第十話 戦いの後の仲直り
胸焼けする。お腹痛い。頭もちょっとクラクラする。
まさか初日からここまで使い込まれるなんて思いもしなかった。確かに給料は良いみたいだったけど、この業務内容じゃそこらの肉体労働の方がまだマシだろう。
魔導士であり学者。双方のカリスマであるミラさんの素顔があんな人だったなんて……。僕は落胆に似た何かを覚えた。
疲労で働かなくなった頭にぼんやり浮かんだのは、ソフィリアの姿だった。ちょっと暴走気味だけど、いつも一番僕を想ってくれたソフィリア。
――なんだかんだ言って、僕はまだ彼女のことが必要みたいだ。
帰って、仲直りしよう。それから一緒にご飯を食べよう。
そう思って前を向き、足を速めようとした時だった。
「おい、待ちやがれ」
「?」
背後からドスの効いた声で呼び止められる。
振り返ると、そこには見覚えのある三人組が立っていた。昨日、セレナさんに絡んでいた人達だ。
中でもヒゲヅラの人はこちらを睨む表情が際立って険しい。黒焦げにしたことをまだ根に持っているのか。まあそりゃそうだろう。
「反省したんじゃなかったの……?」
「するかボケ! 俺達は泣く子を更に大泣きさせる悪党集団、チンピラーズだぞ!」
「ち、チンピラーズ?」
安直な名前……と言いかけた時、チビデブの人が声高らかに叫んだ。
「ドンのおやぶーん! 例の奴がいましたぜえええ!!」
すると、三人組と反対の方から男が手下らしき集団を連れて現れる。
ドンと呼ばれていたその男は、かなり恐ろしい容貌をしていた。巌のような顔をして、筋骨隆々とした身体。大柄なヒゲヅラよりも更にデカく、威圧感は凄まじい。後部には大きな剣のようなものを背負っているが、こっちからはよく見えない。
男は僕を胡散臭そうにじろりと眺める。
「本当にてめえか? うちのヒゲヅーラをやったのは」
「親分、油断するな! こいつ、こんな虫も殺せねえようなナリしてるけどよ、俺は確かにやられたんだ。魔法なんぞ使いやがって、卑怯な野郎だぜ」
「あー分かった分かった。騒ぐんじゃねえよ」
昨日の屈辱が蘇ってきたのか声を荒げるヒゲヅラを、ドンは諌める。
なるほど、彼らは僕に復讐しに来たらしい。これは困ったことになった。
逃げようにも既に周りは大勢のチンピラによって囲まれてしまっている。まさに袋のネズミだ。そんな僕に、ドンはどこか憐れむように語り掛ける。
「俺の仲間に手ェ出した奴はな、こうやって全員でシメることになってんだわ。だが今回は初回サービスとして、全治二ヶ月程度にしといてやる。ま、こいつらがやりすぎちまわなきゃの話だが」
チンピラ達は皆ナイフだの棍棒だのを構えている。この様子じゃ男の合図があれば一斉
にかかってくるだろう。腕と脚、どっちを先に折る? なんて物騒な相談が聞こえてくる。
戦う事は苦手だ。それでよく魔導士を目指しているな、などとつつかれれば痛いけど。それでも他者を傷つけたり、反対に傷つけられたりする行為はどうしても僕の中で肯定し難かった。
だから僕は頭を下げる。
「ごめんなさい。僕はもう、家に帰りたいんです。通してください」
「ああ!? 馬鹿か、通すわけねえだろ!」
死ねや! と、チンピラの一人が棍棒を振り上げ襲い掛かってくる。いかにも力任せな感じで、手加減する気など毛頭ないだろう。
――だったらもう、こっちも抵抗するしかない。自分にとって嫌なことをして、身を守ろう。
「『ファイア』!」
そう唱えると、僕の指先から火の砲弾が射出される。
突進してくるチンピラは防御が間に合わず、胴体に直撃を食らった。
その威力に耐えられず体は宙へと投げ出され、やがて地に伏す。
倒された仲間を見て、チンピラ達の怒りは頂点に達したようだ。
「この野郎、ぶっ殺してやる!!」
「くたばりやがれこのモヤシがあ!?」
「殺せ殺せ殺せぇ!!」
目を血走らせながら、額に青筋を浮かべながら、チンピラ達はオーガのような形相で向かってくる。けれど、ここでやられる訳にはいかない。こんなどうしようもない僕を、家で待っている人がいるから。
「まだまだ!」
僕は火球を打ち続け、四方八方から襲い来る敵を悉く吹き飛ばしていく。
吹っ飛んだ手下が次々と落下してくる中、ドンは驚愕の表情で僕を見つめていた。が、やはり集団のボスなだけあって恐れをなして逃げる、なんてことはしないらしい。
「まさか……お前、都市伝説の魔導士か?」
「なんのこと?」
「とぼけてんのか? まあいい、大人しくやられなかったお前をこれ以上生かしてやるつもりはねえ。精々後悔するこった」
ぶっきらぼうに吐き捨てると、ドンはゆっくりと背中の剣を抜く。
否、それは剣と呼ぶには異形すぎた。形状は両刃剣に近いが、刀身の縁にはびっしりとギザギザの刃が取り付けられており、まるで鋸のようだ。
「これはな、俺が廃材集めて造った魔法武器だ。よくできてるだろ?」
そう言ってドンは自慢げに笑う。
魔法武器――所有者が魔力を込めることによって特別な効果を発揮する武器だ。魔法具を開発するのには免許が必要なのだけれど、この人が持っているようには見えない。多分、違法改造っていうやつだろう。
なんにせよ、このドンという人は多少なりとも魔法の心得があるということか。恐らく今までの奴らみたいにはいかない。
と、僕は反射的に飛び退く。ドンが剣を振り下ろしてきたからだ。なるほど、脈絡無く攻撃を仕掛けてくるなんて中々に凶悪だ。
「ま、これくらい避けてくれなきゃ興ざめってもんよ。ここからが本番だ」
すると、ドンは剣に内蔵された魔法具を起動する。
ウイイン……という機械音と同時に、のこぎり状の刃が回転を始めた。魔力が漏れているのか、青白い電気を放っている。
あれで斬られたら致命傷は免れない。僕の直感が告げている。
「んじゃ、殺し合うかねえ!」
ギラリとした歯を覗かせ、ドンは大胆に肉薄してきた。
矢継ぎ早に繰り出される斬撃を、僕は避け続ける。剣が壁や地面に当たる度、砕けた石や砂煙が飛んでくる。
僕は魔法にこそ自信はあるが、体力は人並み以下だ。疲労が溜まり斬られるのが先か、相手が隙を見せるのが先か。それが勝負所だろう。
そして、ついに好機は訪れる。壁際に追い詰められた僕の首を撥ねようと、ドンは大きく剣を振りかぶった。
その一手が、決着だった。
「『プロテクション!』」
魔法が発現したのは、ドンが斬りつけてきたのより少しだけ早かった。
光の壁が僕を包み、殺意から守る。高速回転する刃を押し付けられても、それは削れることはない。
「なんだこれは!? クソ、邪魔なんだよ!!」
ドンは繰り返し剣を叩きつけるが、壁はびくともしない。
そして遂に、折れた。砕け散ったと言った方が相応しいかもしれない。今までにも相当無茶な使い方をしてきたのだろう。でなければこんなひどい壊れ方はしない。
柄だけ手元に残った剣を、振りぬいた体勢のまま唖然として見つめているドン。これで終わりだ。
「『ファイア』!」
燃え盛る火球は敵に当たると大きく膨れ上がり、対象を飲み込んだ。
彼のいない家は、いつも以上に広く、暗かった。
野菜を切る。肉を煮る。そんな食材を調理する音だけが、虚しく響く。
「ギルハイド様……」
もしも貴方に許して頂けるのならば、私はどのようなことでも致しましょう。
もっとも、許されるチャンスがあればの話だが。もしも彼が二度と戻ってこなかったら。そんな考えが浮かんできてしまった。
そんな事はありえない、馬鹿げた心配であるのは分かってはいるのだ。しかし、不安というのは理屈では払えない。さざ波のような緩やかさで返ってきては、心を蝕む。
日は既に落ち、窓の外は夜闇に包まれている。よもや、彼の身に何かあったのではないか。様々な憶測が頭をよぎった。
それでも料理をする手は止めない。今この瞬間にも空腹の彼が帰ってきてもいいように。
その時、気配を感じた。決して他と間違うことの無い、暖かな気配だ。
玄関に向かうと、それと同時にギルハイド様がドアを開けた。
彼はひどく疲れた様子だった。服はあちこち汚れていて、顔色も良くない。けれども、目だけは光を失っておらず、しっかりとこちらを見ている。
やがて彼は穏やかに微笑み、一言。
「ただいま」
「お帰り、なさいませ」
ぎこちなく頭を下げる。その拍子に、抱えていた寂しさが漏れ出しそうになる。
けれど、まだ駄目だ。しっかりと謝罪し、赦しを得るまでは。私は口を開こうとした。
しかし、それよりも先にギルハイド様は言ってしまった。
「昨日は言い過ぎちゃった。ごめんね」
「そんな、貴方は何も……」
「許してくれる?」
「…………はい!! ギルハイド様、申し訳ありません! 私は、あなたにひどいことを」
「うん。いいよ」
私は目に涙を浮かべながら、何度も頷いていた。
この偏愛は簡単に治るものではないと、自分でも理解している。これからも私はギルハイド様に迷惑を掛けてしまうのかもしれない。課題は山積みだ。けれど、まだ共にいることができる。今はそれで満足だった。
第一章、これにて完です。二章からはぐっとバトルが増えます。