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煉獄魔導士は働きたい!  作者: 春井ダビデ
煉獄魔導士の日常
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第一話 この世で最も不憫な男

 手に持った一枚の紙はまるで鉛のような質量を有していた。

 絶望が胸の内から広がっていき、抗う間もなく身体へと浸透していく。もはや怒りさえも湧かず、ただ冷たい雨のような悲しみが心を覆う。


 膝は小刻みに痙攣しており、少しでも気を抜けば床に崩れ落ちてしまいそうだった。

 視界が赤くなったり青くなったりとさまざまな色彩に染まり、まるでこの世の終わりが訪れたかのようだ。

 いっそ本当にこのまま滅んでしまえ、と思った。だがいくら胸が引き裂かれ、業火で心を焼かれるような苦しみを味わっても世界には何の影響も無い。

 それでもこの嘆きは抑えられない。喉の奥からこみ上げる衝動を、声へと変えて放たずにはいられなかった。

 今回は絶対に大丈夫だと、そう信じていたのに……


「また落ちたああああああああ!」


 乱暴に投げ出されて宙を舞う紙。そこには大きく「魔導士ギルド〈ジェネシス・ダイヤ〉登用試験結果・不採用」と書かれていた。




「ギルハイド様、どうか元気をお出しになってください。今回はきっと面接管が悪かったのです。ですからあなたの所為ではございませんわ」

「そりゃどうも……」


 メイドが淹れてくれた紅茶を、ふてくされながら僕は受け取った。

紅茶の水面に映る自分の顔とただ見つめ合う。白い湯気と共に漂ってくる茶葉の香りが鼻をくすぐり、少しずつ精神が安定してくるようだった。


 氏名ギルハイド・ダハーカ。十九歳、無職。これが僕のプロフィールだ。

 一年前、魔導士を志して故郷を出発。そしてここ王都ドラグニヤにやってきた。けれども道は甘くなく、どこの魔導士ギルドにも入団させては貰えず。現在は色んなバイト先を転々として過ごしている。


 今回もギルドの採用試験を受けたんだけど、結果はこの通り不採用だ。


「私はあなたの味方ですよ。できることがあれば、なんでも仰ってください」


 僕の隣に座り、優しく励ましてくれるのはメイドのソフィリア。僕のたった一人の家族。

 こちらに向かって微笑むその顔は、街ですれ違えば誰もが振り向いてしまいそうな美形だ。首元まで伸びた淡い紫の髪はふわりとしたボブカットで、こちらを優しく見つめる瞳は澄んだ海のように綺麗な青をしている。見ていると吸い込まれてしまいそう。


 メイドといえど万年就職浪人であるこの僕を養ってくれているのは他でもない彼女だ。普段はとある屋敷で働いていて、その麗しい姿や真面目な態度、それに手際の良さで雇い主からの評判は好調だとか。


 つまり、恥ずかしい話だが現在僕はソフィリアのヒモだ。バイトだけの賃金じゃどうしても暮らしていけないからだ。むしろ生活費のほとんどが彼女のお金……。

本来なら僕は彼女に頭が上がらない筈なのに、向こうはへりくだった態度を少しも崩そうとしない。


「もう、これでまた不採用記録が更新されちゃったよ。今回で十連敗だっけ?」

「いえ十二連敗です」


 すいませんだいぶサバ読んでました。でもできれば訂正してほしくなかったよその間違い……。

十二連敗という言葉にまた悔しさが蘇り、思わず紅茶を一気飲みしてしまった。

 ヤバい、と正気を取り戻した頃にはもう遅い。熱い液体が喉を流れていき、口から腹の中までを無慈悲にきつくした。


「~っ! ~っ!」


 あまりの痛みに声も出ず、唇をパクパクさせながら床を転がり回った。自分が陸に打ち上げられた魚みたいになっているのは分かるが、それを承知の上でも我慢できない。


「ああ、なんということ! しっかりなさって!」


 ソフィリアが急いで水の入ったコップを差しだしてくる。

 それを死に物狂いで手に取って、どうにか水を口に含むことに成功。すると速やかに僕の喉は冷却された。

 助かった……と言おうとしたが生憎まだ声帯は機能しないようで、かすれた音しか出ない。


「火傷などは如何でしょう?」


 僕の醜態の事は一切からかわずに、ただ純粋に心配してくれる彼女。


「うん、もう平気。そっちこそありがとう。ナイスだったよ」

「当然のことをしたまでですよ。あなたが無事でよかったです」


 うっ、その顔は反則級だろう!

 ふにゃっと柔らかく笑う彼女に、不覚にもときめいてしまった。

「どうかしましたか?」

「ん? あ、いやなんでもないよ?」


 彼女が不思議そうに聞いてきたので急いでごまかす。

 少し怪しんだものの、ソフィリアは特に詮索することもなくあっさり引き下がってくれた。


 僕がほっとしていると「さて、そろそろ行きますか」と言ってソフィリアは立ち上がり、部屋のドアの方へツカツカと歩いていく。エプロンドレスを上品に着こなすその姿は、プロのモデルさんと遜色ないぐらいにスタイル抜群だ。


 だけど、その後ろ姿からは何か殺伐とした雰囲気を感じた。一抹の不安を覚えた僕は、おそるおそる彼女を呼び止める。


「あれ、どこへ行くの?」

「夕食の材料を買いに市場へ行くだけですよ。ご心配なく」


 振り返ってそう答える彼女の口元からは、刃物みたいな鋭い歯が覗いてギラリと光った。

 青かった眼は赤く染まり、闇夜の猫のように爛々と輝いている。


(まずい……!)

 

 危険信号が大音量で脳内に鳴り響き、僕は彼女を止めるべく即座に行動へと移った。


「あんっ、後ろから抱きつくとはギルハイド様、なんて積極的なんでしょう! 私ならいつでも準備できていますわ!」

「なに馬鹿なこと言っているんだよ!? 君絶対に殺しにいくでしょ!? そんな状態で買い物行くとか言ってもバレバレだからね!?」

「止めないでください! 私のお慕いするギルハイド様を不合格にするボンクラ共は、一人残らず殲滅してやるのです!」

「いや止めない理由が見つからないから!」 


 彼女は――ソフィリアは僕を愛している。否、愛してしまっている。まるで病的な程に。

そしてもう一つ、彼女は人間ではなく魔族である。詳しいことは分からないけどかなり強い方だ。このまま外に放てば、冗談抜きで魔導士ギルドに甚大な被害が及ぶ。


 普段は人間と同じ姿に化けているが、感情が昂ったりすると変化が解けてしまうのだ。

 以前に僕は人里で暴れていた彼女と出会ったんだけど、その時に色々あって好かれてしまったのだ。

 やっとのことでソフィリアを椅子に座らせ、今度は僕が彼女に水を飲ませた。


「申し訳ございませんでした、ギルハイド様……」

「はぁはぁ、今日はもう家にいた方が良いよ。買い物は僕が行くから」

「うう。主人をおつかいに遣るなど本来なら許されませんが、この場合はやむを得ませんね……」


 彼女は渋々ながらも納得してくれたようで、買ってくる物を記したメモを渡してくれた。

 僕は食材を入れる為の手提げバッグを持ち、コート掛けからお気に入りのジャケットを取って外へと向かった。



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