第二十二話 長い夜の終わり
ガメルさんが殺人犯……? この気の弱そうなおじさんが? 割と僕と似た者同士だなって感じていたのに。
既に人間へ変身したソフィリアも目を丸くしている。中でもガメルさんの狼狽ぶりは常軌を逸していた。
「ででっでででで出鱈目を言うな! め、名誉棄損だ! こんなの!」
「そうだよ! いくらなんでも酷いんじゃないの?」
「いいえ、ノワルの言っている事は紛れもない真実よ」
聞き覚えのある声が、庭に響く。
後ろを振り返ると、いつの間にかセレナさんが屋敷から出てきていた。
彼女は険しげな表情で、僕の隣で汗にまみれているガメルさんへ詰め寄る。
「貴方の部屋の壁から女性の遺体が出てきたわ!」
遺体。
その物騒な単語に僕は身震いした。
「あれは奥さんね? どういうことなの!?」
「ち、ちが……」
「自分の口から言う気にはならねえか。だったら代わりに俺が説明してやるよ」
否定しようとしたガメルを遮り、男――ノワルと呼ばれた男が語り出す。
浪費癖の悪いガメルとは対照に、彼の妻は倹約家だった。詐欺同然に市民から金をむしり取る彼のやり方にも反対していて、夫婦仲は良くなかったらしい。
ある日、遂に堪忍袋の緒が切れた妻がガメルの金を全て金庫に入れてしまったらしい。開ける為の暗号は彼女しか知らず、これで無駄に財産を消費することは無くなると思われた。
怒り狂ったガメルは奥さんを拷問した。口にするのも憚られる程のえげつない責め苦に耐えかね、妻は金庫の暗号を白状してしまった。
そして妻への仕打ちが発覚するのを恐れたガメルは、そのまま妻を壁の中に閉じ込めてしまったのだ。
「偶然その事実を知った、妻のご遺族が泣きながら話してくれたぜ。法で裁かれないあの外道を断罪してくれってな」
ノワルの言葉を聞いて、僕は視界がぐらつくのを感じた。
つまり、僕の傍でカタカタ震えているガメルさんは、私欲に狂って奥さんを殺した極悪人ということになる。
「わしは……! わしは、悪くない! 全部あのケチな女の所為なんだ!!」
「だ、そうだぜ? 御覧の通り反省の色無しときた。守る価値なんざねえって、思えてきただろ?」
勝ち誇ったように僕を見つめているノワル。分かったならそこをどけ、と言わんばかりに。
死体が見つかっている以上、ガメルさんはもう罪を犯してしまった。それを認めなければならないのは他でもない僕だ。
僕はぎゅっと拳を握り絞めた。
確かに、この人は誰かから殺したいぐらいに恨まれている人間かもしれない。けれど――
「ここは、通さない」
「何……? 話を聞いていたのか?」
「聞いていたよ! でも、償うことは生きている内しかできないから!」
なによりガメルさんが、まだ罪を悔いていない。有無も言わさず殺したって、それのどこが断罪になるというんだ。
「君がやっているのは、復讐の代行だと思う」
僕は暗殺者という仕事を経験したことは無いし、今後したいとも思わない。そんな自分がプロ相手に意見するのはどうかという懸念はあったけど、少なくともこの件に関してだけはそう言える。
ノワルは歯軋りしていたが、やがてこちらに背を向ける。
「行くぞ、カノン。こいつがここで立ち塞がってる限り、任務は遂行不可能だ」
「お、お兄ちゃん……」
「勘違いするな。お前の言い分に納得した訳じゃねえ。はっ、復讐の代行だと? 一向に構わん。俺は、俺達が生きていく為に殺す。それだけだ」
振り向きざまに彼は僕を睨みつけ、次の瞬間二人揃って門の外へと駆けていってしまった。
一拍遅れて追いかけたけど、門をくぐったところで既にもう姿は消えていた。まるで夜の闇に溶けてしまったかのようだった。
ノワルとカノン、か。不思議な兄妹だった。あの二人がどんな人生を歩んできたのかは想像に余る。それでも、人の命を奪う仕事は肯定するべきではない。と、僕は思う。
「……あっ」
しみじみとしている場合じゃない。
五万ナック、貰えなかった。
こんな大事なこと忘れる筈ないと信じきっていたけど、見事に頭からすっぽ抜けていた。そして思い出したのは全て終わってからという、なんという間の悪さ。
僕は膝から崩れ落ちた。明日からタダ働きだ。泣いていいだろうか。
「ギルハイド様」
声を掛けられ、流そうとしていた涙を止めて振り向く。
「ソフィリア……。あっ、そういえばガメルさんはどうなったの?」
「赤毛の記者から色々聴取されている所ですわ。お戻りになられますか?」
「いや、いいよ。僕らも引き上げようか」
この間の名刺の件もあるし、その記者がセレナさんだと勘付く前にここを離れよう。
「あのっ」
歩き出そうとすると、彼女は遠慮がちに僕の手を引いた。そして、上目遣いでこちらを見つめる。
「デートの、続きは……」
「ええ……、もう無理じゃない? すっかり遅くなっちゃったし」
「そ、そんなあ……」
な、涙目で見ないでよ……。確かに僕も残念だけどさ……。
「ほら、怪我もしてるんだからさ、今日のところは帰ろう?」
「そ、そんな、この程度の傷など……あうっ!」
「それみたことか……」
「うう……」
脚の抑えてうずくまる彼女に、僕はただただ心を痛めていた。
けれどそれと同時に、不謹慎だけどちょっと嬉しくなってしまった。こんなにも楽しみにしていてくれたなんて。
まったくもう、しょうがないなあ。
「そーれっと!」
「ひゃんっ!? ギ、ギルハイド様!?」
「怪我人を歩かせるわけにはいかないでしょ。今日はこれで我慢して」
ソフィリアを仰向けに抱き上げ、両腕で支える。俗にいうお姫様抱っこというやつだ。僕の体力じゃ家まで持つか不安だけど、まあ何とかなるだろう。
最初は驚いて口をパクパクさせていたソフィリアだけど、やがて幸せそうな顔で僕に身を預けてきた。
今度また、彼女をお出かけに誘おう。弁償代の事もあるし、しばらくは忙しくて無理かもしれないけど、絶対にいつか。
今回の後日談。
結局、ガメルさんは逮捕されたそうだ。調べを受けている内に、詐欺や賄賂などの余罪も次々と出てきたみたい。なんでも彼は以前から近隣の住民に対して法外な搾取を行っており、評判も良くなかったらしい。
セレナさんはというと、いち早く事件を白日の下に晒したということで評価され、そのお手柄によって特別ボーナスが支給されたんだとか。でも本命のブラッディ・ハートについては何も掴めなかったのが心残りだってさ。
ウェインさん達は、負傷こそしていたものの命に別状は無いらしく今は療養中とのことだ。
それともう一つ、これが僕にとって最も重要な事柄だ。
ミラさんの研究所のポストに差出人不明の封筒が届けられて、なんと中には五万ナック分の貨幣が入っていたのだ。それには手紙が同封されていて、下手な字で「ごめんね」と書かれていた。
多分、カノンだろう。あの後律儀にもお金を用意してくれたということか。暗殺者ながら、どこか憎めない娘だ。
僕は、いずれ彼女とは街中でばったり会う気がしてならない。




