3-1 みにくいみにくい、かわいそうな妃。
それは陽の気配が既に消え去り、真夜中の闇が全てを覆う刻のことであった。
彼の魔法市街の敷地にも及ぶとも言われる大きさの森の中、その中心に佇む城の寝室にて――――――
「あなたも、同じだったのね」
薄暗い室内。小さな蝋燭の火によって照らされた彼女の口元は、歪んだ三日月を浮かべていた。
その表情を見た者はどう思うだろうか。当然の如く、悪鬼だ羅刹だと騒ぎ立て――または声にもならぬ声をもって、その場に尻もちをついて倒れるだろう。
それ程までに、彼女の表情は真に迫るほどの悪を成していた。怒り、嫉妬、それを晴らしたことによる喜び、快楽。この表情に至るまでの道程をすべて物語る顔。
その顔にいまだ後悔はない。だからこそ危険だ。今ここにいるというのは倒壊寸前の家の中で無防備にくつろいでいるのも同然の行為なのだから。
だが安心してほしい。この場に“生きた人間”は存在しない。
既にこの部屋の主は彼女によって絶命している。
窓際に寄せられたベッドにて女に馬乗りにされた男は、この世のものとは思えない顔を浮かべ、そのまま時が止まったかのように静止していた。
その男の体には刺し傷、切り傷、痣、索条痕の一切がなく、後の調べでは体内からの薬物、毒物反応すら皆無であったという。
ならば男はなぜ死したのか。
「なんでみんな私を虐めようとするのかしら。顔が醜いだけなら放ってくれればいいのに」
先ほどまで三日月が浮かんでいたその口元には皺が浮かび、瞳からは涙が流れ落ちてくる。
彼女の顔は豊かに表情を変えながら、今度は自身の生を振り返ることで悲しみを増大させていく。
「でもあなたは私のことを愛してくれると言った。母さまや姉さまとは違うんだって、そう勘違いしてた。ふふ、私も馬鹿ね。この美しく作られた偽物の顔が、自分のものだと驕り高ぶっていた」
彼女は男に向かって告白――否、遺体に向かって独白を続ける。
言葉に合わせて、その顔は悲しみや怒り、自らをあざ笑う失笑へと変わり、既に彼女の情緒は異常をきたしている。
「本当の顔を見せてくれって言われたから、私は見せたのに」
思い起こされるのは幾度もの打撲。拳、足、棒。真実を見せた瞬間から彼は豹変し、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も打ち付けられた。
そのとき思い出した。城に出迎えられてからというもの、日々があまりに幸せだった為、思い起こされることなく脳内の奥底に押し込められていた大嫌いな記憶を。
母さまや姉さまからも同じようなことを受けていたと。そして彼も同じだった。
その数日後、彼女は毒によって死んだ。自殺ではない。彼が汲んだ毒入りの水。毒入りと知らされながら彼女は飲むことを要求された。抵抗した。
必死の抵抗だった。まだ生きていたい。"生きていれば希望がある"と、大切な人に、あの運命の日に言われたから。だから生きたかった。
結果、彼女は死んだ。
死因は毒殺か、撲殺か。彼女にとって、そんなことはどうでもよかった。
「違う部屋に移して、無視してくれればよかったのに。なんでみんな私を虐めるのだろう。それだけが許せない。私から未来を奪うのだけは許さない」
だから、その報いとして――――あなたは死んだの。
やがて馬乗りになっていた女は、もともとその場にいなかったかのように掻き消える。
彼女が最後に浮かべていた表情も、蝋燭の火が消えたことにより見えぬまま。
後に原因不明として処理された部屋の様子は、殺人という凄惨な行為が起きたにもかかわらず、窓から見える森の景色のように変化のない一夜を過ぎた。
無風なる静寂の中で唯一、梟の鳴く音のみが不気味なまでに響き渡る。
主を失った城は、新たな陽が昇るまでの間、いつも通りの平穏を保っていた。