第十四話 紅茶の給仕も楽じゃない
何やら幾何学的な模様が描かれている壺を、僕は慎重に布で拭いていた。なんとこれ一つで僕のバイト代が三十年分くらい吹っ飛ぶらしい。壊したら切腹ものだ。
ただ置いてあるだけの壺をわざわざ掃除する必要はあるのかは疑問だけど、とりあえずそれっぽく振舞うしかない。何せ今の僕は富豪の召使いなのだから。
どうにかしてカノンという魔導士を捕まえなければいけなくなった僕は、悪魔の誘い、もといセレナさんの計画に乗ってしまった。
殺害予告が出された富豪。その人の近くに張り込んでいれば、もしかしたらあの娘にあえるかもしれない。もし来たのが違う人だったとしても、何かしら手掛かりは掴めるんじゃないだろうか。王都にいる暗殺者の七割はブラッディ・ハートの魔導士だっていうし。
とまあこんな訳で、慣れないタキシードまで着て潜入しているのだ。
この屋敷の主人のガメル・ゴルドスキーさんは有名な資産家で、その財力にものを言わせて数々の美術品や骨董品を買い集めているそうだ。その噂の通り、屋敷の至る所に高そうな物品が並べられていた。僕は鑑定士ではないので具体的な値段は分からないけど、これらを全部売ったら死ぬまで働かないで済むんじゃないか。
正直、どうしてこういうことにお金をかけるのかはほとほと疑問だ。庶民には理解できない、金持ちの道楽だ。と言われればそれまでだけど、他にもっと良い使い道があるのではと考えずにはいられない。
金の額縁に入れられて壁に飾られている、牛とも鹿ともつかない珍妙な動物の絵を眺める。これを売れば弁償代も余裕でなんとかできるのに、などと自分のものでもない財産の用途をあーだーこーだと考えていた。
そんな時、近くの部屋のドアからセレナさんが出てきた。
「ハイド君、どうして馬の絵なんかと睨めっこしてるの?」
「あっ、いえ。別に。これ馬だったんだ……」
彼女もまた僕と同じく従業員としてこの屋敷に潜り込んでいるのだ。
いつものカジュアルな服装は封印し、白と紺のエプロンドレスを身に纏っている。メイドの服はソフィリアで見慣れているとはいえ、やっぱり新鮮味がある。
「ラッキーだったわね。まさか日雇いで従業員を募集してたなんて」
「皆休んじゃってるみたいですからね。まあ、犯行予告されている日にわざわざ出勤する人もいないでしょうけど」
今日屋敷にいる使用人の数は片手で数えられる程しかいなかった。臨時のバイトに参加したのも僕らだけらしい。
予告状には暗殺者がやってくるのは今日の夜だ。ガメルさんの命だけじゃなく、弁償代の五万ナックも懸かっている。ちゃんと捕まえなければ。
それに、今夜僕にはもう一つ大事な約束がある。そう、ソフィリアとのデートだ。延期を申し出てはみたけど、物凄く病んだ目つきで見つめられたのですぐ断念した。もしもすっぽかそうものなら大惨事は免れない。何としてでも行かねば。
その為にも暗殺者の人にはできるだけ早くお越しいただきたいものだけど。中々そう都合良くはいかないようで、今の所怪しい人物が屋敷に近づいてくることはない。
「ガメルさんって、ご家族はいないんですかね?」
「うーん、そうね。以前は奥さんがいたみたいだけど、モンスターに食べられて亡くなったらしいわ」
「ひえっ……!」
なんて壮絶な最期なんだ……。
「お子さんもいないみたいだし……って、こんな無駄話する暇ないでしょ。することが無いなら魔導士の皆さんにお茶でも出してきて!」
「は、はい」
仕方ない、もう少し潜入を続ける必要がありそうだ。セレナさんに肩を叩かれ、僕はそそくさと厨房へ向かうのだった。
ポットとカップが乗った銀のトレイを片手で支え、空いた方の手で部屋のドアを開ける。その間、バランスを崩してお茶をひっくり返したりしないか不安で仕方がなかった。
他の作業もそうだけど、家事とはなかなか神経を使う仕事であるようだ。いつもソツなくこなしているソフィリアは凄いや。
どうにか難所を越えると、室内では二人の魔導士がいた。長髪の男性と、白いローブの女性だ。恐らく同じパーティなのだろう。おかしいな。聞いた話だとあともう一人いるらしいけど、見当たらなかった。
「おや、執事の方ですか。いやどうも、わざわざありがとうございます」
長髪の男性が礼を口にする。僕は軽く会釈しながら二人にお茶を注いで回った。
メンバーそれぞれの服装はバラバラだけれど、皆左胸に共通の徽章を付けている。そのエンブレムは僕の憧れであるギルド〈ジェネシス・ダイヤ〉のものだった。
しかもこのパーティの顔ぶれを僕は知っている。どちらもこのギルドの中では有名な人だった。
まず男性の方、優雅に紅茶を啜っている彼はウェインさん。ランク9(ナイン)の実力者で、「瞬刃」の異名を持っている。その剣捌きはまるで風のように速く、絶え間が無いと評判だ。
そしてもう一人はクリネさん。ランク7(セヴン)の彼女が持つ異名は「電泳」。周囲を雷の海に変える能力を持っており、その中を自在に動き回ることからついた名らしい
すごいなあ……かっこいいなあ。
「どうかしましたか?」
この有名人二名を前にして何もせず退出するのが惜しくて立ったままでいると、ウェインさんが不思議そうに僕を見てきた。こうなったら思い切って頼んじゃうか……?
「ふぁ、ファンです! 握手してください!」
「? ええ、お安い御用です」
多少面食らいながらも笑顔で快諾してもらい、彼と手を握り合う。
それからウェインさんの方も退屈していたのか僕に話しかけてきた。
「それでは貴方は今日限りの雇用という訳ですか。ならば我々の標的である暗殺者というのは、貴方かもしれませんね?」
「そ、そそそんなの誤解です!! 僕、人なんて殺せませんから!」
「ふふっ、お許しを。冗談です。確かに貴方からは何も感じませんね。こういう仕事を続けていると分かるんです。人が放つ殺気というものが」
和やかに笑うウェインさん。見た目に反して結構お茶目なんだなあ。
喋っている内に、僕は素朴な疑問を浮かべた。
「そういえば、皆さんはガメルさんの近くにいなくていいんですか? これじゃ襲撃されてもすぐに対応できないんじゃ……?」
「心配はいりません。直接の護衛は交代で一人ずつやっています。必要以上に守っていると相手を警戒させてしまいますからね」
なるほど、じゃあ今この場にいないもう一人はガメルさんと一緒っていう訳か。
「お茶、おかわり貰える?」
透き通るような声と共に、クリネさんが空のカップを差し出してきた。
彼女の肌の白さはもはや病気を疑うレベルまで達している。本人曰くこれでも健康体だそうだけど、夜道で出会ったら幽霊と間違えてしまいそうだ。
物静かな人だとは聞いていたけど、僕らが話している間もずっと黙ったままだった。もしかしたら僕が入ってきたのは邪魔だったのかな?
「ご、ごめんなさい……。僕みたいな一般人が同じ部屋にいたら嫌ですよね……」
僕が頭を下げると、クリネさんは俄かに焦ったように言う。
「ううん、違うの。私も、お喋りに混ざりたいなって思って、ずっと話題を考えてた。でも、全然浮かばなくて」
「あっ、そういうことか……。じゃあ、クリネさんも握手お願いできますか?」
「はい、喜んで」
嬉しそうにしながら、彼女はとんでもなく華奢な手を差し出してきた。握ったらそのまま木端微塵になるんじゃないかって思うぐらいに。
僕に傷害の罪でも着せようというのか? 慰謝料を取る気なのか? 先にお願いしたのは僕だけども! 少し躊躇ったが、クリネさんの微笑みに負け僕は手を握ることに。
そっと、壊さないように。鳥の羽でも掴むかのように彼女と握手を交わした。
やれやれ、魔導士もなかなか個性的な人が多いなあ。もっと興味が湧いたけど、今日は人手不足だ。油を売ってばかりいると他の従業員からの顰蹙を買ってしまうだろう。名残惜しいけど、そろそろお暇しなければなるまい。
「あの、お仕事頑張ってくださいね!」
「ええ。お互いに」
「ファイト、よ」
ウェインさんとクリネさんにお辞儀をし、僕は部屋から出るのだった。