第十六話 事態は動く
僕は跪き、額を地面に押しつけた。
東洋の国には土下座と呼ばれる、本気でものを頼むときに用いるポーズが存在するらしい。これをされると相手はこちらのことを不憫に思ってしまい、仕方なく言う事を聞いてくれる。この前読んだ書籍にはそう記してあった。
そんな馬鹿なとは思っていたけれど、もはや実践する他に無かった。
「どうかお願いです! 行かせてください!」
「ちょ、ギルハイド様何やってん……なさっているのです!?」
この体勢じゃ見えないけど、彼女の顔にはさぞ強い驚愕が浮かんでいるに違いない。それだけじゃない、通りかかる人の誰もが僕に視線を注ぐだろう。
顔の表面が熱くなっていく。けれど、まだ頭は上げない。
「と、とりあえず、こちらへ! ここは目に付きますので!」
ソフィリアに手を引かれ、僕は人気の無い場所へと連れていかれた。
「ごめん、ソフィリア。でも僕はやっぱり暗殺者に会わなきゃ」
「暗殺者……? 一体何のお話でございますか?」
急な仕事、としか説明を受けていないソフィリアは怪訝な顔をする。
僕はこの間の出来事――魔導士の少女がミラさんの発明品を壊したこと、修理費五万ナックを請求されたこと、包み隠さず話した。中には言わなくてもいい情報もあった気がするけど、それをいちいち取捨選択する余裕はなかった。
「でしたら、私がお支払い致しますわ。私の収入が低くないことをご存じでしょう?」
予想した答えが返ってきた。困ったことがあれば、助けてくれる。彼女にはそれだけの力があるから。
でも、それでは駄目なんだ。
「当事者ではないけど、これは僕の問題だから! 自分の事は、自分で解決したい」
「しかし、その暗殺者を捕まえられなかったらどうなさるのですか?」
「そ、その時は……五万ナック分タダ働き、かな」
最悪の場合を想定していなかった、もといしないようにしていたので、僕は苦し紛れにそう言うしかなかった。
実際には数秒だけど、僕にとっては数十分にも思える時間が経過した後、彼女はため息を吐いて言った。
「承知致しました。ならばこのソフィリア、その暗殺者捕獲に力添えさせて頂きます」
「えっ、でもそんなの悪いよ……」
「人手は多いに越したことはないと存じますが? それに、私は貴方の従者でございます。頼る事に何の遠慮が必要でしょうか?」
首を傾げる彼女に言われると、僕の胸の内がすっと透き通った気がした。
……なんだ。最初からこう伝えればよかったんだ。手伝ってって。
「……ははは」
「? 如何なさいました?」
「ううん、なんでもない」
僕って、本当に要領悪いな。
一方その頃。
「まったくもう、ハイド君どこへ行ったのかしら! 仕事もほったらかしにして」
セレナは憤りながら廊下を歩いていた。
まさか勝手に帰ってしまったのか。どうしても暗殺者を捕まえなければいけなくなったと、ギルハイドは言っていたのに。
「ふん、いいわ。たとえ私一人でもブラッディ・ハートの尻尾は掴んでやるんだから!」
かのギルドに属する魔導士の所業は近年国内でも問題視されていた。しかし、それでも黙認されてきたのは決定的な犯罪の証拠が挙がらないためだ。仮に何かしら情報を入手できたとしても、相手は殺しのプロの集団である。今までに幾人もの記者がブラッディ・ハートの闇を暴きに挑み、そして散っていった。
最悪の場合、セレナも今日その殉職した者達の中に名前を連ねることになる。それでも彼女の燃え盛る魂は留まることを知らなかった。
とはいえ、そもそも暗殺者が現れないことには何も始まらない。セレナも一日中警戒を続けていたので疲れていないと言えば嘘になる。
いい加減、来るなら来て欲しい頃なのだが……。
その時、背後でけたたましい音が鳴り響く。ガラスの割れる音だ。
セレナは驚いたものの、パニックにはならず身構えながら慎重に振り返る。
目に映ったのは、穴の開いた窓のすぐ前、散らばるガラス片の真ん中に座り込んできょとんとしている少女だった。
外見から察するに、まだ二十歳にも満たないだろう。確実にセレナより若い。
やがて少女は顔を羞恥の色に変え、頭を掻く。
「あちゃ~尻もちついちゃったよ。カッコ悪いなあ。お兄ちゃんともはぐれちゃったし」
「誰、あなた? 不審者? ……なんて、もはや聞くまでも無いわ。あなたが暗殺者ね」
「そうだけどー?」
少女は焦る様子もなくあっさりと答え、立ち上がる。
「でもでも、どうしてそれを知ってるの?」
「そりゃ、そんな風に窓から入ってこられたら誰でもそう思うわよ。予告状だって貰ってるんだし」
「あ、そっか。確かに。あはははは」
屈託のない笑顔を見せる少女。殺意の破片すら感じさせないような、純粋無垢にして天真爛漫な笑みだ。
けれど油断はならない。この少女が嘘をついていない限り、眼前にいるのは何人もの命を奪ってきたのであろう暗殺者なのだから。
「ねえねえ、ガメル……だっけ? この家に住んでいるお金持ちの人! 殺さなきゃいけないから、案内してよ」
「な、なに言ってるのよ!? する訳ないでしょ」
「えー、駄目? どうしても?」
まるで欲しいおもちゃをねだる子供のようだ、とセレナは感じた。しかし、そのあどけなさが逆に得体の知れない不気味さを醸している。
少女は額に手を当て何か思案していたようだが、やがてポンと手を叩く。
「うん、やっぱりこういう時はゴーモンだよね! ちょっと痛いかもしれないけど、頑張ろうね!」
「ゴーモン……?」
ゴーモン……ごーもん……拷問!!
まさか自分に!? 爪とか皮膚とかを剥ぐあれをやろうというかのか!?
いつの間にか少女の手にはナイフが握られている。
「大丈夫だよー。ちゃんと教えてくれたらやめてあげるから」
満面の笑みでナイフを振りかざし、こちらへ歩み寄ってくる少女。その純真さも、もはや狂っているとしか思えない。
逃げようとセレナは後ずさりを始めたが、少女はそれを察知したのかそれよりも素早く距離を詰め、その刃を突き立てようとした。
しかし、それがセレナに届くことはなかった。
一本の細剣が、ナイフの進行を阻んだのだ。
「ウェインさん!」
セレナの呼びかけに答えるようにウェインは涼やかな瞳で微笑みかけ、そしてそのまま少女の方へ視線を移す。
「これはこれは。無関係な人間にも危害を加えようとは。たとえ下劣な暗殺者でも仕事に対するプライドはあるのでは、というのは買い被りだったようですね」
「ちょっと何言ってるのか意味分かんない。難しくて」
「ふふふ。端的に伝えるのなら、覚悟しろ外道め。ということです」
言い終わるや否や、ウェインは受け止めていたナイフを弾き飛ばし少女を斬りつけた。
しかし少女はギリギリでそれを避け、宙返りして着地する。
「まだまだ!」
少女は二本目のナイフを取り出し、投擲する。
空を切って一直線に飛んでくるナイフ。それは風の魔力を纏い、更に速度を上げる。
ウェインは顔から余裕を消すこと無く、迫ったナイフを叩き落とす。
ナイフに追随するように、少女はウェインに接近しその首めがけて蹴りを撃った。足の周りには小さな竜巻のようなものが発生しており、この攻撃も魔力で強化されていることが伺える。
だがウェインはそれさえも片手で受け止め、少女を投げ飛ばした。
「ほう、風使いですか。奇遇ですね。私もです」
細剣に力を籠めるウェイン。すると剣がその魔力に呼応するように刀身を緑に光らせた。
屋内であるにも関わらず、風が吹き始める。辺り一面に、ウェインの魔力が充満しているのだ。
少女は身構えた。けれど、その頃には何もかもが手遅れだった。
「『百連斬』!」
少女を無数の斬撃が襲った。それは少女が悲鳴を上げるよりも、熱心に戦いの様子を記録していたセレナが認識するよりもずっと先だった。
勝負ありと断じたか、ウェインは剣を鞘に収める。
セレナは傷だらけで倒れている少女を見ながら恐る恐る尋ねる。
「殺しちゃったの?」
「まさか。加減はしていますよ。彼女には出るべき所に出てもらわなくてはいけませんからね」
ウェインは少女をロープで縛り、担ぎ上げる。
「それでは、ガメルさんへ報告に行くとしましょう。私の仲間もそちらで待機しています」