! しかも取材行ったのが丁度今日って、タイミング的にも運悪すぎるでしょ……。
でも魔導士は職業柄そういうメディアとの接触は多いわけで、ギルドに記者が出入りすることも珍しくはない。手柄を立てた魔導士を新聞に載せて貰えば、その人が所属するギルドの売名にもなるからだ。
だからさっきの僕みたいに所属ギルドを尋ねられるってことも、本来ならば名誉だと思わなければいけないのだ。あくまで魔道士として就職できているならの話だけど。
「ちょっと、また切なげな顔になっちゃってるわよ。例えるなら……そうね、飼い主に捨てられ、雨の中でただ立ち竦むしかない仔猫みたいだわ」
「だから何故そんな細かい設定なの!? そして余りにも痛々しすぎるでしょ! そんな仔猫いたら助けてあげようよ!? なんだかんだで人の温かさっていうのは意外と身近にあるんだからね!」
仮想の話に感情移入しすぎて、もはや言っていることの意味が自分でも分からなくなってしまった。かなりの剣幕に驚いたらしく、流石のセレナさんも唖然としてしばらく何も言えない状態に陥る。
……もしかしたら単にこの情緒不安定な青年に引いていただけかもしれないが、そうとは考えたくない。
微妙な冷たさを含んで二人の間に流れる空気。何か取り返しのつかないことをやらかした感覚。コップから零れた水は返ってこない。暴発した火薬も元に戻らない。
よし、もうこの場からは離れた方がいいな。ここで別れればもう二度と会うことも無いだろうからね。
そう判断した僕はくるりと彼女に背を向けると、さよならも言わず早歩きで立ち去ろうとしたのだが……
「ちょっと待ちなさい!」
「は、はい!」
強い口調で呼び止められ、あえなく回れ右。同時に背筋も正してしまう。やはり彼女が黙ってニートを見過ごす筈が無いか……。
説教ができるだけ早く終わることを祈りながら、頭を垂れつつまたセレナさんと向き合う。
「きみ、ニートなのよね?」
「改めて確認しないでほしいな……。残念ながら正解です」
「やっぱり。普段なら問答無用で怒鳴りつけているところだけど、今回は特別に怒らないでおくわ。私も助けてもらった恩を忘れてはいないんだから。お礼だってちゃんとさせてもらうわ」
「えっ、本当ですか!?」
話が予想外の方向に進み、僕の顔がぱっと明るくなる。
お礼っていうからには、きっとご飯でも奢ってくれるのだろう。でも女の子と二人きりでご飯なんか食べに行ったりしたら、きっとソフィリアが怒るだろうなあ……。女性付き合いに関しては神経質過ぎるぐらいうるさいし。
「仕方ない、外食は諦めて食材代をキャッシュで貰うか」
「とんでもなく図々しいこと考えてたみたいけど、何もご馳走するつもりないわよ? どうして働いてもいない奴の為にわざわざ自腹切んなきゃいけないのかしら。私はね、きみに新しいバイトを探してあげるって言いたいの」
「バ、バイト……?」
またまた予想外な流れとなり、僕は一度困惑した。
しかし、これはこれで悪い話ではないかもしれない。僕も新しい仕事を探していたところだったし、いつまでもニートでいるのは気が引けるからね。
重要なのは内容だ。あまり夜遅くまでかかるやつだと困る。あともう一つ――
「ブラック企業は御免ですよ……?」
「失礼ね。そんなのにこの品行方正な市民である私が関わっている筈が無いじゃない。丁度私の友達が求人募集していたから、紹介しようと思っただけよ。でもそういうこと言うならやめようかしら?」
「すいませんでしたどうかお許しを」
これが職を求める人間の弱さ。
九十度近くまで頭を下げて失言を詫びると、セレナさんは「冗談よ冗談」と朗らかに笑う。
彼女は明日にでも僕をバイト先へ案内してくれるらしく、鞄から地図を出して待ち合わせ場所を指定した。
記者というのは皆こういう風に行動が早いものなのかと舌を巻いたが、こちらとしてもすぐに仕事が貰えるに越したことは無かった。
「あ、そういえばまだきみの名前聞いてなかったわね。遅くなっちゃったけど、教えてくれないかしら」
「ギルハイド。ギルハイド・ダハーカです。ハイドって呼んでください」
「そう。それじゃあハイド君、また明日ね。私はまだ取材が残っているからもう行くわ」
「うん、さようなら……って、ちょっと待って」
立ち去ろうとしたセレナさんを今度は僕が引き止めた。彼女が住宅街の奥の方へ向かおうとしていたからだ。
「道を間違えていますよ。表通りに出たいならこっちですからね」
「別にまだ帰るつもりは無いんだけど? 言ったでしょ、取材があるって」
「え、それってここ? あなたはチンピラに連れ込まれてきたんじゃないんですか」
「違うわよ。私は自分の意思でここに来たの。とってもきな臭いスポットがあるから、そこを調べにね」
きな臭いスポット、と示されても僕にはピンとこない。まあ確かに怪しい空気が蔓延っている感はあるけど。
「ハイド君は知ってる? 都市伝説の魔導士の話」
「いえ、なんですかそれ」
「あくまで噂なんだけどね。所属ギルド不明のとっても強い魔導士がいるらしいの。王都にいるどんな魔導士もそいつには勝てないって言われているわ」
「はあ……」
話が漠然としていていまいちぴんと来ないけど、そんな人がいるんだ。やっぱり王都って凄いな。けれどここら辺でそれらしき人物は見たことは無い。
「残念ですけど多分ここにはいないですよ。僕ら以外に住んでいる人いませんし」
「えっ、そうなの? なーんだ、残念」
それを聞いてセレナさんはがっくり肩を落とす。けれどその下がった肩を瞬時に元の位置に戻して言った。
「まあ、所詮は都市伝説。気長に探すわ」
「立ち直り早いなあ」
それじゃあ失礼するわね、と踵を返すセレナさん。
あ、そういえば僕もおつかいの途中だった。帰りが遅いとまたソフィリアが心配する。しかもそれが女性絡みだと知られたら彼女の暴走は必至なので、さっさと買い物を済ませて戻らなければ。
「じゃあ大通りまでは同じ道だし、見送りも兼ねて一緒に行かせてもらいますよ。この地区を出るまでにまた新しいチンピラグループと遭遇するかもしれないし」
「今更だけど物騒な所ね……。ま、あなたがいれば安心だけど」
「はいはいそれはありがとう。あと悪いけど、急ぐから走ってもらっていいですか?」
「あらあら、私と足で競うの? こう見えて運動は得意なのよ」
走ると言っただけで別に勝負するつもりはないのだけれど、向こうはもうすっかりやる気みたいだった。
結局セレナさんが一方的にスタートを切ってしまったので、僕も仕方なく追いかける。
オレンジ色に燃える太陽は既に遥か西の空へ傾いており、その反対側には夜の到来を告げる月が顔を出し始めていた。