第十五話 すっぽかせない約束
半日後。
どうも今晩は曇天らしく、窓から空を覗いても月はおろか星の一つも出ていなかった。
黒。黒。黒。黒一色の空を見つめ、僕は物思いにふけっていた。
「まずい。これは非常にまずいぞ……!」
もう日も暮れてしまったというのに、暗殺者が来ないのだ。来たら来たで怖いけど、会えなきゃ困る。
どうせ暗くなったらすぐ現れるだろと思っていたけど甘かった!
しかし、このままではソフィリアとのデートに遅れてしまう。約束すっぽかしたなんて見做されたら堪ったもんじゃない。
とりあえず一旦抜け出してソフィリアに会い、もう少しだけ待ってくれるよう頼んでこよう。
待ち合わせの時間まではあと十数分。移動距離も考慮すると、もうそろそろ出発しないと。暗殺者はとても気がかりだけど、街の平和には代えられない。ソフィリアという爆弾を止められるのは僕しかいないのだから。
僕は急いでタキシードから着替え、屋敷を飛び出した。
怪しい二人組がまるで闇夜に盗みを働く猫のように屋敷の敷地内に入り込んだのは、どういう因果かギルハイドが屋敷を出た直後だった。彼ももう少し辛抱していればこの者達を捕まえられたかもしれないが、今となっては後の祭りだ。
二人組は庭にある最も高い木にいとも容易く登り、この屋敷の主人がいる部屋を覗く。
黒い覆面で顔を隠した青年はしばらく室内の様子を伺うと、相方の少女の方を小突いた。
「馬鹿、よそ見すんな。空じゃなくて標的を見ろ。これから殺す相手だろうが」
「でもでも、今日は月が出てないんだよ」
「そりゃ好都合だな。仕事がしやすい」
「駄目だよ、お母さんが見守ってくれないよ?」
「ああ、ますます好都合だ。こんな所、見られる訳にはいかねえからな」
そう適当にあしらいながら、青年は上を向き続ける少女の頭を掴み無理矢理前方を向かせる。そして、低い声で告げる。
「お前が信じていいモンは自分だけだ。俺でさえも信じるな」
有無を言わさぬ迫力に、少女は黙って頷いた。
その反応に満足したのか、青年は作戦開始と言わんばかり樹上から飛び降りるのだった。
流石は中心街ということもあり、夜になってもその活気は失われていなかった。辺りは、仕事を終えてこれから遊びに繰り出そうとしている人々で賑わっている。
よく待ち合わせ場所に選ばれるという大きな噴水の前にソフィリアはいた。
こんな時でもソフィリアはいつも通りのメイド服だ。同じ物を何枚も持っていることは知っているけれど、何もこんな時にまで着なくてもいいんじゃないか?
彼女はこちらに気が付くと、吹き上がる水の柱をバックに花の様な笑顔を見せる。
「ギルハイド様、こちらです」
「ごめんごめん。ギリギリになっちゃった」
「問題ございません。臨時のお仕事が入ったからデートを延期しようなどと言われた時は怒りのあまり人間達をバラバラに刻んでやろうかと意気込んでしまいましたが」
「ええ……そんなこと考えてたの?」
「しかし、無事にお勤めを終えられたようで何よりです」
ぎゅっと僕の手を握るソフィリア。
終わってないんだよなあ……なんて、こんなに嬉しそうにしている彼女に言い出せる筈がない。いや、言わなきゃ駄目なんだけど。
「あ~、そのね? 実は僕またこれから仕事に戻らないといけなくて……」
「何か仰いましたか?」
「い、いや何も? それよりお腹すいちゃったナー! ご飯食べに行こうかー!」
今睨んだよね。ほんの一瞬だけど僕の事睨んだよね。あと手を掴む力も強めたよね。何となくこうなることは分かっていたけれど、やっぱり無理か。
いや、男だろギルハイド! ここで引き下がってどうする。いつまでも彼女に怯えたままでいてたまるか!
僕はできるだけ威厳たっぷりに、胸を張ってソフィリアに告げる。
「あのねソフィリア。僕にも職務というものがあってだね……」
「この一週間、とても楽しみにしておりました。この約束があったからこそ、あの雇い主のセクハラにも耐えることができたのです。どうか落胆させないでくださいまし、ギルハイド様?」
最後、僕の名前を呼んだ部分にもの凄い圧力を感じた。恐らく僕をここから逃がすつもりは無いだろう。
ソフィリアには、敵わなかったよ……。
すっかり萎縮してしまった僕は、半ば連行されるような形で彼女と共に夜の街を歩くことになった。
王都一栄えている街の触れ込み通り、ざっと辺りを見回すだけでも面白そうな店がたくさん目に映る。赤や青、黄や緑など様々な色に輝く魔力街灯が幻想的なムードを醸しており、時間的な余裕さえあれば僕もすっかりこの状況を堪能できただろう。
屋敷にはウェインさん達がいるし、暗殺が実行される心配はまずない。けれど、もしそのまま暗殺者の人が捕まってしまったら、僕が接触できるチャンスはほぼ失われる。だから倒される前に弁償代を払ってもらうなり情報を教えてもらうなりしなければならない訳で、中々難しい計画となっている。
とにかく大金が懸かっているんだ。こっちだって生半可な気持ちじゃいられない。
とりあえず後もう少しだけソフィリアを誤魔化せればいいのだけれど、何か良い方法はないだろうか。
よし、ちょっと強引だけど魔法で眠らせてしまおう。ごめんね!
「スリープ!」
「効きませんよ?」
「なぬ!?」
「これでも魔族の中では腕が立つ方であることをお忘れでございますか? 実力に関してはギルハイド様の足元にも及ばぬ私ですが、大抵の補助魔法には耐性がございます」
「そ、そんなあ」
がくりと肩を落とす。
確かに魔族の体は人と比べてかなり丈夫なのは知っていたけど、状態異常にも強いとは。
そういえばソフィリアって食あたりとかもしたことないよな……。この間も明らかに毒ありそうなキノコかじっていたけどケロッとていたし。
ていうかソフィリアが毒キノコ食べた話なんて今はどうでもいいんだよ! なんとかしてここから抜け出さなきゃ!
「ソ、ソフィリア! レストラン行く前にどこかお店寄っていかない!? そうだね、寄っていこう!」
「なぜそちらから聞いておいて自己完結しているのですか……」
困惑しながらも、逆らう意思は無いのか彼女は大人しく付いてきてくれた。
そんな僕が一直線に向かったのは、剣や槍などが並ぶ武器屋。普段なら絶対に立ち入らない部類の店だ。
僕は店頭に置いてあった剣を適当に選んで取り、ソフィリアに振りかざす。
「あっ、ははは、すごいよこれ!? ちょっと持っただけで凄く興奮してくる! もしかして呪いの剣か何かかな? ちょっと人を斬って来るよあはははは!」
「な、何やってんだお客さん……?」
店主の厳めしいおじさんが引き攣った顔をしている。そりゃそうだ、バーサークした怪しい青年がいきなり駆け込んできたら、怒りの前にまず恐怖を感じるだろう。
「落ち着いてくださいませ。ギルハイド様」
ソフィリアは冷静に僕から剣を取り上げた。くっ、これで気が狂ったふりをして逃げる作戦も失敗か。
「これを所望なさっているのであれば購入致しますが?」
「い、いいよ。絶対使わないから」
そもそも剣に触れたのなんて人生で初めてだったし。
財布を取り出そうとするソフィリアを押しとどめ、僕はとぼとぼと退店する。
途方に暮れていた。
今頃暗殺者は来ているのだろうか。下手したらもうウェインさん達が捕まえてしまっているかもしれない。五万ナックという数字がいよいよ頭の中で明確なビジョンとなり始めていた。
こうなったら、あの手しかない。僕はソフィリアと向き合った。