第二十三話 重労働な日々
「ハイドオオオ! 待ちなさああああい!」
「待ったら殺すでしょー!!」
「上等じゃない! あんたは人類の発展の礎になるのよ!」
意味の分からないことを言いながら、ミラさんが大きな金槌を担いで追いかけてくる。荘厳な装飾が施されながら、殴打部に一本生えた太い棘がその殺傷能力を雄弁に語っている。
余程の恨みを買わなきゃここまでされないと思うんだけど、いかんせん僕は彼女に何もしていない。にも拘らずミラさんは攻撃してくるのだからどうしようもない。
「い、い、か、げ、ん、に! しなさい!」
高く跳びあ上がるミラさん。太陽を背に隠し、頭上へハンマーを掲げる。
落下の勢いに、そんなに無いであろう彼女の体重も加わり、いよいよ最大の火力を生もうとしていた。
死に物狂いで前方へヘッドスライディングした刹那、すぐ後ろで雷でも落ちてきたかのような轟音が響いた。ドンガラガッシャーンという効果音をそのまま聞いたような感じだ。
振動が地面を経由して僕の体にビリビリと伝わってくる。
現在、僕は研究所の裏にある空き地で、ミラさんの新兵器をその身で試している。もとい、試させられている。
最低限の防具は着せてもらったけど、ハンマーで叩かれるなんて冗談じゃない。しかも正確なデータが取れないから防御魔法も禁止だなんて言うからいよいよ鬼畜の領域だ。
肩で息をしながら、ミラさんが勝ち誇ったようににじり寄ってくる。
「ぜえぜえ、追い詰めた、わよ……。観念なさい」
「ど、どうかお許しを……」
「大丈夫。色んな実験をしてきたけど、死者が出ることは無かったわ。だから平気よ」
踏み切る根拠が軽すぎる。
もしかしたら初めての死亡事故になるかもしれないじゃないか……。過去に起こらなかった事が今起こるかもしれないって発想が無いのか。
けれど突然、ミラさんの持ったハンマーの柄の付け根から凄い勢いで煙が噴き出てきた。
「ちょっと、何? 故障? もう、なんでよ……」
もくもくと上がる煙に咳込みながらも地団太を踏むミラさん。
「仕方ないわ。実験はこれで終わり。部屋に戻って修理しなきゃ」
「た、助かった……」
彼女の言葉が天の助けにも聞こえた。
ハンマーを大事そうに抱え、研究所へと踵を返すミラさん。しかし、次第に足取りが覚束なくなり、よろけてしまった。
「だ、大丈夫ですか!?」
「べ、別にちょっと疲れただけ。そりゃそうでしょ、こんな重い物振り回してたんだから」
近くまで寄って見てみると、確かにミラさんは汗だくだった。いつも研究に没頭しているだけあって、やっぱり運動不足なのだろう。
疲れたのは僕だけじゃないってことか。
「じゃあ、持ちますよ。それ」
「それ、じゃない。ミョルニル・イミテーションよ」
「はいはい」
ミョルニル。神様の所有する武器、神器の一つ。雷を自在に操れる鎚、だっけ。なるほど、だからその模倣品という訳か。
神器の模造の名に恥じぬよう、造形も荘厳に仕立ててあるのも納得だ。
僕は彼女の手からハンマーを受け取った。
確かに、これはかなりの重量だ。持った瞬間体のバランスを崩しそうになってしまった。
「落とすぐらいなら返して」
「い、いえ、なんのこれしき!」
ミラさんに横目で不安げに見られながら、僕は一歩一歩足を進めた。
それから普段より数倍近くの時間をかけて研究室へと戻った。
僕はミラさんに言われた通りハンマーを作業台に置くと、防具も脱がずに水の入ったボトルに飛びついた。
冷たい液体が喉を流れ落ちていき、癒しをもたらしてくれた。
やれやれ、この有様じゃ他人に運動不足だとか言う資格ないな。魔導士には体力も必要だろうし、トレーニングでも始めようか。明日から。
革の胸当てや小手を外していると、ミラさんがやってきた。
「助手のあんたまでへばってどうするのよ。もう」
「あっ」
彼女はボトルに手を伸ばし、そのまま中の水を飲んだ。さっき僕がそれに口を付けたことは露とも知らないようだ。
僕の表情が固まっていることに気付き、ミラさんは怪訝な顔をする。
「何よ。どうかした?」
「いえ、特には」
知らぬが華。あるいは知らせぬが華、か。とにかくお互いの為に黙っていよう。
「まあいいいわ。汗かいちゃったし、シャワー浴びてくる」
そう言い残し、ミラさんは去っていく。
程なくして、シャワー室の方から水の流れる音が聞こえてきた。やれやれ、これでしばらくは一人になれる。
さて、束の間ではあるが休息を摂ろう。この後に待ち受けているであろう重労働に耐えられるよう、少しでも休んでおかなければ。
椅子に腰かけ、思考をぼーっと浮ついた状態に移行する。
確か、もうここで働き始めて一月だっけ。こんなに長続きするなんてって、セレナさんが驚いていた。どうせすぐ音を上げて逃げ出すとばかり思っていたんだってさ。
まあ、辛くないと言えば嘘になる。むしろとてつもなく辛い職場だ、ここは。
仕事の無い週一度の休日以外はいつも、大げさな表現抜きで死の淵を歩いている。今日なんかはまだましな部類で、酷い時なんか燃やされたり氷漬けにされたりなんかよく分からない薬を飲まされた挙句とんでもない副作用が起きたりした。
そのくせミラさんは何一つ悪びれる様子を見せなければ、労いの言葉をかけてくれることもない。いくらなんでも人としての尊厳を軽視しすぎではないだろうか。
勿論、一流の魔導士として彼女のことは敬っている。でも正直、もう初めの頃みたいな「期待」は失せてしまっていた。
「所詮、僕は道具なのかな……?」
零した声が、無音の室内によく響いた。
生憎と僕は聖人君子でもなければ英雄でもない。感謝という見返りは人並みに欲してしまうのだ。
『ごめんくださーい』
突然近くで声がして、僕の意識はうつつから引き戻される。当然この部屋には僕しかいないし、誰かが勝手に上がり込んできたわけでもない
顔を上げると、部屋の隅に置いてある水晶玉が光っていた。声はここから聞こえてきたのだ。
この研究所の周りには巡察用のオートマタが配備されている。ここへ来た初日にも出会った、宙に浮かぶ目玉がそれだ。
その目玉の見ている景色が部屋に置いてあるこの水晶玉に伝達され、外の様子を知ることができるのだ。また、これを通して外にいる人と会話もできる。
覗き込むと、小包を持った配達屋らしき男性が立っていた。
「はい、お待ちください」
そう伝えていそいそと玄関まで行き扉を開けると、郵便屋さんの頭上であの機械目玉が浮遊していた。この子もしっかり働いているようだ。
「こんにちは~。アシスタントの方ですね? ミラ・イスタさん宛てにお届け物です。こちら、領収書です」
「ありがとうございます」
荷物を渡すと、配達屋さんは自転車を漕いで去っていった。こんな街はずれまでご苦労様です。僕は心の中で頭を下げた。
しかし、これはなんだろう? 領収書を見てみると、どうやらこの間壊れた衛兵ホークのパーツらしかった。ようやく買えたのか。
あいつの修理費用を稼ぐために暗殺者とまで戦ったんだ。蘇った暁には感謝の言葉の一つでも述べてもらいたいものだ。そんなことを考えながら僕は研究室まで戻るとそのドアを何の遠慮もせずに開け放った。
誰もいないと、思い込んでいたのだ。
「……え?」
「……は?」
部屋に一歩踏み込んだ瞬間、ミラさんと目が合った。
彼女は一糸まとわぬ姿で、体中から水滴を垂らしてそこに立っていた。




