フラッシュ・お嬢様!
もしかして私の従者って私の事好きなのでは?マリアは訝しんだ。
学園の卒業式の式場に向かう馬車の中で、マリアに唯一ついてこれた従者の素行を思い返し、 マリアは顔を淑女と言える程度に顰めてみせた。
彼女の対面に座る彼はそんなマリアの表情に、つい、と片眉を上げて見せると、これまた呆れたような表情を浮かべる。
横を向いたままなのに、マリアの顔一つで何かよからぬ事を考えていると見抜くのは流石の従者力であった。
「なんの話です、マリア様」
「貴方って今年幾つでしたかしら」
「20になります」
「高収入高身長好青年のエクセレント3K執事エドワードであってらっしゃる?」
「そのエドワードですが、どうなさいました。とうとう頭がぱっぱらぱーに?」
エドワードはおっとりとした口調で、窓を眺めたまま辛辣な言葉を投げかける。
このお嬢さまは暇になると少々突飛な思考に移る所がある。
たった一人の従者ですもの、多少口が汚くても許すわ。という彼女の許しをそのまま横暴に使い回し主人に対して向ける言葉のナイフばかりが尖るのは些かどうなのだろうか。
マリアは頬を膨らませて、折角褒めたのにとむくれて見せた。エドワードは可愛げがないので、メイドが欲しいと騒いだのに結局のところこの男しか残らなかったのは誠に遺憾である。
「ぱっぱらぱーにはなってないわ!……でもなってみたいわね」
「人とは自分の事を客観視できない生き物ですから」
「躊躇なく自分の事をべた褒めしたあだ名を受け入れる辺り貴方の自己評価の高さも客観視できないものなの?」
エドワードはマリアが口にしたように公爵家に仕える執事として、見目良し収入良し将来性もある良物件である。ただ、ちょっと己を顧みないのが玉に傷だ。常々マリアはそういったナルシストなところがエドワードのモテない理由の一つだと思っている。
そう、良物件なのにモテない。高収入高身長好青年のエクセレント3K執事であるにも関わらずモテない。浮いた話もあんまり聞こえてこない。
数々の従者脱落をさせ続けてきたマリアの我儘や性格にも負けず罵倒しながらであれどついてくる。
マリアはだから思ったのだ。もしかして彼は己の事が好きだったらどうしようか。
道ならぬ恋を従者にさせてしまっている。それってすごい悪い事だな、と、思い至ったのである。
思い至ったから振ろうと思って即口にした。
「いや、貴方って私の事が好きなのかしらと思って」
「ははは、そんな恋慕を抱くくらいなら焼死しますな」
「一番つらい自殺を選ばないで」
「仮に好きだったとしてもお嬢様に振られるなんて末代まで恥になりかねないので死んだ方がマシです」
「介錯するわ。ところで鋸って私持ったことないの」
「言い過ぎました」
口の過ぎるエドワードの頬を掴んで引っ張ると、エドワードは死んだ魚のような目で両手を挙げた。本当に介錯が必要になったら鋸から果物ナイフくらいにはグレートアップさせてあげよう。
しかし、マリアはそれならばと続いて湧いた疑問を素直に口にする。思いついた事をすぐに口にアウトプットさせるのは大好きだ。何も考えずに脳みそを役割放棄させるの楽しいと気づいたらもうやらずには居られない。
どうせ卒業式ではありったけの猫を被り思ったことをセメントで固めて心の海にダイブさせないといけないのだから、その前のストレスの重荷捨ては大事である。うん。
「貴方って同性愛者なの?」
「そうですが」
今度は否定が飛んでこなかったと思ったらガチ肯定が帰ってきてしまった。
「……そうですが!?」
「お嬢様を見ていれば女性不信にもなります」
「私を見た結果そんなことに!?なんてこと……美し過ぎるって罪ね……」
「ノーコメントで」
まるでこの世の真理のように語るエドワードに、マリアは心底ショックを受けた顔をした。
全てマリアが美し過ぎるがゆえに起きた悲劇である。素晴らしい女がこのマリアただ1人しかいないと知り絶望したのだろう。
可哀そうとは言わない。異性愛が全ての愛とは限らない、寧ろ男の従者である彼が同性愛者であることでマリアの潔白さがより際立つというものだ。
しかしながらマリアは賢いご令嬢なので、これ以上やぶを突くとエドワードの口から照れ交じりの暴言が飛んでくることを知っていたので速やかに話題を転換させた。賢明である。
「しかし困った事ね、レオナルド様には」
レオナルドとはマリアの婚約者であり、この国の第二王子だ。王は第一王子を後継者として据えているため、彼は近々マリアと結婚してマリアの家、ウツクシーネ家に婿入りが決定している。
勉学は人並だが剣術の優れた、ちょっと脳筋気味の金髪碧眼の王子であるが、マリアはそれなりにこの婚約者の事を愛していた。
「私というものがありながらまさか平民の女にうつつを抜かすなんて。やはり完璧すぎる淑女が隣にいると気おくれしてしまうものなのかしら」
ただちょっと上から目線の愛情だったが。
「お嬢様が完璧な淑女かはさておいて、人間というものは自分より劣った生き物に愛着を湧かせる生き物ですからね。身分は仕方のないものとして、才能と人徳は努力でなんとかなるものですが、道のりが険しいと挫けてしまうのも仕方がない」
「ではあれはレオナルド様なりの私への挫折なのね……お可哀そうに。ああ!私が素晴らし過ぎるばっかりに!」
「お嬢様の自己評価の高さも客観視すると面白いですよ。雲上人でも目線の高さに貴方のプライドがありそうで」
「雲上人と同じほどの人物という事?」
「プライドだけは」
マリアが完璧かどうか、というとエドワードから考えるに、少なくともレオナルドよりは成績は優秀とだけ言っておく。人格については見たままなので特にいう事はない。
レオナルドは膿んでいた。優秀な婚約者と兄、婿入りする家はやり手の公爵が未だ実権を握って離さず、ある程度レオナルドか……まあ恐らくはマリアがモノになるまでは早々隠居する事もないだろう。
努力が認めてもらえないというのは辛い事だ。だからこそひょっこり現れた平民出身のアホの子になびくのは仕方ない。
マリアから言って、あれだ。出来の悪い弟が野良猫を拾って段ボールで飼っているような気分。病気が怖いけれど心の支えになるのであれば放っておきたいわ的な。
ここで支援しない辺りマリアの根性の悪さが滲み出ている。
「でもどうしましょう。このままだと私とレオナルド様の双方の面子が立たないわね」
「個人的にはレオナルド様とお嬢様がくっついてくれないと困ります。護衛騎士のダルタニアス様を口説いてる真っ最中なのです」
「ダルタニアン様婚約者がいらっしゃるのよ、不埒な道に誘わないでちょうだい」
「婚約者様ご公認だと言ったら?」
「リジ—様、お腐乱してあそばせたの……」
「人生で一度でいいから『苦しゅうない、抱き合え』と言いたいと仰せでした」
「前世で何をしたら業をそんなに積むの?」
この程度で業であれば彼女は腐海に浸かる事はできない。
ともはさておき、楽しい馬車での会話も終わり、卒業式の式場へと着いた。
まあ実家の馬車で来ている時点でお察しだが、会場前にレオナルドの姿はない。マリアは呆れたように鼻を鳴らすと、先に降りて恭しく手を差し出すエドワードの手を取った。
「……レオナルド様はやはりエスコートには来られないかしら」
「まあ恐らく。あの手の恋愛は火遊びですから。現在大炎上中まっしぐらかと」
「飛んで火にいる夏の虫みたいになりたくないから来なくていいわ」
「今のお嬢様、よく燃えそうですからねえ」
恋に障害はつきものだ。愛の炎というのは良く燃える。
そういう意味では、淡い黒から青へとグラデーションを波打たせるフリルたっぷりのドレスを着たマリアはいい薪になるだろう。
本人の苛烈さも相まって、さぞかしいい燃料になると思う。マリアを薪にした二人の愛の炎を実家の暖炉に使えたらどれだけ燃費が浮くだろうかと考えてやめた。いつ消えるか分からないので安定性がない、逆に冷え込まれるのは困る。
「まあ、それも今日で落ち着くと思いますよ。山火事って火で火を消すらしいですから」
エドワードは苦笑を浮かべて肩を竦めた。
マリアは自信たっぷりに頷く。意味は分かっていないだろう、分かっていないが、彼女の自慢の執事がいう事にあんまり間違いはなかったので、それでいいのだ。
「じゃあ貴方がエスコートしてくださる?」
「臨時ボーナスください」
「もう!分かったわよ、恥かかせないでちょうだい!」
エドワードの手を借りて馬車を降り、こうしてマリアは卒業式会場へと降臨した。
マリアとレオナルドの仲———というより、レオナルドの不貞———は周囲には既に噂として広まっており、今日の事で確信を得たらしい。
威張り散らす彼女をようやっと盛大に笑える、と思い悪意と好奇心混じりにマリアがやってきた事に気づいたパーティー会場の人々は、エドワードにエスコートされるマリアを見て驚愕の顔を浮かべた。
そんな彼らの群れを割って現れるように、本日の火元が轟轟と愛欲の炎を胸に宿し、マリアの前に立ちふさがる。
「———来たか、マリア・ウルワシーネ!今日はお前に申したい事、が……?」
すぐに沈火した。
「あらごきげんようレオナルド様」
「……誰だっ!?」
レオナルドは訝しんだ。目の前のこの女人は誰なのかと。
レオナルドの知る婚約者は笑うと顔がひび割れるほどの顔を厚化粧で覆い隠し、髪はぐりんぐりんに巻かれており、首から下が別物といわれるような、そんな虚栄の化け物であったはずである。
だからこそ、レオナルドは目の前の女性が年に何度か顔を合わせた事のある婚約者であると理解できなかった。
する、と腕を引いていたエドワードが恐れながら、と頭を下げる。
「我が主人マリア・ウルワシーネ様でございますが」
「いや……確かに声はそうだが」
「な……なんで顔が光り輝いてるんですかあ!?」
素っ頓狂な声を上げて困惑を分かりやすく周囲に伝える、平民上がりには贅沢が過ぎるドレスに身を包んだ浮気相手のカリーナがわなわなとマリアを見て指をさした。
顔が光っている。
いい得て妙だ。確かに光っている。しかも物理的にだ。
照明や光魔法もかくやというほどマリアの顔は輝いていた。光に塗りつぶされて正面に立つと目がやられそうなほど、だ。
かろうじて長い睫毛やら表情やらはかいま見える程度で、しかしながらなんか本能的に理解してはいけないという警告を脳裏に響かせる程の威圧感。
例えて言うなればキン〇マンフラッシュ、ウル〇ラマンビーム(顔面)、その輝きはバスター宝具といったところか。悪役令嬢の顔はいつでもバスタースタイルなのだ、ラッシュスタイルのヒロインとはわけが違う。
「マリア様は今日は薄化粧、顔面の発光具合を抑えるための厚化粧をしていないからでございます」
「おーっほっほっほ、いつもの厚化粧で行こうのですけれど今日は晴れの日だからとメイドたちが人の目を潰さない程度の化粧に留めましょうと言われたのよ!」
「待ちなさいよ!目が潰れるのあんたの素顔は!?」
カリーナの追及に、マリアはさっと手を出した。
エドワードがその白魚のような手に扇を乗せる。ばっと開かれた豪奢な扇が顔の光を少しだけ防ぎ、床に扇型の影を落とした。
「潰れる、は比喩でしてよカリーナ様。ある程度の慣れがないと私の素顔は人の心を吹き飛ばしますわ」
「神話生物か!?」
「どんなものでも行き過ぎたステータスは害悪になるという象徴ですね」
上限値、下限値を超える美は強制的にSANチェックが入るのは愉快なルルイエ民としては常識の範疇内である。
美しいと醜いは紙一重。麗しさの暴力はとどまる事をしらない。
だが、カリーナはその美に向かって真っ向から立ち向かった。気概がある、恐らくSAN値チェックをものともしない業運鋼メンタルの持ち主なのだろう。
でなければ公爵家の婚約者、それも王家の人間を正々堂々と寝取るという一歩間違わなくても醜聞まっしぐらな泥沼愛欲奥様劇場を作り上げようと思わないはずだ。
「ふ、ふん!う、美しいとか言って、顔なんか光で全然見えないじゃない!それって不細工と同義よね!」
「はっ……そうだ。あんまりな衝撃がありすぎて意識が飛んでいた」
「レオナルド様ァ、言ってやってくださいよ。私たちの事ォ」
一瞬婚約者の意味不明さに意識を飛ばしていたレオナルドが自分を取り戻すのに、カリーナは猫撫で声で彼の腕を取る。
なるほど、そうくるか。確かにカリーナのいう通りマリアの顔はこれでは視認していても厚化粧状態と変わらない。初夜で顔面光り輝く嫁は初夜でベッドの上でおしろいをまき散らす嫁と大差がないだろう。主にムードがないという意味で。
「そ、そうだ!マリア、俺はお前との婚約を———」
レオナルドが必死に言葉を紡ごうとするのに、マリアはにこりと微笑んだ。
「ぐうう眩しい!!!物理でも目が!!!」
マリア・フラッシュ!!
説明しよう!!マリア・フラッシュとは行き過ぎた美貌を表情一つでより華やかにさせる事により顔面から放たれる太陽光のような激烈な光をもっと凶悪な輝きに変えることができるのだ!
「マリア様、笑ってはだめですよ。顔面の発光量が増します。ただでさえ麗し過ぎて光の精の加護がかかってるのですから」
「ごめんなさい。久々に名前を呼ばれてつい」
マリアのこの時の気持ちは、出来の悪い犬が飼い主の足にようやっと噛まずに近寄ってきたような心境。あるいは頭の悪い弟が舌ったらずにようやっと顔を覚えて人の名前を呼ぶ様になった感動ともいう。
このままでは埒があかぬ、としたエドワードは呆れたようにため息をつくと、すすす、とレオナルドの隣へと立ち、彼の手に一つ、彼女との対話に今彼が最も必要とするだろう物を握らせた。
「レオナルド様、こちらをどうぞ」
「う、うむ。これは?」
「色眼鏡でございます。おっとスケベがかけるものではございませんよ」
「素直にサングラスと言え」
「マリア様は今日はこのままですので、慣れぬ殿下にはきつかろうと思い用意いたしました」
学園でもう少し会話をしてもらって、少しずつ化粧を薄くしていく算段だったのだが元来彼女の事を政略結婚相手として遠ざけ、学園内の彼女の首から上が怪物のような厚化粧だったのもあり、一切、全く、ぜーんぜん捕まらなかった為、彼の目が慣れていない事を考慮してのサングラスだ。
そそくさと彼がそれをかけて、サイズを確認している横で、物欲し気にカリーナはエドワードに近寄った。
顔のいいエドワードはカリーナにとって結構いい獲物なのである。いい男には何人にでもちやほやされたい、ある種清々しいくらいの強欲尻軽ぶりであった。
「ね、ねえ、エド。私の分は?」
「これなら……」
「鼻眼鏡じゃねーか!!」
ゴブリンのイチゴ鼻サングラスエディジョン、バージョンエドワード!!
ちなみにオークバージョンもある。非売品なので欲しい人はエドワードに商談を持ちかけてください。
「よ、よし、ようやくお前の顔が見れるな!いいか、マリアよ!お前の悪行には———」
「はい」
後ろでわちゃわちゃとするエドワードとカリーナを一端置いて、レオナルドはようやっとそこで婚約者に向き直る事ができた。
どれだけ美貌がどうとか言っておきながらも、レオナルドはこの時、彼女がレオナルドと別れたくなくて過剰な演出をしているのだと思っていた。
しかしながら、レオナルドは向き合った婚約者の顔を見て、絶句する。
「……え、ええと」
「なんでしょう」
「ま、マリア、マリアよ」
「はい、殿下」
綺麗だ。
「何か?」
レオナルドの中から、罵詈雑言が抜けていく。彼女が微笑んだのに、サングラス越しなのに眩しく思った。
幼い頃はどうだっただろう。二人は幼い頃から婚約者という関係だったが、彼女の顔はここまでに美しかっただろうか。
もしそうだったら———惜しい事をした。彼女の今の姿を見て、幼い頃の完成されていない美もきちんと視界に入れておくべきだった。
この時、レオナルドの中で様々な感情が行きかい、結果として残ったのは彼女への畏敬の思いだった。真に美しいものを見ると、愛とか恋とか、そんなものを抜きにして感動する。
マリアは、生きた神の芸術だ。
「……きょ、今日は一段と麗しいな、うん」
「ありがとうございます殿下。今日は殿下もいらっしゃるので、殿下の好きな色を取り入れてみたのです、似合いますか?」
「あ、ああ……似合う」
「ちょっと殿下!?」
腑抜けのように彼女の事を褒めるレオナルドに話が違うと目くじらを立てるのはゴブリン鼻眼鏡を踏みつぶすカリーナだ。
彼女は王妃になりたい訳ではないが、金持ちにはなりたい。そんな彼女が吊ったのがこの大魚だ。
例え彼が王にならなくても、王家の人間の相応しい地位が約束されるだろう。臣下として王弟として、国の中央区に食い込むレオナルドをカリーナは手放したくなかった。だって学園にいる間の全ての時間を費やしたのだ、他の嫁の宛先なんてないのである。
「す、すまないカリーナ、どうにも調子が狂って……、だって普段は顔にひび割れが出来るくらいに厚化粧なのだぞ!どうなってるんだあれは!?最早骨格から違うではないか!!」
「発光を抑えようと思うとどうしてもそれくらいになりますの」
「お嬢様のフルメイクは朝の3時からスタートです」
「それは最早深夜だ!!特殊メイクか!!?」
「特殊加工の領域なのは否定できませんな」
真っ当な突っ込みにエドワードは我々も迷惑しております、と頷いた。
一番可哀そうなのは化粧をするマリアでもなければエドワードでもなく、身支度するメイドたちなのだが。
そこでようやっと、マリアは動く事にした。受け身だけではカリーナの勢いでうっかりとレオナルドが失言しかねない、ただでさえ今失態を重ねているのだ。
で、あるなればどうするか?
答えは一つ。バーストスタイル系お嬢様に相応しく、顔面で仕留める。
「殿下……殿下は今日何か怒っていらっしゃるのね」
「え!?あ、うむ。そ、そうだ!とてもおこているぞ!」
「ごめんなさい。私何をしたかしら?本当に心当たりがなくて……」
「そ、それはっ……それは……」
アリアの顔を前にして困惑と動揺と動悸息切れ眩暈から最早まともに会話すら難しくなるレオナルドは、いっそ可愛そうなほど顔を赤らめた。
元より箱入り息子。王妃から末の子だからと蝶よ花よと可愛がられ、学園で初めて己が劣っていると理解してしまった可哀そうな王子である。周囲の取り巻き達は皆賢明な判断をもって王子を諫め、支えてきたものの、物には限度というものがある。
少しずつ、彼らの目に失望が宿るのに、レオナルドが縋れるのは醜いと思って遠ざけ、罪悪感を抱いていた婚約者ではなく責任感のない、ありふれた言葉で男心をくすぐる少女だった。
自分より劣った、右も左も分からない少女。
しかし、今、目の前に立つ存在に、己の罪を突き付けられている気がする。
「お、お前がカリーナを虐めたとの証言があるのだ。その真偽を確かめるためにこうしてだな……」
「まあ!私がカリーナ様を?」
はらり、と涙が零れ落ちて、化粧が少しだけはがれた。
「ぐわああああああああああああああああ!!!!」
レオナルドは絶叫した。
サングラスでは抑えきれないほどのビューティフル・パワーが彼の良心と美的感覚を破壊していく。価値観が塗り替えられていく。この世の宇宙の真理が彼女の涙の筋から化粧が剥げて見えたマリアの素肌から放たれていく—————!!
「うつくしいいいいいいいいいいいいい!!!!」
「で、殿下ぁあああああ!!!」
悲壮な悲鳴を上げてアイデンティティーをクライシスされるレオナルドに、慌ててカリーナは走り出した。咄嗟にサングラスを投げ捨てさせ、仰向けにぶっ倒れる彼の目を掌で覆う。
しかしもう時は遅い。圧倒的美は何よりもその瞼裏に刻み込まれ、永遠に彼の網膜に刻み込まれた事だろう。
傾国の美というより人類の敵。そんな感じの美しさだった。
「そんなことはありませんわ。殿下は私をお疑いになられるのね、……ああ、こんなに胸が痛めつけられるなんて……」
「う、嘘よ!くそっやべえ化粧が剥げて顔の光がすごい事に!直視できない!!」
「直視したらそちらの第二王子と同じ有様ですよ」
「神話生物かな!?」
否めなくなってきた。
「何の騒ぎだ?」
「陛下!!」
卒業式の場に更なる混沌があふれ出る。
もはやマリアの快進撃ならぬ美進撃は留まる所を知らないが、このお方ならなんとかしてくれるかもしれない。
こつ、と近衛兵に守られながらやってきた彼は、王笏を手にまだ式も始まっていないのに大騒ぎのこの卒業式会場へと足を踏み入れ、不愛想に顎髭をたなびかせていた。
彼は周囲を一瞥すると、倒れ込んだ息子の隣に立つマリアに気づき、苦笑を浮かべた。
「ふむ……マリア嬢、息災であるな。今日はことさらに美しい」
「ありがとうございます、陛下」
ざわついた周囲。
この王様はどうやらマリアの特異すぎる顔面について把握していたらしい、という事実に慄然する。この生物兵器を息子に宛がうとか心がないのかこの男。
「それで———この騒ぎは?」
王の問いかけに、いち早く反応したのはカリーナだった。
「お、王様!あ、あの!」
「その方。儂はまだ発言を許可しておらぬが?」
「わ、私はカリーナ・アテウマリと申します!王様には、私と殿下の恋仲を認めていただきたく!」
「恋仲?」
きょとん、とする王にカリーナはがくがくと首を縦に振る。
不敬を働いている自覚はあるのだろうが、ここで引き下がればレオナルドがマリアを婚約破棄するという外堀が埋められなくなってしまう。
「はい!ねえレオ!」
そう言って、カリーナは倒れたレオナルドを抱き上げた。
ぐだり、と力の抜けたレオナルドははたから見るほど死んでいるように見える。やる気がないというよりも魂を抜かれたような有様だ。
血の気の失せた顔で目を閉じるレオナルドに、カリーナは彼を起こそうと揺さぶった。
「レオ?」
「……」
「れ、レオ?大丈夫?ねえ、レオ?!」
一抹の不安がよぎり、カリーナの声が上擦る。
まさか、嘘だろう。顔を見ただけだぞ!?と周囲が慌てふためきだすのに、マリアは素知らぬ顔で二人の様子を見守っていた。
カリーナが必死に声かけをする。これはもう医者を呼んだ方がいいのでは、と誰もが危惧したその瞬間だった。
かッと凄まじい勢いでレオナルドが起き上がった。
「……マリア万歳!」
「レオー!?」
「マリア万歳!君の美しさは薔薇の花よりも気高く星屑より輝いてロッケルペルグの灯台のごとく我々に光を与えたまうだろう!マリア万歳!走馬灯のように走る幼き日々!僕はなんて愚かだったんだ君の美しさを見れば虐めなんていうものはご褒美にしか過ぎなかった!マリア万歳!!」
まるで悪魔にでも魅入られたかのように叫び出すレオナルドに、カリーナは呆然と腰を抜かした。
ただ婚約者の顔を見ただけなのに。
恐れ慄く周囲とカリーナを置いて、レオナルドはひたすらに狂ったオウムの如くマリアをほめたたえ続ける。
しんとした静寂にレオナルドの早口が響き渡るのを見ながら、王はものすごくなんでもない事のように顎をさすった。
「ふむ、どうやらマリア嬢の美しさに一時的に当てられてしまったようだな」
当てられてしまったようだな!?
王とはやはり、冷酷でなければいけないのかもしれないと思うほど冷淡に淡々と事実を述べると、彼はため息をついてマリアの方に向き直った。
息子が精神を病んでしまったのに恐ろしく平常な態度で、彼は目を細める。
「あれほど学園生活でマリア嬢と向き合えと言ったのに、仕方のない愚息よ」
「仕方ありませんわ、陛下。私フルメイクでしたもの。殿下はお化粧品の匂いが苦手と知っていればフルフェイスマスクで対応しましたわ」
「それもそれで怖いと思うが……、うむ」
マリアの明るい提案に、王は再びため息をつくと、自分の兵を使って息子を医務室へと運ばせた。経験でもあるのか、一晩寝れば治るだろうという彼の言葉に半信半疑になりつつも、周囲は静かに平伏する。
王は納得がいかなさそうな周囲に優し気に微笑むと、こつりと王笏で床を叩いた。
「まあこれも夜会のささやかな話題よな。ウルワシーネ一族は代々子にこのように光り輝き他者をなんかすごい精神的に美で殴りつけて黙らせる家系がゆえに。何、皆の者苦しゅうない、今日も夜会を楽しんでいってくれ」
まあ、確かに、面白い話題ではあったが。
王がそういって式場の上座へと向かうのに、ようやっと彼らもパーティーへとややぎこちないながらも心を切り替えさせ始める。
カリーナは呆然と座ったままだ。残念だが、彼女の今宵のパートナーは医務室でマリアを讃えているので一から探し直しだろう。
最も彼女とマリアの騒動を見た後では今日は誰も彼女の手を取らないかもしれないが。
王はマリアの横を通り過ぎる時、そっと申し訳なさそうに囁いた。
「息子は少々不出来でな。これからもマリア嬢の手を煩わせるだろうが、君の真価見れば多少の意識も変わるだろう。よろしく頼むぞ」
「はい、陛下」
マリアは笑って、そう優雅なカーテンシーを見せると、王はそのまま足早で過ぎていく。
老体なので、近くで見たマリアの顔は眩し過ぎたのだろう。頻繁に目をしぱしぱとさせていた。
エドワードはようやっと終わったか、とマリアの隣へと並んだ。気が付けば隣から消え失せていた従者に、なってない男だと唇を尖らせつつ、マリアは彼を見上げる。
この顔面上、失明する者や気が触れる者、意味の分からぬ恋慕に憑りつかれる者と数多くの従者が散っていったのだが、エドワードがマリアの隣に立てるのは危機管理の高さからだ。
彼はマリアが自分の顔面で相手を殴りつける際、必ず誤ってサングラス越しでなくとも直視したりしないようにしていた。
彼はマリアの顔を見ないようにすっとファンデーションを差し出す。
彼女が顔をぱふぱふと粉で叩くと、顔の光がようやっと薄まり、室内の灯りが一段階薄暗くなった。
僅かに落ち着いたマリアの発光に、エドワードが安堵すると、マリアはエドワードに不思議そうに問いかけた。
「……貴方今までどこに行ってたの?」
「ダルタニアン様の所ですが。色よい返事が貰えたので後日お休みをいただきますね」
「私が振られそうになっている時に何告白に成功してるのよ」
いつもべったり一緒だったら、いつか目をやられかねないと思っているからである。
悔いのない様に生きたいというのはエドワードのモットーであった。
他所であれば下手をしなくともクビになりかねないが、マリアは彼のそんな態度にけらりと笑うと、嬉しそうにまた彼の腕に手を回した。
華奢な手だ。顔の破壊力とは反比例して、彼女は重たい物は何一つ持てないし壊せない。
「私は貴方の顔にまだ慣れませんから。メイクが溶けた顔なんて見たくないですよ」
「貴方くらいよね、私の事そういうの。学園ではよく言われたけれど今では素顔を見たいって人の方が多いと思うわ」
「顔がいくら良くても性根が極悪です。婚約破棄も言わせないし虐めの事も上手く顔だけでうやむやにして。おまけに王子の精神汚染と周囲の威圧、天はあなたの顔に二物を持たせすぎです」
「私が美し過ぎるばっかりに!」
もはやお決まりのようになった言葉を吐く彼女に、エドワードはノーコメントで、ともう一度返した。
レオナルドのあの婚約破棄をしようとした手口は行き過ぎたものであったが、あれくらい勢いがないとこの少女の事は打倒できないだろう。
エドワードは呆れたように笑うと、未だに距離のある周囲の人々を気にする事なく、主を連れ添った。
「ええ、本当によく燃えますよ、今回のゴシップは」
「素敵ね。私火って大好き!」
「放火犯みたいなことを言う」
エドワードは認めている。もしかしなくてもマリアの事を主として、エドワードは結構気に入っている。
彼女が薄化粧にすれば道行く人々が目をやられるかもしれないというはた迷惑な公害に及んだ理由が、エドワードとマリアの関係を邪推し、罵るような噂を出されたからだと知っている。
こうやってすっぴんに近い顔で周囲を威圧し、精神を摩耗させることで、自分を貶めるような形で従者に同情させようとしているのを、知っている。
「だから貴方の事は嫌いになれないんですよねえ」
「ごめんなさい、私エドワードの事は手足とは思ってても異性としては……」
「死にますわ」
「介錯?」
「死にません」