第十七話 静寂なる狂騒
セレナとウェインは階段を上がり、更にその廊下の奥にあるガメルの部屋へと向かっていた。
「随分と歩かされるわねえ」
「資産家というものはいつも命を狙われる存在ですから。いつかはこういう事態に陥ることを、ガメルさんは予測していたのでは?」
「ふーん、その為に日頃から家の一番奥に陣取っていたのかしら」
何かとっかかりを覚えながらも歩みを進めると、ようやくガメルの部屋に到着した。
これも何かの美術品なのか、黄金でできた趣味の悪いドアだった。それを開けた瞬間、二人は中の異常を目の当たりにすることになった。
「クリネ、デューゴ!」
ウェインの第一声はこれだった。
最初に見えたのは、護衛に付いていた二人の魔導士が無残な姿で倒れている所だった。
家具などがあちらこちらに散らばっており、ここで戦闘が行われたことが分かる。
二人とも、名のある魔導士だった。その実力を越えることは並大抵の者では不可能だ。
だが、その難攻不落の守りは打ち破られたのだとこの状況が物語っている。
少し遅れてやってきた血の匂いが、いよいよ危機感を募らせる。
「お前がやったのか?」
腰の剣を引き抜きながら、ウェインは部屋の奥にいる一人の青年を睨む。
青年は今まさに暗殺を実行しようとしている所だった。手に持ったナイフをガタガタ震えているガメルに突き刺そうとしていたが、ウェインに声を掛けられたことでその手を止める。
「あークソクソクソ。邪魔者片付けて、このゴミ野郎殺して、ようやく帰れると思ってたのによお。新手か。やっぱ運悪いな、俺」
振り向いた青年は、どこか気だるげだった。
細身であるが筋肉質な身体をしており、ぴっちりとした黒いインナーがその体型を際立たせている。体中に巻き付けたベルトには無数のホルダーが付いており、そこに多彩な道具が仕込まれていることが伺えた。
「た、助けてくれえ!」
男の注意がウェインに向いた隙に、ガメルがこちらへ駆け寄ってくる。
けれど、相手は簡単に獲物を逃がしはしない。男はほぼノーモーションでガメルの頭部めがけてナイフを投げた。
だがそれはウェインがすかさず放った風の魔法によって威力を相殺され、ぽとりと床に落ちる。
「うう……死にたくない……わしはまだ死にたくないい……」
「あのねえ、だからって私を盾にしないでくれる?」
涙を零しながら自分の後ろに隠れようとするガメルに、セレナはこれ以上無いくらいの侮蔑を込めた視線を送る。
「お兄……ちゃん……」
ウェインの耳の横で、僅かに意識を取り戻した少女が細い声でそう呟く。
男の顔の半分は覆面で見えないので顔立ちはよく分からないが、確かに少女と同じ深緑色の髪をしている。どうやら本当に肉親であるようだ。
「なるほど。兄妹揃って犯罪者という訳ですか。嘆かわしい」
「呆れた顔してんなあ。は、いいさ。どうせ俺なんて嫌われモンだよ」
「貴方個人がどんな人間かは、私は知る由もありません。ただ、貴方の犯行はおよそ肯定されるべきものではないことは明確です」
剣の切っ先を男へ向ける。ウェインの表情にもう余裕は残されていない。あるのは緊張と警戒だ。
相手は一流魔導士二人を相手取り、そして勝利した。先程の少女の様にはいかないだろう。正直、自分が倒せるかどうかですら定かではなかった。
(いかん、何を弱気になっているんだ。私は)
そう。向こうは連戦で消耗している筈。仲間の力も踏まえると、多少なりともダメージは負っているだろう。
対してこちらは大きな傷は受けていない。まだ手足は軽く、体力も残っている。
――速攻すれば、勝機はある!
「ガメルさん、セレナさん。危険ですので部屋の外に出ていてください。それと、この娘をお願いします」
「わ、分かったわ!」
少女の身柄をセレナに引き渡すと、ウェインは剣を構え突撃する。
脚に風の魔力を付与しての縮地だ。これに反応できるものは中々いない。
しかし、男はウェインの刺突を難なく避ける。しかし、この男が手練れであることは予想通りのことだった。
だからこそ、ウェインは更に次の手を考えておいたのだ。
外れた刺突の勢いを利用し、そのまま部屋の奥まで駆け抜ける。
富豪の私室というだけあって並の部屋よりもだいぶ面積があるが、やはり戦闘を行うとなると少々狭い。だが今はその窮屈さが逆に好都合だった。
壁に激突する瞬間、ウェインはブレーキをかけずその壁を蹴る。そして素早く体を反転させ、再度男へ斬りかかった。
「こいつ、反動を利用して……!」
前転で回避しながら、男は驚きの声を漏らす。
それからウェインは壁から壁へとターンを続け、どんどん加速した。男が攻撃を避ける度にその作業は繰り返され、速度と威力は底上げされていく。
つまり、この際限の無い強化を止めるには彼の攻撃を受けるしかないということである。しかし動きやすさを重視した男の装備には防具の類が存在しない。当たってしまえばそこで終わりだ。
「怪我無く終わる最後のチャンスです。降参しなさい!」
男へ強く呼びかける。しかし――
覆面の内側で、彼は笑ったのだ。表情など碌に読み取れないのに、確かに見えてしまった。その邪悪な笑みが。
ここで勝負を決めねばならない。本能と魔導士としての勘が危険を察知した。
最高の速度と、それによって威力が何倍にも上乗せされた斬撃。炸裂すれば命の保証は無いが、背に腹は代えられない。
「『百連斬』!!」
刃は男へ牙を剥き、その皮膚も肉も骨も全て引き裂こうとした。
だが、寸前の所でその剣は動きを止めてしまった。
「な……!?」
ウェインはこの男を斬ることに一切の躊躇いも感じていなかった。それなのに、愛剣はこれ以上男へ近づこうとはしなかった。
「いいよなあ、お前は。どうせ世間では英雄扱いされてんだろ? 祭り上げられ持てはやされ……。俺なんてなあ、永久にどん底を這いつくばるしかねえんだ」
地の底から響くような声だった。この世の全てに向けられているような、深い羨望が伝わってくる。
「『暴食月』」
最後に低い声でそう唱えたような気がした。気がした、というのは耳に届いたという確信を得る前にウェインの体は宙を舞っていたからだ。
部屋の中心。その天井に、黒く大きな球体が出現している。
自分は「それ」に吸い寄せられていた。男を除くこの場にある物体諸共、ウェインを飲み込まんとしている。
まるでそれは巨大な魔物の捕食行動のようにも見えた。