第二十九話 料亭にて
その晩、ミラは久しぶりに外出することにした。
出かける用事は特に無かったし、必要性もいまいち感じなかったが、セレナが「長い間引き籠っているのは体に毒だ」と強く勧めてきたので無下にはしたくなかったのだ。
しかし、街の石畳を踏むのは本当に久しぶりだった。実験などで屋外には出たりするが、ここまで自宅から離れた場所まで来ることはほとんど無かった。
「なんか色んな人から見られてない……? 私、そんなに目立ってる? さ、サングラスぐらい付けてくるべきだったかしら……」
緊張のあまり軽く自意識過剰に陥っていた。こんな夜間にサングラスなどかけたら視界が真っ暗になりそうだが。それをツッコむ者はいない。
言われるがまま街に繰り出してしまったが、やはり何もやることが無い。というかもう帰りたくなってきていた。
とはいえ何もせずに戻るというのも無駄足ということになってしまいそうで嫌だった。
せめて食事だけでもしていくか。ということで、早速飲食店を探すことにした。
そうして歩いている間にも、様々な光景を見た。子供を間に挟んで歩く夫婦。落ちている餌を取り合う猫達。垣間見えるあらゆる営みが、ミラにとっては新鮮なものだった。
道端で若者がギターを弾いていたので、立ち止まって耳を傾けてみる。ミラ以外にも聴衆はいるが、多くはない。
若者はオーディエンスの数など意に介していないようだった。ただ、自分の奏でる音楽に魂を刻むことだけを考えているのか。
その妙に心地よく耳に残る曲と共に、ミラはまた歩き出した。
「うわあっ!」
不意にミラの前方で、一人の青年がつまずいて転んだ。
青年はすぐに立ち上がり、きまりの悪そうに通り過ぎていく。
その名前も知らない鈍臭そうな青年に、先日辞めていった助手の姿が重なった。
彼――ギルハイドは一月ばかり共にいた。
ドジで、ヘタレで、不器用な男だったが、どんな無理難題を押し付けても拒まずに受け入れてくれた。したがって全く使えない人間ではなかった。
けれど、結末はいつもと同じ。今までの助手と一緒で、耐えられなくなり去っていった。
いつもより長くいた。ただそれだけなのに、どうしてここまで気にかかる? まさか期待していたのか? 今度こそはずっとついてきてくれると。
「馬鹿みたい」
その一言で、片付ける。自分を納得させる。
理解を得ることなど、とうに諦めていた。今までも、これからも。
やがて瀟洒な看板を掲げている店を見つける。
「『料亭グラハム』。ここでいいわ」
聞いたことのない店名だったが、どうでも良かった。そもそもミラが知っている範囲など片手で数えられる程度なのだから。
けれど、ここから先は油断ならない領域である。ある意味戦場と言っても過言ではない。なぜなら、自分は普段から外食し慣れていないからだ。もしかしたら恥を掻くかもしれなかった。
ざっくり言えば、店員と上手く喋れるか不安なのだ。
恐る恐るドアを開けて入店すると、すぐに店員が近づいてきた。
「いらっしゃいませ。お一人様でございますか?」
「え、ええ。そうよ」
「こちらの席へどうぞ」
外食など滅多にしないので上手く店員と話せるかどうか不安だったが、違和感なく振舞えたようだ。ちょっとだけ得意げな気になりながら、ミラはカウンター席へ案内された。
夕食時ということもあり、店内はそれなりに賑わっていた。けれど大衆酒場とは違い、節操無く騒いでいるような輩はいない。ミラにとってはこれぐらいが落ち着いた。
渡された品書きからメニューを選ぶ。普段、食事はただの栄養補給としか捉えていないので食べ物に好きも嫌いも無い。だが、折角の機会だ。美味しいものを食べたい。
しばらく悩んだ末に注文を決め、店員を呼ぶ。
「仔牛の炭火焼きロースステーキ、サニートマトの弱火グリル添えを。飲み物は赤ワインで」
よし、ややこしい料理名だが間違えずに言えた。案外ちゃんとやれるではないか。安心しきった矢先だった。
「ソースはいずれになさいますか?」
「……え?」
追加質問という名の不意打ちが飛んできたのは。
「ホワイト、デミ、スパイシーからお選びいただけます」
「…………しゅぱいしーで」
「かしこまりました」
オーダーを復唱し、店員はスタスタと去っていく。勿論、一言一句噛まずに。
ナイフで自分の首を斬ろうか。割と真面目にそんなことを考えていた。
(ああああああああ! しゅぱいしーって、馬鹿なの!? 死ぬの!? 何よあの店員! 客が恥ずかしい思いしたっていうのにあんな澄ました顔して! どうせ心の中で私の事笑ってるんでしょーが!)
後半の部分はほとんど店員への八つ当たりになっていた。
羞恥に耐えきれず、ミラは真っ赤になった顔をテーブルへ伏す。
しばらくそのままでいると、頭の横でグラスとボトルが置かれる音がした。
それはさっき頼んだ赤ワインだった。ミラはのそりと頭を上げ、ボトルをひっつかみ、豪快にグラスへ注ぐ。そしてそれを徐にぐいっと傾け、一気に流し込んだ。
「はっはっは! 良い飲みっぷりだな。案外、飲めるクチと見たぞ」
静かな店内に見合わぬ快活な声がミラの耳に入った。
振り向くと、そこには金髪の美丈夫が白い歯を見せながら立っていた。
「アスフォル……」
「奇遇だな。よもやこのような場で会うとは」
彼は許可も得ずミラの隣の席に腰かける。
アスフォル・ウルドレッド。聖剣を携える、眉目秀麗の人。おそらく、王都で暮らしていて彼の名を知らぬ者はいないだろう。所属は国の魔導士でもきっての猛者達が集うギルド〈ジェネシス・ダイヤ〉。その中で最上位を意味する、ランク13の称号を持つ男だ。
つまるところ、ミラとは同ギルドの幹部仲間にあたる。
「で、なんであんたがここに?」
「ははは、愚問だぞ。飯屋に飯以外の用事で来るものか。店主、蜜酒を」
マスターに注文を入れるアスフォル。こうなってしまった以上、もう追い払うことはできまい。一人でゆっくりしたかったのに、とミラは肩を落とした。
それよりも気になるのは、客らの話し声だった。
(なあなあ、あの人って……)
(ええ、間違いないわ。私大ファンだもん)
(マジかよ! あ、じゃあ隣にいるあの人はミラたんか?)
今すぐにでも店から出たい気分だった。料理を注文していなければ絶対に席を立っていた。それと一瞬とんでもないあだ名で呼ばれた気がしたのだが。
アスフォルの方は周囲の目などどこ吹く風といった態度だ。もう慣れっこなのかもしれない。そっちが慣れていても私は嫌なのよ! と、ミラは心の中で毒づいた。
運ばれてきた酒を、アスフォルはミラの目の前に掲げた。
彼女には最初その行動の意味が分からなかったが、乾杯を求めているのかと遅れて察した。
半分以上空になっているグラスに急いでワインを注ぎなおし、アスフォルのグラスに軽くぶつけた。
それから美味そうに喉を鳴らしながらアスフォルは酒を飲む。まさに至福の時といった風だ。
「ふ~む。やはり仕事を終えた後の一杯は格別だ」
「仕事? ……ああ、あんた頼りにされてるもんね」
「はは、そう褒めてくれるな」
とは言いながらも、まんざらでもない様子で前髪をかき上げるアスフォル。その端麗な容姿もさることながら、ランク13の位に相応しい武勲も数多く存在する。
彼の持つ金陽剣ガラテインは、魔法武器の中でも『オリジナル』と呼ばれる一級品だ。それは人の手によって作られたものではなく、太古の昔に神が人へと下賜したと言われている。
ミラの目標は、このオリジナルに匹敵する武器を自らの手で作り上げることだった。その為に、アスフォルの愛剣をサンプルとして借り受けようとちょくちょく交渉しているのだが、中々首を縦に振ってくれないのが現状だ。
「しかし、今日の敵は想像以上にやり手だったようだ。よもや我が剣から逃れるとは」
「仕留め損ねたの? 珍しいこともあるのね」
「全くだ。無念よなあ」
アスフォルは僅かばかり表情を曇らせていた。
(いつも底なしに明るいと思っていたけど、そんな顔もできるんだ)
横目で見ながらそんなことを思っていた。今日は多くを語りたがらないのもその所為だろう。
こういう時は、何も聞かないのでおいてあげるのが大人の対応というものだろう。そもそも、最初からさほど興味など無いし。それよりもミラはやっと来たステーキを堪能する方に意識を割くことにした。
「嘘……? なにこれ、めちゃくちゃ美味しいじゃない!」
これはとても上質な肉を使っているらしい。口に入れた途端、旨味を放ちとろけていく。ぴりりと辛い、しゅぱいしーソースもアクセントを出すのに一役買っている。これを食べられただけでも、間違いなくこの店に立ち寄った甲斐はあった。
あまりの美味しさに思わず頬が緩みそうになるのを必死に抑えていると、しばらく黙って飲んでいたアスフォルが口を開いた。
「さてと、酒も回ってきたことだ。そろそろ今日の武勇伝を語ってやろうか」
「…………」
空気が読めないのか。人が折角食事を楽しんでいたのに。
てっきり落ち込んでいると思っていたらこれだ。この男は自分語りをしないと死ぬ病にでも罹っているのだろうか。
「そんな顔をするな。それに、これはお前にも関係のある話だからな」
「なによそれ。どういうこと?」
「まあ聞け。俺が一戦交えてきた相手はな、あのファヴニールなのだ」
その報告に、ミラは飲み込もうとしていたステーキを喉に詰まらせそうになった。
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