第二十五話 衝突
翌日の出勤は過去最大級に気が重かった。
行く途中で何度も引き返したくなったけれど、その都度自分を奮い立たせて歩を進めた。
研究所の前まで辿り着くと、いつものように目玉のオートマタが飛んできて僕を見つめる。最近はなんだかこの子にも愛着が湧いてきてしまった。
「…ミラさん。僕です。ギルハイドです。入れてください」
目玉に向けて恐る恐るそう告げた。
すると程なくして扉からガチャッと解錠の音が響いた。これで開けて貰えなかったらいよいよ解雇を確信するところだった。
とはいえまだ安心はできない。彼女はまだ怒っているかもしれないから、慎重にいこう。
一体どんな態度で顔を合わせようか。研究室のある二階に上がるまでの間、そればかり考えていた。ミラさんだって恥ずかしい思いをしただろうし、昨日のことはもう無かったかの様に振る舞うのも一つの手かもしれない。けれど、ここはしっかり謝った方が良い気もする。
「あーもう、どうすればいいんだ……」
そうこうしている内に部屋のドアの前まで着いてしまった。
ドアノブに手を掛けようとした時、僕の中の黒い感情が声を上げた。
(どうしてそこまでしてあの女に傅く? 散々こき使った挙句、何一つの感謝も示さない。あいつはお前を代わりの利く道具としか思っていないのに)
うるさい。
ミラさんは、そんな人じゃない。
(引き返せ。そしてもう二度とここには戻って来るな)
暗く、甘い囁きから逃げるように、僕は勢いよくドアを開けて部屋に入った。
そこにはいつもと変わらぬ様子で作業をしているミラさんがいた。
机の上に乗っているのは昨日壊れた電撃ハンマーだ。そして周囲には例のごとく部品類が散乱している。きっと夜通しで修理していたのだろう。
「…………」
「…………」
ミラさんが無口なこともあり沈黙自体はいつもの事だ。けれど現在のこれは普段とは違う重苦しいものだった。
「お、おはよう、ございます」
「……おはよう」
震え声でどうにか絞り出した挨拶に、彼女は間をおいて返事した。その無機質な声色から彼女の心境を想像するのは困難だった。
まだ怒っているのか? 作業中のミラさんは自身の手元から目を逸らそうとしない。
「あの、本当に反省してますから……」
「掃除、しておいてくれる? だいぶ散らかってるから」
僕の台詞が終わらない内にミラさんは言う。蒸し返したくなくて意図的に遮ったのか、単に聞こえていなかっただけなのか。それは分からない。
指示を出されてしまった以上、それに逆らってまで彼女に話しかける口実は無い。僕はいつものように掃除用具入れから箒とちりとりを出し、ゴミを片付け始めた。
実験台の他に、僕にはもう一つ重要な仕事がある。それがこうした掃除片付け、その他諸々の家事だ。特にこちらはミラさんにとって死活問題であることがよく分かった。研究の方に頭のキャパシティを全振りしているのか、私生活の面において彼女は壊滅的だ。危ない薬品で汚染された器具なんかも平気でその辺に放置するし、時折作業に没頭しすぎて食事を忘れたりもする。ここまでくるともう、ずぼら云々以前の問題だろう。
女性なんだから、とか差別的なことは言いたくないけど、それにしてももう少ししっかりして欲しい。まあ、実験台になるのと比べたら家事の方が断然楽だけど。
掃除が終わった後、ミラさんがお腹空いたと言ったので朝食を作ってあげることになった。
家ではソフィリアに作って貰っているけど、料理もそこまで苦手という訳ではない。パンがあったのでそれを適度な大きさにカットし、卵をベーコンと共に焼いてサンドすれば簡単な朝ごはんの出来上がりだ。これでご機嫌が取れると良いんだけどなあ……なんて少々打算的なことも考えていた。
それを持っていくと、よほど空腹だったのかミラさんは飛びつくようにそれを食べた。
もきゅもきゅとサンドイッチを頬張る彼女はなんだか小動物のようで可愛らしい。相も変わらず無表情ではあるけど。
食べ終わるとすぐ、ミラさんは修理が終わったばかりのハンマーを机から持ち上げた。
嫌な予感がした僕は、恐る恐る尋ねる。
「あの~、何をするおつもりで?」
「決まってるじゃない。改良も済んだし、さっそく性能を試すのよ」
「ですよねえ」
僕は頭を抱えた。
あれよあれよという間に、僕は再び実験場まで連れ出されてしまった。
眼前で素振りをしているミラさんに、上手くいく確立は低いだろうが説得を試みる。
「食後すぐの運動は危険ですよ? やめておいた方が……」
「馬鹿言わないで。私には無駄にできる時間なんて一分たりともないの」
だめだ。何が何でも断行するつもりだ。
「大人しくしてればすぐに終わるわ。大丈夫、ある程度の怪我だったら魔法で治してあげる」
「だからそのある程度を越える可能性をなんで考慮しないんですかね」
「恐れは発展の敵よ」
ミラさんは平然とそう言ってのけ、ハンマー、ミョルニル・イミテーションを起動する。
魔法武器とは普通、持ち主が魔力を流し込んでやることでその能力を引き出す。その特性の為、対応しない属性だとその武器は扱えないという欠点が存在する。例えば、水属性の人は土属性の魔法武器は使えない、という感じだ。
けれどミラさんはその問題を見事解決した。彼女は武器そのものに魔力を帯びさせることに成功したのだ。細かい理論は僕も分からないので省くけど、武器に内蔵したバッテリーに魔力をチャージし、それによって力を発揮できる。
つまり、火属性使いの僕でもこのハンマーを使えば実質的に雷属性の攻撃ができるという事。
そんな革新的な武器も、こうして自分に向けられてしまえば恐怖以外の何物でもないのだが。
「それじゃあ、覚悟なさい!」
「やあああめえええてえええええ!!」
僕は半泣きで駆け出す。
しかし、数歩進んだところで足が動かなくなってしまった。
「えっ?」
足元を見下ろすと、そこには魔法陣のようなものが地面に現れている。それが僕の動きを封じているようだ。
背後から歩み寄るミラさんが勝ち誇ったように言う。
「昨日みたいにはいかないよう、トラップを仕掛けさせてもらったわ」
「そ、そんな!」
必死に抜け出そうとするが、ミラさんの張った罠が簡単に壊れる筈もなかった。
「いっくわよ……『スパーキングクラッシュ』!」
間合いに入ると、ミラさんは汗を浮かべながらもハンマーを垂直に振り上げた。
雷が、僕に向かって落ちてくる。それは錯覚ではない。この戦鎚の一撃は天からの怒りにも等しいのだから。
もう、いやだ……!
僕は涙目になりながら、身を守る魔法を震える唇で紡いだ。
「『プロテクション』!」
直後、僕の視界は眩い光に包まれた。
――辛い、怖い、逃げ出したい。暗い声が大きくなっていく。
僕はその場から数歩後ずさって、へたり込んだ。足を拘束していたトラップは今の一撃で破壊されたようだった。
僕の立っていた場所を中心として円形に焦土が広がっている。その範囲の大きさが、改良による出力の向上を示唆していた。
けれど、絶句しているのは僕だけじゃないようだった。
「どういうことなの……? プロテクションって……そんな初級魔法で防げる筈が……」
何かブツブツ呟いているが、僕にとってはもうどうでもいい事だった。
これで完全に理解した。この人は自分の研究の為なら他人の身なんてどうでもいいんだ。
そんな人間とは、未来永劫仲良くなれる気がしない。
(立ち去れ。この女を見限るんだ)
暗い声が僕を誘う。逆らう意思はもうとっくに消え失せていた。
ズボンに付いた汚れを払いながら、僕は立ち上がる。
「ミラさん、あなたには幻滅しました」
「は? 何言って……」
「人を人とも思わないあなたの下で働くのはもううんざりなんです!! 僕は貴方の道具じゃない!」
「落ち着きなさい、私は、そんなこと……」
「辞めさせて頂きます。今月分の給料はいりませんので」
もう、顔を見るのも嫌だった。だからさっさと、言う事を言って立ち去ろうとした。
きっとこの先関わることは二度とないだろう。ここまで関係が破綻してしまえば、未練なんて湧かない。それは向こうだって同じだ。僕がいなくなったってどうせまた新しい助手を見つけ、同じように酷使するのだろう。
それでもどうしてか、一度ちらりと振り返ってしまったのだ。どこまでも割り切ることが苦手な僕の、最後の迷いだったのだろうか。
そして見てしまった。ミラさんの、心底傷ついたような顔を。鉄面皮な彼女があんな表情できるなんて、今まで考えてもみなかった。
それでも僕の歩みは止まらなかった。もう、遅すぎたのだ。




