第26話 宣言
月曜日。またいつものように一週間が始まり、結衣は学校へと向かう。
仮想の世界でとは言え、昨日あれだけの死闘を繰り広げたのだから電依戦休暇みたいなものが欲しいところだがそうもいかない。そんなこと関係なしに月曜日はやってくるし、学校は始まるのだ。
いつものように校門を抜けて、いつものようにすれ違うクラスメイトと挨拶して、いつものように下駄箱に靴を入れる。
ここでいつも通りならば教室へと向かうはずなのだが、結衣の足はそのまま電依部の部室へと向かう。
部室の前までやって来た結衣は扉の前で立ち止まる。
息を吸って、吐いて――
そうやって、まるで競技に臨む前のアスリートのようにして心を落ち着ける彼女だったが、やがてゆっくりと扉を開ける。
部室の奥、窓際の机には結衣の予想通り綴の姿があった。
彼は黒いラップトップに向き合って、何やら作業に勤しんでいる。
「おはようございます、秋名部長」
「おはようございます。渡瀬さん」
後輩の挨拶に先輩はにこやかに微笑む。
昨日、会場に駆けつけた綴はあれからしばらく薫のことで落ち込んでいた様子そしていたが、今日は普段どおり大人で紳士的で柔和かつ優しい笑顔を結衣に向けてくる。
「何してたんですか?」
「電依戦で皆さんが使うプログラムをちょっと……。リソースは今のままに、それでいてもう少し実行速度を早くできる実装方法を思いついたものですから」
そう言う彼の胸元では、窓から差し込む陽の光を受けてダイヤモンドが光り輝いていた。
「そのダイヤモンド……」
薫も確か同じダイヤモンドを身に着けていたか。
結衣の視線に気づいて、綴はダイヤモンドを持ち上げる。
「これはね、ハルなんですよ」
「ええと、そのダイヤモンドが糸衣さん……?」
どういうことだろう。首をかしげる結衣に綴は尋ねる。
「渡瀬さんは遺灰ダイヤモンドをご存知ですか?」
「遺灰ダイヤモンド……?」
「遺灰や遺骨から作る人工的なダイヤモンドのことを言うのです。結構昔からある技術ですが、あまり一般的ではありませんし、ご存知ないのも無理ないかもしれませんね」
「それが一体……」
そこまで言いさして結衣は、はたと気づく。
そうか、だからあのダイヤモンドはハルなんだ。
「私と青山さんが持っているのは、ハルの遺灰から作ったダイヤモンドなのです」
綴は手にしたダイヤモンドに向かって微笑みかける。それは、いつも彼が誰かに向けるのと同じ優しい笑顔だった。
きっと綴と、それからきっと薫にとって、このダイヤモンドは、ハルの映し身のような存在なのだろう。
不意に綴は結衣に向き直ると、恐縮したように口を開く。
「この間は申し訳ありませんでした。あんな大きな声を出して驚かせてしまって……」
「いえ私の方こそ、そんなに大事なものだって知らずに……。でも事前に教えておいて欲しかった気もしますけど……」
小さく文句を言う結衣に綴は苦笑する。
「不気味じゃないですか? 死んだ友人の遺灰でできたダイヤモンドを持ち歩いているだなんて」
「そんなことありません! すごい素敵な話だと思います!」
間髪入れず身を乗り出して反駁する結衣に目を丸くする綴だったが、
「ありがとうございます」
そう柔和な笑みを浮かべて礼を言う。
「ハルは自分がいなくなっても私が青山さんと仲良くしていられるようにと、繋がりにと、このダイヤモンドを私たちに託してくれたんです。……もっとも、今ではご覧の有様ですが」
綴は寂しそうに笑う。こんな彼の表情を見たのはきっと初めてかもしれない。
確か綴は高校電依戦の決勝にハルを出さないよう見張っていたが、ハルに逃げられたのだったか。そしてそれによって、薫から恨まれるようになった。
最初その話を聞いた時、結衣は小さな違和感を覚えた。だけどその違和感が何だか分からなくて、それを考えている時間もなくて、特に気にしないようにしていた。
でも今こうして改めて綴と話していて、朧気ながらもその違和感の正体に気づくことが出来たような気がする。
結衣はスカートの端を握りしめると、探るようにして尋ねる。
「……篠原先輩に聞いた話だと、確か部長は糸衣さんが高校電依戦に出場しないよう見張っていて……でも彼女に逃げられたんですよね?」
「……そうですね。それが何か?」
突然後輩の口から出た言葉に訝しげな目で尋ねる綴。その視線に結衣の喉が小さく鳴る。
もしも間違っていたら怒られるかもしれない。いやきっと怒られるだけでは済まないだろう。
でもそれでも、これだけはどうしても確認したかった。
「でも本当は違う。部長は、糸衣さんに逃げられたんじゃない。糸衣さんを自ら大会に送り出したんじゃないんですか?」
「何故そんなふうに?」
「部長はそこまで間抜けな人じゃないでしょう?」
「…………まさか理由はそれだけですか?」
唖然と目を見開いていた綴だったが、特に返事をしない結衣に、枯れの口から乾いた笑いが漏れる。
「渡瀬さんは、脆い理由で結構酷いことを言いますね」
「やっぱり……怒ります?」
「そうですね……事実とまったく違っていたら怒っていましたが、渡瀬さんの言う通りです。はい、私は自らハルを送り出しました」
綴は結衣の言葉をあまりにもあっけなく認めてしまった。
「何で、そんなことを……?」
流石に踏み込み過ぎただろうか? そう後悔するも結衣は自然と前に一歩足を踏み出していた。
「もうね、色々と駄目だったんですよ。身体に入れられる医療用のナノポートの数は日毎に増えていく。なのにハルの容態は日に日に悪くなっていく。……当然周りの大人は何も言いませんでしたが、このままいけばどうなるかは私も彼女もよく分かっていました」
「それに」と続けて、綴は表情を変えることなく、手の中のダイヤモンドに愛おしげな視線を落として言う。
「彼女のこと好きでしたから。好きな人には最期、好きなことをして欲しかったんです」
「……部長って結構ストレートに言いますよね」
気づけば自分の頬が熱くなっているのを感じて、結衣は慌てて両手で顔を包む。
綴のおかげで月曜の朝からドキドキさせられてしまった。
(いいなあ……。私も誰かにあんな風に真っ直ぐ『好き』とか言われてみたいよ……)
高校生にもなればそんなこともあるかと密かな期待を抱いていたが、今のところそんな様子もない。向けられた真っ直ぐな強い感情と言えば、入学式の日の透子からの敵意だけだった。
あれは酷かった。散々だった。多分生涯忘れられないだろう。
一人、勝手に思い出して勝手に落ち込む結衣に綴は首をかしげる。
「そういえば渡瀬さんはどうしてここに? 今朝は珍しいですね」
尋ねられ、紫音は自分がここに来た理由を思い出す。
「ええ、実は部長に言っておきたいことというか、宣言したいことがあるというか……」
「おや、何でしょう?」
「私、青山さんを倒します」
「ほう」
綴は黒縁眼鏡の向こうで目を丸くする。
出会ったばかりの時だったらこの些細な変化にも気づかなかっただろうが、この二ヶ月で彼のことも少し分かってきた。
「戦った時、青山さんが言ってたんです。自分はハルのために必ず勝たなければいけない、って。でもそれってきっと酷く辛い道だと思うから……」
ひょっとしたらこれは、自分のエゴなのかもしれない。ただそれでも自分は見ていられなかった。あんなに苦しそうに戦う彼女の姿を。
「そうですね、私もそう思います」
綴は小さくため息をついて窓の方を見やる。窓の外では、陸上部が朝練に精を出している。
「あの人は、下手くそなんですよ。自分を客観的に見るのが。一体今、自分がどれだけ自分を追い込んでいるのか、まるで理解できていない」
まるで過去を省みるように言ってから綴は結衣の方を振り返ると、不思議そうな目を向ける。
「しかし何故それを私に?」
「誰かに言っておきたかったんです。……そうしないと決意が鈍ってしまいそうで。透子に言おうと思ったんですが、最後青山さんにいいようにされて負けた姿を見られちゃった手前、何となく言えなくて……」
「それで私に、ということですか」
「すいません、突然変なことを言ってしまって……」
「いいえ、構いませんよ。遠慮なくぶちのめしてやってください」
そこで綴は思い出したかのように愉しげに笑う。
「そういえば青山さんも言っていましたしね。『次戦う時は油断なく殺す』と」
「あはは……ちょっと怖いですね……」
薄ら寒いものを感じながら結衣は苦笑する。
きっと今の自分が薫に本気を出されたら、ゲーム開始数秒で殺されかねないだろう。
でも向こうがその気なら、こちらも強くならねばならないのだ。
部室を後にした結衣は教室へと向かう。
その途中、前方に見覚えのある後ろ姿を見つけ、そちらへと駆け寄る。
「透子、おはよう」
「おはよう」
透子は、陽の光を受けて輝く濡れ羽色の髪を翻して微笑む。普段と変わりない様子の彼女に安堵しつつ、結衣は肩を並べて教室へと向かう。
道中、結衣はちらりと隣に視線をやる。
そして相変わらず何を考えているのか分からない仏頂面を見て、一つ聞いてみたくなった。
「ねえ透子、一個質問。透子はもし私が死んだら、私の遺灰で作ったダイヤモンドを身に着けてくれる?」
「何の話よ、突然……」
朝から意味が分からんことを、という風な顔を見せた透子だったが、すぐに何かを察したように「ああ」とつぶやく。
「持つわけないでしょ、そんなもの。価値なさそうだし」
「えー、冷たいなぁ」
「そうね……だったら」
透子は足を止めて結衣の方を振り向くと、その綺麗な顔に怪しげな笑みを浮かべる。
「私があなたの遺灰を大事に抱えたくなるような、そんな強いプレイヤーになってみなさい。そしたらあなたのこと、一生大事にしてあげるわ」
そう言い置いて、透子は結衣を置いて先に行ってしまう。
しばらくボーッとしていた結衣だったが、やがてハッと我に帰る。そして、おそらく赤くなっているであろう自分の頬をそっと手で抑えた。
「…………ああ、今のは少しぐっと来たかも」
こうやって不意打ちをかましてくるから、あの女は油断ならないのだ。
結衣は自分を置いてどんどん先を行ってしまう透子に慌てて追いすがる。
「約束だからね?」
「何? 私より先に死ぬ予定なの?」
「死なないよ!」
そう反駁してから結衣は、はたと思い出す。
「あ! そういえば!」
「どうしたの急に?」
「結局、RSIのMVP特典って何だったんだろ?」
薫が倒れたことでうやむやになっていた特典。すっかり忘れていたが、恐らく今回のMVPは薫で間違いない。
「さあ、青山の元には送られてるだろうから、今度会った時にでも聞けばいいんじゃないの? どうせまたいつか会うことになるんだから」
「……そうだね。またいつか会う」
自分に言い聞かせるようにつぶやいてから、結衣は快晴の空を見上げる。空は六月のものとは思えないほど、青く澄み渡っていた。
Vol2はここで終わりです。
感想くださった方ありがとうございました。
嬉しかったですー!




