第二十四話 募る不信
すらりとした肢体に控えめな胸。普段は白衣によって分かりづらかったが、案外スレンダーな体型をしているようだ。
濡れて光沢を放つ長い白髪が、それと同じくらいの美白を持つ身体に絡まっていてとても艶やかだった。
そこに卑しい感情は芽生えなかった。生まれたのはただ一つ、その神々しいまでの美しさに対する畏怖のみだ。
「綺麗……」
謝罪も忘れ、ついそんな単語を口走った時だった。僕の顔面にビーカーが飛んできたのは。
今日はいつもよりもだいぶ早く勤務を終えてしまった。
ビーカーをぶつけられ痛む鼻柱をさすりながら、僕は天を仰いだ。不幸に見舞われた僕にさえも、太陽は平等に光を注いでくれている。それだけでも十分に元気が出る……訳がない。
散々罵倒された挙句、僕は研究所から追い出されてしまった。
なぜミラさんがあの場に全裸でいたのかというと、どうやら彼女はシャワーを浴びたはいいが着替えや体を拭くタオルを忘れてしまったらしい。
そこで服を持ってきてもらおうと僕を呼んでいた。けれど配達屋さんの相手をしていて気付かなかった為、仕方なく自分で取りに行こうとしたところに間の悪い僕が戻ってきたとのこと。
僕は肩を落とし、失業者よろしくとぼとぼと街を歩いていた。いくら人手不足で困っているとはいえ、流石のミラさんもいよいよ首を切るつもりではなかろうか。
「そもそも、なんであそこまで怒られなきゃ……」
不安だけではなく、段々と鬱憤まで溜まってきた。
僕だってワザと見た訳じゃない。それを説明したうえでちゃんと謝ったのに。
怒りで体力が減ったのか、僕のお腹が弱々しく鳴った。それと同時に、思い出したように僕は脱力感に襲われる。
少し離れた所に建っている時計塔を見ると、長針と短針が共に真上を指そうとしている。そうか、もう昼ご飯の頃合いか。まったく、とんだ目に逢ったというのに空腹はいつも通りやってくるらしい。
とりあえず時計塔の前の広場に行って、ご飯を食べよう。仕事のある日はいつもソフィリアに弁当を作って貰っているので、わざわざお店を探す必要はない。まあ、たまにファストフードとかも欲しくなるけど、それは内緒の話。
時計塔の周りには大きな花壇があって、丁度この時期は様々な種類の花によって彩られる。今日は このカラフルなアートを見ながら食事としよう。僕はベンチに座った。
赤、黄、紫、ピンク。花弁の色も形もそれぞれ違う花々がひしめき合い、それらの中心にそびえたつ時計塔の重厚さが面白い対比を生む。
現実逃避にしかならないだろうけど、それでもいい。今はこの景色に思う存分見惚れよう。
弁当も食べ終わって、遂にすることが無くなった。
しょうがないからもう家に帰ろうか。でもその前に、広場の掲示板をチェックしておこう。もしかしたらギルドの試験の通知があるかもしれないからね。
掲示板には何枚かの紙が貼ってあった。ゴミ拾いボランティアの勧誘や、新聞の号外。その中に、僕の探し求めていた情報があった。
――魔導士ギルド〈ブレイブ・クローバー〉採用試験のお知らせ――
ビンゴだ。その見出しが目に入った途端、僕の口角が上がる。
ブレイブ・クローバーは比較的安価で依頼を受けてくれる、いわゆる庶民の味方という立ち位置にあるギルドだ。
だからといって実力も侮ってはいけない。ランク13を務める人は、過去に数々の武勇を成し遂げた超人という触れ込みだ。
ギルドの場所がちょっと家から遠いという難点はあるけど、そんなのは些細な問題だ。
よし、試験を受けよう。そうと決まれば勉強だ。図書館に寄って本を借りてこなければ。
明らかにさっきよりも軽い足で、僕は颯爽と駆けだす。
「っと、危ない危ない。忘れるところだった」
後ろ歩きで逆戻りし、当日の予定をしっかり確認する。肝心の試験日が分からなかったらどうしようもないからね。
記された情報をすべて目に焼き付けてから、僕はその場を去るのだった。
その日家に帰ってからというもの、僕はずっと魔導書を読み耽っていた。
魔導士の採用試験は、筆記と実技の二つがある。それぞれ二つとも合格点に届かないと雇ってもらえない。魔導士は文武両道がモットー、という事だ。
だからこうして頭の鍛錬も怠ってはいけない。特に僕は学歴が無い分、自力で補わないと。
「――ハイド様、ギルハイド様」
「わっ!?」
肩を叩かれ、僕はビクッと腰を浮かせた。
振り向くと、ソフィリアが心外そうな顔で立っていた。
「ご、ごめん」
「もう夜も更けております。そろそろお休みになられてはいかがでしょう?」
「……あー、ほんとだ」
窓の外は気付かない内に真っ暗になっていた。
どうやら想像以上に没頭していたらしい。何せソフィリアが近づいてきても分からなかったぐらいだ。無理もない。
僕は半分を超えたあたりまで読み進めた本を閉じ、大きく伸びをした。
「精が出ておりましたね」
「そりゃそうだよ。もう不採用通知は受け取りたくないからね」
苦々しい思い出を振り返りながら、僕はソフィリアが持ってきてくれた紅茶を口へと運ぶ。どうやら蜂蜜が溶けているらしく、疲れた頭に糖分がとてもよく効いた。
次こそは絶対に受かってみせる。本物の魔導士になるんだ。って思うのはこれでもう何度目だっけ。
「お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
空になったカップにお代わりを注いだソフィリアが、何やら意味ありげな顔で僕の顔を覗き込む。
「ど、どうしたの。そんな風に改まって見つめられると、照れるよ……」
「私には不思議でならないのです。およそ誰よりも戦いを嫌っている貴方が、何故魔導士などを目指していらっしゃるのか」
「え? ああ、そういうこと」
確かに争い事は好きじゃない。そんな僕が魔導士を目指すのは矛盾した願望に見える、と言いたいのか。
僕はカップに再び満ちた甘いお茶を一口飲む。
「僕、小さい頃から落ちこぼれだったんだ。ドジでのろまで軟弱で。友達からも笑われてた。それでも一つだけ褒めてもらえることがあってね。それが、魔法だったんだ」
暖炉の中で揺らめく炎の奥に幻視したのは過去の光景。内に秘められた才能が、初めて開花した時の喜びの記憶だ。
「嬉しかったな。こんな僕でも誇れるものがあるんだって思えたから」
「それが魔導士を目指す理由、でございますか」
「そう。僕にはもう、これしかないからね」
僕は掌の上にぽっと火を灯し、すぐに握り潰して消す。なんにも無い僕に唯一残されたこの力で、誰かの役に立ちたい。
「それじゃ、もう少しだけ勉強するよ。先に寝てて」
「ギルハイド様、それは……」
「ん?」
「いえ、なんでもございません。それでは、くれぐれも無理をなさいませんように。カップは後程回収に伺いますので」
「う、うん」
そう言うとソフィリアはポットを持って部屋から出て行った。
明らかに何か伝えたそうにしていたけど、一体どうしたんだろう? 確かめたいけど、わざわざ追いかけていくのもなんだしなあ。
「まあ、大事なことならその内あっちから話してくるか。それよりも勉強の続き続き。魔力学の単元はもう済んだし、次は歴史をやろうっと」
紅茶を一口含みながら、再び本へ向かう。春の夜は未だ終わりそうになかった。




