第二十一話 闇を焦がす炎
「まだ立つのか? 魔族というものはしぶといな」
うんざりした様子のノワルと、それに相対するソフィリア。
凶星に喰われ、魔弾に体を蝕まれても尚彼女は倒れなかった。体中から血を流しており、負傷は軽くないことは明確だというのに。
お互いに魔法を撃ち、避け、それを何度も繰り返した。
ノワルもいい加減付き合っていられなくなってきたか、ため息を吐いた。
「もういいだろ。無視したことなら謝ってやるからそこをどけ」
「嫌」
「何故だ」
「言ったでしょ? ギルハイド様に死体を見せたくないの。あの人は、この男が殺されたらこう思うわ。自分の所為だって」
「ああ?」
「目の前で誰かが傷ついたら心を痛めて責任まで感じてしまう。わたしの主はそういう人間よ。なんで特に関わりのない相手にそこまでって、理解に苦しむけれど――」
彼女は泡を吹いて横たわっているガメルを見やる。その赤い目には決して消えることのない光が灯っている。信念という光が。
「わたしは、そんなギルハイド様の在り方を否定しない!」
大切な人に悲しむ顔をさせたくない。彼女の根底にあるものはそれだった。
「だったら、もう一切の容赦はしねえ。任務を妨げる者は、始末する」
ノワルにも一応のプロ意識というものがあった。標的以外の人間は殺さない。なるべくその矜恃は守るつもりだが、どうしても邪魔立てするのであればそれはもう任務遂行に必要な行為として排除する。
ナイフを手に、ノワルはソフィリアへ斬りかかる。先程まで使っていた投擲用のものではなく、必殺の為の大型のダガーだった。
更にその刀身に魔力を纏わせ、殺傷能力を増幅させる。宣言通り、一切の加減はしないということか。
「『アイシクル・ワルツ』!」
ソフィリアは氷の剣を六本作り出し、自身を囲むように浮かべる。
(残っている魔力では、この数が限界ね……)
暴食月に取り込まれた際、大半の魔力を吸収されてしまった為、彼女の魔力は底尽きる寸前だった。
生成した氷剣を一本ずつ時間差で飛ばす。
複雑な軌道を描いて襲い掛かる六本の剣。それは意志を持つかのように縦横無尽に飛び回る。だが、それらを前にしてもノワルは足を止めなかった。
最も早く来たものを影弾丸で撃ち落とす。
まずは一本目。
ジャンプ、スライディング、身体能力にものを言わせ猛攻を掻い潜る。
喉元に迫った氷剣をナイフで叩き落とし、踏み砕いた。
二本目。
胸板に風穴を空けようと突貫してきたところを横に跳んで躱し、そのまま蹴り壊す。
三本目。
挟み撃ちにしようと左右から水平に飛来してきたものは、上半身を反らせ避ける。そして通過していく瞬間を逃さずに二本とも破壊。
四本目。
五本目。
ツカツカと不穏な足音を立ててソフィリアに歩み寄るノワル。ナイフを掲げ、ソフィリアを絶命させんとした。
「その前に、六本目だ」
背後から頭をかち割ろうとしていた最後の一本を、回し蹴りでへし折った。
絶体絶命。この四文字が今の彼女の状態を率直に表している。魔力も枯渇し、自身を守るものももう無い。
あと数歩。あと数歩でノワルのナイフは彼女の首を断つ。
「ったく、馬鹿な女だ。精々後悔し……?」
言いかけて、ソフィリアの様子がおかしいことに気付く。
彼女の顔は死を目前にしているとは思えないぐらいに穏やかだ。それは、落命への覚悟とは違う、もっと別の何かだった。
(なんだ? まだ他に何かがあるのか?)
その警戒がもっと早ければ、この先の顛末は変わったかもしれない。
だが、ノワルが背後に膨大な熱量を感じた時には既に何もかも手遅れだった。
「なっ!?」
視界の端で、ソフィリアが意地悪く笑った。
初めに聴覚が麻痺し、次に視界が遮断される。嗅覚も塞がり、そこまで来てようやく熱さを認知できた。
そうか、焼かれたのか。業火によって。
身体が石畳に叩きつけられた。どうやら吹っ飛んでいたらしい。それにさえ気付く暇も無かった。
回復した視力によって最初に見たものは、雲の隙間から光を照らす月だった。
「母……さん……」
無意識に、今は亡き最愛の人の名を呟いていた。
ノワルはある貧民街で育った。
父親の顔はもう記憶になかった。ノワルの世界から消えたのは四つ下の妹、カノンが生まれてすぐだった気がする。
その時が人生で一番幸せだった。夜はいなくなるが優しい母と、無邪気でよく笑う妹。手に入らないものばかりの暮らしではあったが、ノワルは何も望まなかった。家族三人が一緒にいられれば、それで満ち足りていた。
しかし病――長い歴史の中で最も多くの人命を奪ってきたその殺人犯が母を殺した。
臨終の間際、涙に濡れる兄妹に母は震える声で伝えた。
(大丈夫、お母さんは、いなくなったりしないわ。お月様になって……あなた達を見守っているからね)
妹もそうなのかは断言し難いが、少なくともノワルはその言葉を信じてはいない。
母は死んだのだ。とっくにその事実は受け入れた筈なのに、今この瞬間、いつもより少し遅れて顔を出した月に母の幻影を見てしまった。
間に合ってよかった。
玄関から外に出ると、ソフィリアが暗殺者の男と交戦しているのがすぐに視界に入った。しかも、かなり危ない局面だったらしい。
背後から攻撃するのは気が引けたけど、彼女が殺されそうだったので僕は咄嗟に『ファイア』を放った。
それから暗殺者が反撃してくる様子も無さそうなので、僕はボロボロになって佇んでいるソフィリアに駆け寄る。
「ソフィリア! ごめん、こんな姿になって……僕がもっと早く来ていれば……」
「そんな顔、なさらないで……。謝罪よりも労いの言葉をくださいませんか」
彼女は微笑んだ。確かに彼女の奮闘が無ければ、ガメルさん暗殺という最悪の事態に陥っていた。
「……うん、分かった。労うだなんて偉そうだけど、ありがとう」
僕が礼を口にすると、ソフィリアは「いたみいります」と頷いた。
それと、ガメルさんは……あっ、倒れている!
時既に遅しか、と落胆しかけたけど、気絶しているだけだとソフィリアが教えてくれた。
カエルの様にひっくり返っているガメルさんに近づこうとすると、それを察知したのか向こうから勝手に跳ね起きた。
「わあああっ!? 金なら払う! 見逃してくれ!」
「ぼ、僕じゃないです! もうやっつけましたから!」
騒ぐガメルさんを押さえて宥める。まあ怖がるのも無理はない。ずっと命を狙われていたんだから。
当の暗殺者の男性はというと、現在カノンが必死に揺り起こしている所だった。
「ねえ、起きてよお兄ちゃん!? わたし、独りはやだよう!」
「死なねえよ……。一瞬マジで昇天するかと思ったが……。とりあえず、傷に響くから黙れ」
口調はぶっきらぼうだけど、泣きじゃくるカノンの涙を男が拭いてやっているのがしっかり見えていた。
覆面が取り払われて素顔が露わになっており、中々端正な顔立ちをしていた。そしてどことなくカノンと似ている。
加減はしたけど、かなり深手を負わせた筈だった。それなのに男はまだ、脚をよろめかせながらもこちらへ歩いてくる。
未だ潰えぬ殺意に、ガメルさんが僕の後ろで縮こまった。
「お兄ちゃん、もう無理だよ! その怪我じゃ……」
「うるせえ。こいつは殺す。それが俺の引き受けた仕事だ」
カノンが止めるのもまるで聞く耳持たず、男はベルトのホルダーからナイフを抜く。
僕にはこの世で苦手な物が軽く百個ぐらいある。そしてその中に刃物の類も含まれていて、向けられている間は気が気じゃなかった。
けれどこの場で戦えるのは僕だけだ。退くわけにはいかない。
「なぜだ。なぜそこまでしてその男を守ろうとする?」
「な、なんでって、そりゃ殺されそうになってるから……」
馬鹿正直に答えると、彼は顔を歪めた。
そして、ため息を吐いた。
「知らねえようだから教えてやる。そいつはな、殺人犯なんだよ!」
その発言に、僕は凍りついた。




