昭和48年の怪談
最近、コロナウィルスだ新型肺炎だで、マスクが売り切れるパニックが起きてるそうじゃないですか。
昭和48年でしたかな、私が子供のころにも、パニックで『ティッシュペーパー』が売り切れたものです。が、わたしの居た町では違うものが売り切れておりまして……
『よくよく思いだしたら怖かった話』のていで語る、短編です。
声顔出しNGなのでこちらに文字で書き起こしておきますね。
わたしが幼い頃、オイルショックというのがあったのです。どちらかというと、石油が高騰するぞっていう話に付随する、デマのせいで起きた社会的混乱だったと思います。
トイレットペーパーを買い占める映像なんかは、今でもテレビで流れるでしょう。まさにあれと同じことが、わたしのいた町でもあったのですよ。
そのとき買占めがあったのが、何でか分からないのですが、缶切りでした。昔ですからね。プルタブ引っ張って簡単にあくワンタッチ缶詰は無かった。缶詰を開けるには缶切りが要る。
その缶切りがどのスーパーにも、金物屋に行ってもないって。両親が暗い顔をしてたの覚えています。
裏の家もそうで、「今ある缶切りが壊れたら、お宅に借りにゆきますね」とか言ってました。そこの子は私と同じ学年だったので、学校行き返りに「缶切りが壊れないといいねえ」とか言って。指切りしてたもんです。
でも悪いことというのは重なるもので。夕飯時だったと思うのですが、鯖の水煮かなにかを開けようとして缶切りが壊れた。
「裏のお家に借りに行って」
と母に謂われて。
私はすぐ垣根ごしに「こんにちはー、缶切り貸してもらっていいいですか」って叫びながら行ったんですよ。宿題を後回しにして、裏の子と一緒にしばらく遊べるかなって思いながら。
そしたらね、裏の家の勝手口にきても返事が無くて。鍵が開いてた。
これまでにもそういうことが無かったワケじゃないので。
「ごめんくださーい、缶切り貸してくださーい」
って声出しながら入ってった。
入った先は台所で、ガスにかけたやかんから麦茶においがしてて。焦げてるなと思ったら、沸騰しっぱなしのやかんから吹いてるの。慌てて火を止めて、見まわしたけど、裏の家、人の気配がない。
居間のテレビは消えてて、網戸だけの窓は空きっぱなし。
ちゃぶ台の上には、開いたままの夕刊と、脇に宿題プリント。この家も、私の家と同じく、帰宅した父親が新聞読む横で、子どもは宿題してたわけです。
そのプリントの上に、鉛筆が放り出してあって、テーブル脇には口の空いたランドセルが置いてある。
変だなあ、急に一家で出かけたのかなぁって思いながら、他の部屋も見て、トイレも覗いたけどだーれも居ない。
ひとまわり探して戻ったら、台所の流し台に、銀色の缶詰がいっこありまして。缶詰の蓋に、缶切りが刺さったままで放置。
(変なの、ちゃんと開けてからどっかに出かければいいのに)
みたいな気持ちでしたな、あの時は。その頃から、一つの手続きはちゃんと終わらせて他のことをしないといけない、って自分ルールの意識が強い子どもだったんです。
缶切りを握って、子どもの力ですから何回かギコギコやって、ようやく外すと、「しゅぅー」っていう変なガスの音がしました。
そう、缶切りを借りてこいって言われたからには、そこにあった缶切りを持って帰ろうと思って!ええ!持って帰りましたとも。
勝手知ったるご近所の家ですんで。広告の裏紙がどこにあるかも知ってるから、
「かんきりを おかりします」
って、鉛筆で借用書書いて、缶のところに置いてね。
自宅に戻って、缶切りを「これこれこうでー」と借りた話を母親にした記憶はあるんですけど。
翌日朝になってもその一家に誰も戻ってこない。朝、集団登校の待ち合わせ場所にも来てないから、班の皆はさらわれたとか、夜逃げとか言ってました。学校から帰ってみると、警察が来ていて、私も色々訊かれましたね。
ここぞとばかりに頭イイこと言おうと、頑張ったのは覚えてます。実際には、体裁上訊いておく感じだったんでしょうけど。両親のほうが長時間、裏の家まで案内したり近所づきあいを探られたりで、疲れきってましたよ。
結局その行方不明は、理由不明の行方不明のままで終わった筈です。新聞にも、「一家が行方が分からなくなり、捜査中」と書かれて、続報は無かったような。
何で私が、この話を怪談みたいに語っているかっていいますとね。
入ったらダメよ、って言われると余計入りたくなるじゃないですか、『事件のあった家』って。施錠されてなかったから、勝手口のとこから台所に入ってみたんです。
そこでふっと、目に留まったのが、あの銀色の缶詰。誰も持って行かなかったんですね。夏場だったし、食べ物の缶なら腐ってても当然ですが。臭いにおいはしなかった。
今思えば、なんでそこでそれを気にしたのか。自分でもよく解らないんですけど。
今はリサイクルのために、アルミ缶は分別収集されてますが、その時代は不燃物でして。
ルールをよく覚えてる子でしたから、
「缶は不燃物」
っておもいだしたら、当然それは「捨てなくてはいけない」って思ってしまったんです。一か所だけ切り口のあいた、空き缶持って。勝手口の脇、物置と母屋のあいだに置いてある不燃ごみのバケツに、ぽいっと放り込みました。子どもにはちょっと大変でしたよ、60リットル入りの青いバケツを開けるんですから。
で、その空き缶。
持っていたときは、中身が無いみたいな軽さだったのに。バケツの中には他の不燃物が入ってますよね。
缶が他の不燃物にぶつかったとき、重たそうな感じで「ガン!」といって、「ゴトン、ゴトッ」と転がって止まった。カン!カララ……って感じじゃないのが不思議で見ていたら。
蓋にあいた小さい開口部っていうんですかね。あの一か所だけ缶切りでついてた切り口から、赤い汁みたいなのがでてきて。
やっぱり中で何か腐ってたんだ!気持ち悪い!うわあ!
って、慌ててバケツの蓋を閉めて自分の家に逃げ帰って。そのまま、「外出なんてしませんでした、家に帰ってからずっと図書館で借りた本読んでました」って顔をしてました。
その時はそれで終わったつもりでしたがね。
年齢重ねて色々見聞きしますに、振り返って考えてみると、怖いことだったんだなっていうのがあるんですよ。あの赤い汁みたいなものとか。今の自分が見たらぜったい血だって分かるハズですし。
今でもたまに、不燃物の青いバケツを見かけると、蓋を取って覗きこみたくなりますね。別にあの缶詰がある訳でもないってのにね。
(終わり)