第二十七話 悪魔の誘惑
「なぜそのような薄着なのです? はっ、もしや私を誘惑しようと……?」
「違います」
それから家に帰ってきた後、しばらく居間で勉強していたらソフィリアが仕事から帰ってきてこの一言。
いやんと頬を染めるソフィリアを手で制し、暖炉の上に吊るされている衣類を見せる。
完璧にびっしょびしょになってしまった為、僕は服を脱がざるを得なかったのだ。
上半身は下着一枚なものの、不幸中の幸いズボンは替えがあった。もしパンツ丸出しだったらいよいよソフィリアの理性が持たなかっただろう。
森であったことを説明すると、彼女はやっと合点が行ったようだった。
「それにしても寒いなあ……。夕方になってきたからかな?」
「でしたら! 私が人肌で温めて差し上げま」
「毛布取って来るよ」
なんだか最近このノリに慣れてきている自分が怖かった。
席を立ち、身体に毛布を巻き付けてから戻ると、ソフィリアは既に夕飯の支度を始めていた。
僕も食卓の椅子に座り、勉強を再開しようと本の栞が挟まっている部分を開く。と、その前に。そういえばソフィリアに伝えておきたいことがあったんだった。
「あのさ。僕、今日バイト辞めてきたんだ」
「バイトというと……あの魔法研究所の? はあ、左様ですか」
別段驚く素振りは無い。まあ、バイトだったら今まで何回も変えてきたし、彼女にとっては定期報告みたいなものなんだろう。
でも、今回の別れはかなり後味が悪かった。僕も我慢の限界だったとはいえ怒り過ぎたとは思っている。かといって向こうに全く非が無いとは言ってあげられないしなあ。彼女が僕を酷い目に逢わせたのは事実だから。
今頃ミラさんはどうしているかな。多分、実験室の中は散らかっているだろう。釘踏んだりとかしてなければいいけど……。あと、また食事を忘れたりしているかもしれない。
って、なんでこの期に及んで僕はあの人の心配をしているんだ。既に終わった関係なのに。
「……さ、勉強勉強! 時間は有限。きっちり頭に入れないと」
本のページを捲る。脳裏に浮かぶミラさんの像を振り払うように。
明日からまた新しくバイトを探さなければならないだろう。例え魔導士になれたとしても、ランクの低い内は報酬の安い仕事しか回してもらえない。だから副業が必要なんだ。
そして薬草学の単元が終わった辺りで、ソフィリアが夕食を運んできた。
「どうぞ。冷めない内にお召し上がりください」
「わわっ、本の上に置こうとしないでよ! 危ないなあ」
間一髪で机から本をどかす。汚れちゃったらどうするんだ。弁償沙汰はもうこりごりなのに。
ソフィリアは僕の向かいに座り、淡々と料理を食べ始める。
あからさまに機嫌を悪くしている。僕が勉強を始めた辺りからずっとだ。昨日の夜もどこか不満ありげな態度だったけど、本当に何かあるのか?
「ソフィリア」
「はい」
いつになく事務的な返答だ。少し踏み込む勇気が削がれたけれど、今後ずっとこんな調子じゃやっていけない。聞くべきことは聞いておこう。
「何か、不満があるの? 僕が試験勉強することに」
「! ………」
僕が問いかけると、ナイフとフォークを動かしていた手が一瞬だけ止まった。
図星を突かれて観念したらしい。ソフィリアは食べようとしていた肉一切れをとりあえず飲み込むと、口元を拭い、それから僕の目を見て話し始めた。
「はい。不満大アリでございます」
「なんでさ!?」
ソフィリアは僕の夢を応援してくれるものとばかり思ってたんだけど?
その旨を話すと、ソフィリアは「それはそうなのですが……」と口を尖らせた。
「ギルハイド様が魔導士になってしまったら、私の存在意義が無くなってしまいますわ!」
「な、何だって……?」
僕の目が点になる。
「本音を申し上げますと、私はバイトもなさって欲しくないのです! ギルハイド様の生活は全て私が養いたいのですから!」
色々と吹っ切れてしまったのか、もはや彼女は腹の内を一切隠そうとはしなかった。
「えーっと、それはつまり、僕にヒモになれと?」
コクコクッ、と首を縦に振るソフィリア。
「そっかあ……」
やっぱり、こういうところでソフィリアは悪魔なんだなって実感する。
魔族は手に入れたいと感じたものはとことん甘やかす。自分じゃ何もできなくなるまで愛玩してしまえば、それはもう相手の全てを奪ったのと一緒だから。
ソフィリアは僕に依存して欲しい訳か。もう結構お世話になっていると思うんだけど。
「今、私が生きていられるのはギルハイド様がいらっしゃったからです。私が処刑されそうになっていた時、貴方は己の身も省みず助けてくださりました。そこで私は決心したのです。この方の為に全てを捧げようと」
「たったあれだけのことで、重く考えすぎだって……! 結婚相手でもない人にいつまでも寄生したくないよ」
「ならば結婚しましょう」
「なんでそうなるんだー!」
僕の叫びが、誰もいない住宅街に響いた。
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