第二十八話 不器用な友人
ギルハイドがミラのもとを離れて七日経った日の昼下がりだった。
セレナは仕事の合間を見つけ、もとい無理矢理作って研究所へ向かっていた。
「もう。辞めたならもっと早く教えなさいよ、ハイド君」
自分が想像したよりも随分と長くギルハイドは居続けたようだが、やはり心が折れてしまった様だった。
「もしかしてあの子なら……て思い始めてたんだけどなあ」
やっぱり最終的には皆離れていくのか。それにしても連絡はして欲しかった。
生活能力が致命的に欠けているミラを一週間も放置するなど愚行の極みだ。最悪の場合、食事を忘れてぶっ倒れているかもしれない。
その事態に備えて差し入れを買い込んでおいた。手に持ったかごの中にはハムやらチーズやらが詰め込まれている。
住宅街を抜けてしばらく歩くと、原っぱの真ん中にぽつんと建っている研究所が見えてきた。こんな辺鄙な場所にミラが居を構えているのは、広い土地が必要なのと、周囲の目が邪魔だからという理由からだった。けれど、こういう時にはそれが仇となる。
「一人でいたいなら、なんでも一人でできるようになりなさいよ……まったく」
そんな愚痴をセレナはこぼしていた。
あの友人は人一倍周りからの助けが必要なくせして、他人と関わるのは苦手とする。皮肉というか、矛盾しているというか。だからこそ放っておけないのだが。
「ミラ~。私よ。開けて」
セレナはドアの前に立ち、飛んできた目玉オートマタに向かって中に入れるよう呼びかけてみるが返事はない。
「こりゃ完全に拗ねちゃってるわね……」
つくづく世話が焼ける友人だ。仕方なくセレナはもしもの時の為に預かっていた合鍵を使ってドアを開けた。
踏み込んだとたん、淀んだ空気と充満する埃がセレナを出迎えた。恐らくこの三日間一度も換気していないのだろう。
それになんだか不快な臭いもする。まるで洗わずに放置した食器のような……。
不衛生なのはいけないが、とりあえずこれで食事は摂っていることが分かり、一安心する。
階段を一段飛ばしで駆け上がり、ミラがいるであろう研究室に突入した。
カーテンも閉め切った、光の射さない室内。そこでミラはいつもと変わらぬ様子で作業を進めていた。
「ミラ!」
強く呼びかけ、彼女が反応するよりも早く椅子を半回転させて自分の方に向かせる。
その顔を見ると、セレナは「やっぱりか……」と頭を抱えた。
髪はボサボサとあちこちに跳ね、着ている白衣は汚れきってほとんど黒服と化していた。
重度の睡眠不足なのか目には濃いクマができている。ミラはその虚ろな瞳でセレナを確認すると、か細い声で言った。
「何……?」
「何じゃないわよこんな有様で……。最後に体洗ったのいつよ?」
「ん……三日前くらい」
「ご飯は?」
「今日は食べてないわね」
疲れが溜まっているのか、話している途中でもどこか浮の空だった。こんな状態でも仕事を続けていたのは流石としか言いようがない。
開いた口の塞がらないセレナを後目に、ミラは再び机に向かおうとした。しかし、そうはさせまいとセレナはミラの首根っこを掴み、部屋の外に引きずり出した。
「ちょっ……なにするの? やめ、やめて……!」
「大人しくしなさい! まるで数百年間地底の遺跡で封印されていた古代人みたいじゃない!」
「そ、その喩えは分からないわ……」
抵抗も虚しくミラは衣服を剥ぎ取られ、シャワー室にぶち込まれてしまった。
その間にセレナはとてつもないゴミ屋敷となってしまったこの家の掃除に取りかかる。
台所へ行って分かったのだが、未洗浄の食器はそこまで溜まっていなかった。ミラはこの三日間で一度か二度しか物を食べていなかったらしい。
食器よりも遥かに酷いのが物の散らかり様だ。紙ごみはまだしも、踏んだら怪我するような廃品や鉄屑まで無数に落ちているので危ないことこの上ない。
「はあ……。死因が『自分の捨てたごみを踏んづけて失血死』だなんて笑えないわよ?」
ミラ程の有名人が亡くなれば当然新聞にも書かなければいけないが、そんな残念すぎる最期を記事にしたくはなかった。
ため息交じりに片付けを進めていると、ある紙切れを拾った。
「これ、領収書じゃない。こんな所に放ってあるってことは、あの子会計も碌にしてないってこと!?」
流石にそれは一つの施設を運営する者としてどうなのか。セレナは頭を抱えたくなった。
何気なく読んでみると、どうやら何かの部品を買ったことが分かった。
「衛兵ホーク……ああ、この間ハイド君が弁償させられたっていうあれね。その部品代が……えっ?」
記入された数字に目を見張ったその時、バスローブ姿のミラが戻ってきた。
「何よ。ぼーっと紙切れなんか眺めて……」
「これどういうこと?」
セレナはミラに領収書を突きつけた。
「代金三十万ナックってどういうこと!?」
初めミラは何のことか分からないという顔をしていた。恐らく買い物したことすらすっかり忘れていたと思われる。
けれど、すぐに思い出したようだった。
「ああ、それね……」
「ハイド君に払わせたお金ってこんなに高くなかったでしょ?」
正しくはギルハイドに暗殺者から貰って来させたお金、だが。今そこは問題ではない。
以前、彼と共に富豪の屋敷に潜入した時、五万ナック請求されたと確かに語っていた。しかし、それとここに示されている金額には大きな差があった。
つまり本来は三十万必要だった所を五万しか取らなかった、ということか。
ミラはしばらくばつの悪そうな表情だったが、やがて開き直ったかのようにセレナから領収書を取り上げた。
「別に。足りない分は自腹切っただけだけど?」
「足りない分って……。これじゃあほとんどあなたが出してるじゃない」
「いいわよ。お金なんてどうせ余ってるし」
趣味らしい趣味も無いミラが言うと説得力はあるが、研究費用だって安くはない筈だ。そもそも、一体なぜこんな回りくどい真似を?
否。回りくどいからこそ、か。ミラは昔からそういう人間だった。
「気を遣うんだったらもっと分かりやすくやればいいのに……。不器用なんだから」
だからこそ、微笑ましくもあるのだが。
「何か言った?」
「ううん。なーんにも。ほらほら、片付けはまだ終わらないわよ。あなたも手伝って!」
至極面倒くさそうにしているミラに箒を押し付け、掃除を再開する。
できればミラの優しさを知る人が、少しずつでも増えてくれないだろうか。そんな親心にも似た感情がセレナにはあった。




