第十二話 僕は殺人鬼じゃないってば
逃げろ。逃げろ。逃げろ。風よりも早く。脅威は真後ろに迫ってきているぞ。
脳内に響く警告の声はどこか客観的だ。しかし、僕は足を動かす。動きを止めたらそれが最後である。
「待チヤガレ、コノ豚野郎! オ前ハ俺カラ逃レルコトハデキネエ! オトナシク縄ニ就ケ!」
高圧的にまくし立てながら追ってくる衛兵ホーク三号くん。そしてやけに口が悪い。これもミラさんの考えた仕様なのだろうか。
「ママー、なにあれ?」
「見ちゃ駄目よ!」
どこからかそんなお決まりの台詞が飛んできた。これも仕事なんですごめんなさい。
まあこんな大声で喚き散らす機械鳥なんかを連れて街中を駆け回れば、奇異な目で見られるのも無理ない。これでもし本当に犯罪者だと思われていたら名誉棄損もいいところだ。
「っと、危ない!」
突如衛兵ホークが目からビームを撃ってきたので、僕は間一髪右にずれる。高熱が僕の頬を掠め、手前の地面に焦げ跡を作る。ついに武力行使に出たか。
「サア、懺悔シロ!」
狂ったようにビームを乱射する、饒舌な鳥型オートマタ。機械とは思えない激情っぷりだ。ミラさんはとんでもないものを作ったな……。
しかし度重なる熱線による破壊で砂煙が蔓延し、視界が曇り始める。これはチャンスだ。僕は煙の奥へと身を隠し、気付かれないようにその場を脱するのだった。
しばらく走って息も切れてきたので、僕は立ち止まって辺りを見回す。衛兵ホークっぽい姿は無く、まだ追いついてきてはいないようだ。ひとまず安心していいだろう。
途端に足腰に力が入らなくなって、空気の抜けた風船のようにへなへなと道端に腰を下ろす。
これからどうしよう……。適当に頃合いを見て帰ろうにも、流石にこんな短時間じゃ許してくれないだろうし。
考えあぐねていた矢先、何者かが僕の肩を叩いた。
「こんにちは、ハイドくん! 探したわよ」
「…………」
「なによ、無視しないでってば! って、あら……死んでる……?」
「いや、生きてます生きてます。ちょっと気絶してただけですから!」
実際の所、死にかけたのは本当だが。びっくりして心臓止まるかと思った……。
目を開けると、視界には僕の無事を確認しほっと胸を撫で下ろしているセレナさんがいた。衛兵ホークじゃなくてよかった。
「どう、仕事は捗ってる?」
「ええ、毎日ヘトヘトですよ」
「うんうん。人間それくらいが丁度良いもんよ」
丁度良い……? 殺人兵器に追いかけまわされたり、魔法具の実験台にされたりするなんてことが? とてもじゃないが僕はそう思えない。こんなことを続けてたら本当にいつか命を落とすんじゃないだろうか。
セレナさんが水の入ったボトルを差し出してくれたので、それを口に運ぶ。美味い。運動で熱された体が徐々に冷えていく。五臓六腑に染み渡るという言葉が分かりやすく理解できた。
多少は疲れが和らいだところで、僕はセレナさんに尋ねる。
「そういえば僕のこと探したって言ってましたけど、何か用ですか?」
「ああ、そうだった。実はね、ハイド君。きみに頼みたい仕事がるの」
セレナさんがニッと白い歯を見せて笑う。これはなにか企みのある顔だ。
「ちょっと、なんで逃げようとするのよ! 」
「ええ……だって厄介事になりそうな気が」
早々に腰を上げ退散しようとしたけれど、セレナさんに首根っこを掴まれてしまった。恐らく話だけでも聞かなきゃ解放してくれそうもない。
渋々僕はまたその場に座り込む。
「それでね、仕事っていうのは私の護衛なんだけど」
「護衛? セレナさん、また危ない所に行くつもりなんですか?」
「そうよ」
当たり前じゃない、と言わんばかりに頷くセレナさん。その根性にはなんというかもう、平服する。
「実は私、ある極秘情報を手に入れたんだけど……聞きたい?」
「いえ、別に」
「ガメル・ゴルドスキーっていう貴族の方がいるんだけど、その人が今大変なのよ」
僕の意見は求められていないようだ。黙っているしかない。
「なんと、彼に殺害予告が届いたらしいの。『週末の日の夜、お命頂戴するよ! キラッ』って書いてあったらしいわ」
「なんか頭悪そうですね」
「そこで私がゴルドスキーさんの屋敷に張り込んで、犯行の一部始終を記録してやろうって寸法よ!」
意気込むセレナさんだが、生憎僕は新聞記者でもなんでもないのでいまいち燃えない。ただ怖いなあと他人事のように思うだけだ。
「それで万が一巻き込まれそうになった時のために僕を連れて行くと」
「流石、話が早いわね」
「行きませんよ」
「え……」
セレナさんは笑顔のまま固まる。何故か僕が拒否するとはこれっぽちも考えていなかったらしい。
「行かないの?」
「行きません」
繰り返し聞いてくる彼女に、僕は同じように答える。わざわざ危険を冒す為の手伝いなんてしたくない。それに週末はソフィリアと出かける約束があるし。
セレナさんはオレンジ色の瞳を潤ませ、上目遣いでこちらを見つめてくる。
「どうしても、嫌?」
「可愛く頼んでも駄目ですよ。命は大切にしてください」
だいたい、セレナさんだってもしかしたら災難に遭うかもしれないのに。そういうことをこの人は意に介していないというか。そういうところではやっぱり僕とは別次元の人だ。
「もう終わりです。僕は仕事に戻りますから」
「そう、分かったわ。でも気が変わったら連絡頂戴ね。待ってるから」
残念そうな声が罪悪感を増幅させる。しかしギルハイドよ、ここは心を鉄にしなければいけないぞ。そう自分に言い聞かせ立ち去ろうとした時、空気を切り裂く甲高い音が、空から迫ってくるのを感じた。
上を向くと、そこにはいた。翼を広げ飛んでくる、あの悪魔みたいな鳥が。
「逮捕ジャ! 逮捕ジャ! 逮捕ジャアアアア!」
鏡は持っていないけど、現在の僕の顔色はおおよそ把握できる。お化けも驚く程に青ざめているだろう。
さあ、鬼ごっこ再開だ! 僕は筆舌に尽くしがたい叫び声を上げながらも、頭の中ではそんな現実逃避じみたことをぬかしていた。