2-2 魔女とチョコレート
近くに来て一番驚いたのは、城壁に刻まれる繊細かつ広大に描かれた魔法印の光景であった。
それは世界遺産と評される歴史ある魔法市街の象徴。うん、こんな見習い魔法使いの私でも
知っている。ここは世界中の魔法使い達の総本山。
「……ウィッチ街だ!」
興奮を抑えきれず、市門の前で一人叫んでしまう。咄嗟に誰かに聞かれていなかったか辺りを確認するが、心配はなさそうだ。
一方お兄ちゃんはというと、まだ後ろの方で街に向かって進んでいる。これは今までの経験から学んだことであり、お兄ちゃんは一定のペースで進むため、それを予測してある程度前の方を進んでいた方が疲れずに進むことができるのだ!
とりあえず私はお兄ちゃんが近くまで来るのを待つため、門の近くで待つことにした。
一歩二歩、門をくぐる。一応魔法使いの見習いなので、私は少しばかりの緊張を抱きながら街へと入っていく。
街へと入り少し歩いていると、違和感のようなものが全身に走った。
不快なものではない、どちらかというと心地よい気分。なんだか体が軽くなったような……
突然、持っていた杖の魔石が眩い光を放つ。
「え! え!? どうしたの!?」
急なことに驚いていると、呪文を唱えてもいないにもかかわらず魔法が発動して炎が発現する。
「ぎゃあああ! 助けてくださいー!」
この状態、教室で習ったことがある。これはいわゆる暴走ってやつだ!
しかしそれが分かったところで対処法が分からないため周りに助けを求める。だが周りを見るとみんな微笑ましく笑っているばかり。
そんな中、一人のおじさんが助けを差し出してきた。
「こらこらっ、アンパーの上に乗ってるぞ」
「え!?」
どうやら私が踏んでしまっていた魔法陣が原因らしい。
そこからすぐに退くと、杖の暴走はすぐに止んだ。
「君、ここはお祭りの街灯に使うから立ち入り禁止だ」
「……すみません」
やってしまった……ちなみにアンパーは魔力を増幅する際の魔方陣らしい。それで体が軽くなった感覚があったのだろう。
街に入ってすぐに、自分がまだまだ三流だってことを思い知らされていく。そんなしょんぼりした私を気にすることもなくそのおじさんは話しかけてきた。
「もしかして街の外から来たのか? 有名だから知っているかも知れないが、彼氏がいるなら外を出歩かない方がいいぞ?」
「! まだいません!」
思春期だからだろうか、お父さんのような人にこういうことを言われるのはなんだか恥ずかしくて赤面してしまう。
しかしどういう意図でそんなことを言ったのかが検討がつかない。そんな私の内情を察したのか、おじさんは話を続けた。
「どうやら知らないみたいだな。最近この街じゃな、二十代までの若いカップルが次々疾走してるんだ。どうだ、まさにあの伝説通りだろう?」
「あ! それってバッドウィッチ伝説ですね!」
バッドウィッチ伝説。かつて数百年前のウィッチ街で起こった若い男女の誘拐事件。真相は魔女に扮した悪魔が人間の生き血をすするために起こしたのだという。今となってはその事件が嘘か真かを確かめるすべはないのだが、いま時を越えてこのウィッチ街に伝説がよみがえったのだ!
「ああそういうことだ、しかも今日はバレンタイン。多くの若い男女がこの街を行きかうだろう。まだ犯人がいると確定したわけじゃないが、必ず何かしら原因があるはずだ。君も気を付けるんだぞ」
「はい! 気を付けます!」
私はお礼を述べてその場を立ち去る。
もしかしてお兄ちゃんがこの町でやるべきことって、蘇ったバッドウィッチ伝説の解決?
私たちが次やるべきことが大体わかってきたところで、大通りに立ち並ぶ店から甘い良い香りが漂ってきた。
「チョコレートだ!」
その匂いにつられるように足が動き出し、店の入り口から内側を眺める。
綺麗にかたどられた高級なチョコレートの数々。中にはチョコレートケーキなんかもあったり。
店内はおめかしした綺麗な女の子が沢山いて、みんな真剣な表情で選んでいるようだ。
彼の皇国の手によっていつ終わるか分からない人生の中でも、みんな愛情を忘れずに一生懸命生きているんだ。
こんな幸せな光景が一人の皇帝によって簡単に消されてしまうなんて絶対許してはならないんだ。
「そうだ、お兄ちゃんにチョコをプレゼントしたら喜んでくれるかな?」
不意に思いつき小さく呟いてみたものの、頭の中ではあのお兄ちゃんがそう簡単に喜んでくれるとは思ってはいない。だがそれでも私は良い。喜んでもらえないとしても、この愛情はしっかりと伝えていきたいから。
でも私はあることを思い出す。チョコレートを買うだけの余分なお金が私にはあるのか?
魔導衣のポケットから小銭入れを取り出し中身を確認してみる。
生憎今後の宿屋やご飯代すら足りないかもしれない状況でチョコレートなんて買えるわけもなかった。
「あ……」
急に立ち眩みが起き、店の前に座り込んでしまった。
そういえば朝昼と何も食べていなかったので、いい匂いの所為もあり空腹がピークに達してしまったようだ。
「動けない……かも……」
一人、意識を朦朧とさせながら天へと小さな言葉を吐き出す。まるでこの場だけ重力が上がったかのように体が重く、瞼も落ちて目が閉じていく。
そのとき目の前が黒に染まった。目を閉じたわけでもないのにどういうことかと思っていると、何者かに手を引かれて背負われる。
「あなた大丈夫?」
返事はできず。曖昧な風景を見つめながら時の流れに身を任せる。
声の主は年上の女性だ。どうやら私を助けてくれたようだ。
そのまま流れるように彼女に連れていかれどれくらいの時間がたっただろうか、今度は旨味を感じる美味しそうな匂いが鼻をつついた。
「ほら食べな」
言われた通り、本当にお腹が減っていたようで勝手に手が動き、そのまま目の前のご飯を平らげてしまった。
「いい食べっぷりじゃん」
正常な意識に戻り、冴えた眼で正面に座っていた女性を見ると、その姿はまさに魔女の模範ともいうべき黒の魔女帽子と黒のローブ。
「……ありがとうございました」
まだおぼつかない様子で彼女に感謝の言葉を告げる。
「いいってことよ。ところであなた、リア充?」
「え? りあじゅう?」
その女性は急に知らない単語で何かを聞いてきた。
私はこれが重要な出会いになるということを、この時はまだ知る由もなかった。