1-1 モノローグ
いつの日か、お兄ちゃんはおかしくなった。
私たちの国のお城に住んでいるブランダムという魔法使い。お兄ちゃんは彼が予言したとおりに生まれた伝説の勇者なのだという。なんでそれが分かったのかは、まだ見習い魔法使いの私にはさっぱりわからない。吉光だとか凶影だとか言っていたっけ。
そんなことはいまの今まで気にすることもなく平和に過ごしてきたが、ある日ふたつの異変が身の回りに起きた。
一つはギオス皇国の話。いままでも他国に攻撃的だった皇国だが、今代皇帝であるドラガヌギオスが遂に世界各国に向けて世界征服宣言を言い放ったのだ。そのすぐ後、隣国に大きな被害が出たことで他の多くの国が皇国を制圧、皇帝討伐に踏み込んだのだ。約五十もの国が戦力を投じたそれだが、ギオス皇国は一切動じることなく応戦し、あろうことか討伐に向かった全ての軍を撃退してのけた。
普通に考えれば例え今回の戦いで撃退されたのだとしても、皇国側には多くの被害が出ているので既に勝敗は決したといえるだろう。単純にこちらの戦力は皇国の数十倍にもあたるのだから。
だがそう考える政府らと、実際に討伐に赴いた軍人らの考えは違っていた。
「まるで歯が立たない」
「勝てるわけがない」
「アレにとって世界征服など容易いだろう」
皆が震えていた。流石に冗談とは思えない彼らの発言を聞いた政府の人間らは、彼らの狼狽が落ち着いた後に詳しい報告書を書かせた。
その内容は、まさに完全敗北であったという。軍は領地に入ることすら許されず、神のごとき力によって皆殺しにされたと。詳しい話は出回っていないので私が知っているのはこのくらいだ。
その所為で、皇国から比較的遠いこの国に避難する人が多かったり、国中の人間の心が荒んだことで多くの事件が起きたりなど被害が出ている。つい先日、私の家の前でも乱闘騒ぎがあったくらいだ。
そして二つ目は、実に個人的な話。お兄ちゃんの様子がおかしい。
これが勇者に選ばれたことに起因するのかは分からないが、ずいぶんと人が変わってしまった。全く喋らなくなったどころか、言葉というものを忘れてしまったに等しいほどの無口になってしまった。それだけではなく、暇さえあれば危険な魔物が多く出現する森の中へと入っていき、食事の時間まで帰ってこない。
今のお兄ちゃんは昔見たからくり仕掛けの人形のように、全く同じこと繰り返す毎日を過ごしている。
私は心配なのだ。お兄ちゃんはその重い責任から、予言通りに生きて彼の皇帝を倒すためなら自らの命を捨てても構わないと、そう思っているのではないかと。
そんなのは嫌だ。お兄ちゃんには絶対に生きてほしい。自分が死んだら多くの人が悲しむのだって知ってほしい。
だから、私がお兄ちゃんを守る。
そう決めたのは最近のことだ。ただ見習い魔法使いの私が、今お兄ちゃんにしてあげられることなんて何もない。だから私はあることを思いついた。それをお兄ちゃんに伝えなきゃいけない。
いまのお兄ちゃんが答えてくれるとは思わないけど、私はもう決めた。絶対に認められなくてもやるんだ。
強い思いを胸に、私は勇者の旅立ちの日に向けて思い切り扉を開いた。