第24話 終着
地面に崩れたまま静かに、そして酷く疲れたように肩で息をする薫を見て結衣は困惑する。
透子から散々酷いと言われていたプログラム。薫相手ならもしかしたら不意打ち程度には使えるかと思ったが、結果は想定以上の弱りようだ。
(それにしても本当に酷いんだ……私の書いたコード……)
まさか自分の作っていたものが、人をここまで追い込んでしまうような劇物だったとは。
認めたくない事実を直接突きつけられたことで、結衣はようやく現実を受け入れる。そして、もっと真面目にプログラムを勉強しよう、とそう固く心に誓った。
(それにしても――)
結衣はじっと薫の顔を見据える。
今の彼女には最初にカフェで出会った時のような余裕は無い。ざんばら髪の向こうに見えるのは狂気の瞳だ。
だけど何故だろう。この今にも死にそうな満身創痍の相手に勝てる気がしないのは。
そして何故だろう。この戦いから身を引く気になれないのは。
『たかがゲームに何故そこまでするの。もうやめようよ』
このゲームが始まる前までの結衣ならば、薫に対してそう言っていたかもしれない。
でも今の自分にはそんなこと言えなかった。
苦しげに喘鳴しながらも、勝利の為に自分と対峙する少女。
そんな彼女の顔を見たら、「もうやめよう」だなんて口が裂けても言えなかった。
『理解できない』
結衣は、電依戦に命を賭けられると言った透子に対して、自分がつぶやいた言葉を思い出す。
彼女たちの信念も哲学も想いも、あの時の自分には何一つ理解出来なかった。
でも――、でも今なら少しだけ、彼女たちの気持ちが分かる気がする。
そのことが彼女たちに近づけたような気がして、それが嬉しくて、結衣は自分の意思とは関係なしにその顔をほころばせる。
だが喜びに浸っていられる時間はそうない。
薫は何とか持ち直したようで、半死人のような顔をしながらも杖を支えにして身体を起こす。
結衣の書いたプログラムはあれ一本。故にあれだけのダメージをもう一度薫に与えることは出来ないだろう。そしてリソースもほとんど残されていない。
対して薫にはまだ十分リソースが残されている。
この状況……圧倒的優位であるとは、決して言い難い。
「この程度で、私の勝利は……揺るがない!」
強い言葉とは裏腹に薫が緩慢な動作で杖を振るうと、再び彼女の周りに白い玉が浮かび上がった。玉は結衣目掛けて、散弾銃の弾のように勢いよく放たれる。
だが結衣は宙を翻って玉を回避する。彼女は先程、この攻撃を透子と共に乗り越えているのだ。何も恐れることはない。
襲い来る白い玉の間隙を縫い、少女騎士は黄金の魔法使いへと駆けていく。
二人の距離は瞬く間に縮まり、薫の前に躍り出た結衣は大きく剣を振り上げる。
慌てて杖を振り上げてガードしようとする薫。だが今の彼女では杖を持ち上げることが出来なかったのか、結衣の長剣が赤い衣を鋭く斬り裂く。
「ぐッ……!」
攻撃を防ぐことが出来ず、まともにダメージを受けた薫はその美しい顔を苦悶に歪めて身体を仰け反らせる。
そこで結衣は間髪入れず再び長剣を振るう。まるで鋭い風のような一撃。
二度目の剣戟はどうにか杖で防いだ薫だったが、今の彼女にはそれが限界だったようだ。勢いに押し負け、背後へと数歩よろめく。
そこに隙を見て取った結衣は、すかさず拳を振り上げた。
「あなたに個人的な恨みはないけど、私の先輩を悪く言ったのだけは許さない!」
そう叫ぶと、薫の頬目掛けて全力の拳を叩き込んだ。
「ぐ、グーパン!? あの青山相手にグーパン!?」
会場のディスプレイを見つめていた誰かが絶叫混じりの哄笑を上げる。
「すげえ映像だなこれ。確実に今日のネットニュースに上がるよこりゃ」
「でも青山と戦っている子の電怜、どっかで見覚えあるんだよな」
「お前もか? 実は、俺もどこかで――」
「ああ! 思い出した! エクエスだ! 渡瀬葵の使ってた電怜だよ!」
「えっ!? 同じ名前ってだけじゃないのか!?」
「正真正銘本物よ」
背後から聞こえた透子の言葉に全員が振り返る。
「あの子は渡瀬結衣。渡瀬葵の妹にして、エクエスを引き継いだ電依戦プレイヤーよ」
その声には、いつしか誇らしさが滲んでいた。
殴り飛ばされた薫は地面に倒れる。そこへすかさず結衣が飛びかかり、白刃を振るい下ろす。
慌てて地面を転がって刃をかわす薫だが、その姿に最早先程までの余裕は欠片もない。彼女の美しい金色の髪も、金糸を縫い込んだ赤いマントも、何もかもすっかり土で汚れてしまっていた。
即座に転がり起きる薫とそれを追う結衣。
「それ以上、近寄るな……!」
薫の土で汚れた白い顔と僅かに腫れた頬を見て、ふと結衣の口から疑問の言葉が突いて出た。
「青山さん……そんなに秋名部長が憎いの?」
「憎いわね。何度殺してやりたいと思ったことか」
「……許してあげることは出来ないんですか?」
「許す?」
薫はあからさまに不快感を露わにして眉をひそめる。初めて見る彼女の表情だった。
「そんなことを言えるのは、あなたが一度でも親友を失ったことがないからよ。経験があればそんな言葉、口が裂けても出てこないはずよ」
「でも糸衣さんを失って悲しかったのは秋名部長だって同じはずじゃないですか!」
「あの男が私と同じ……?」
結衣の言葉に薫の頬がピクリと震える。だが彼女はそれに気づくことなく続ける。
「そうです! なのに部長のことを人殺しだなんて言って、部長一人に何もかも押し付けて……。青山さんはそうやって部長に甘えてるんじゃないんですか?」
その質問に薫は何も答えなかった。ただ額に手を当てて、静かにうつむく。
――そのまま薫はしばらく一言も発さなかった。だが気づけば彼女の肩は小さく震えていた。
訝る結衣を前に、薫はゆっくり、深く息を吐いて顔を上げる。
結衣を睨む獣のような黄金色の瞳には、先程までと違い、明確な殺意が宿っていた。
「何も……! 何も知らない人間が、調子に乗るな! のたまうな! 賢しらに講釈を垂れるな!」
激昂した薫が飛び退りざまに杖の先端で地面を突けば、地面が波のように隆起する。それによりバランスを失った何本もの巨樹が唸るような音を上げながら、まるで折り重なるようにして結衣へと倒れ込んできた。
だがその間を一つの白い影が閃光のように突き抜ける。白い影は凄まじい速度で空へと躍り出た。
その光景に薫は目を見開き、歯をぎしりと鳴らした。
「渡瀬、結衣……!」
白い影の正体は、スキルプログラム【バスターストライク】によって、倒れる巨木の合間から飛び出した結衣だった。
上空へと舞い上がった結衣は、眼下にいる薫へと狙いを定める。
(リソースは完全に使い切った……。もう私にはこれ以上プログラムを発動することは出来ない。この一撃で勝負を決める!)
上空から落下する結衣は、その勢いを利用して薫へと白刃を振り下ろそうとする。これが決まれば結衣の勝利だ。
「とでも思ったの?」
冷ややかな声が聞こえたと同時に、突然結衣の視界が逆転する。バランスを崩した彼女の身体は、何かに引っ張られるようにして勢いよく大地へと吸い寄せられる。
そして落下の勢いそのままに地面へと激しく叩きつけられてしまった。
五階建てビルほどの高さから落下して、背中を強かに打ちつけられた結衣は、一瞬息が止まりそうになるのを感じる。遅れて強烈なダメージが襲いかかり、身体が悲鳴を上げた。
(今……何が起きたの……?)
言うことを聞かない身体を震わせながら、結衣は思考を巡らせる。
バスターストライクを使って宙に舞い上がった瞬間、まるで強い力で足を引っ張られた、そんな感覚に襲われたのだ。
急いで自分の足の方へと視線をやった結衣は、そこで驚きに息を呑む。
いつの間にか足首には、金色の光る鞭のようなものが巻き付けられていたのだ。
鞭は宙に浮かぶ光の渦のようなものから生え出している。
(そんな! いつの間に……!)
「あなたに殴り飛ばされた時よ、渡瀬さん」
まるで、驚愕に狼狽える結衣の頭の中を読んだかのようにして声が聞こえる。そちらを見ると、そこにはいくらか余裕を取り戻した薫が口の端に不敵な笑みを貼り付けていた。
「ああやって無様に立ち回って……でも、そうでもしなければこの勝利は無かった」
ふらりと結衣の方へと歩み寄る薫。
それを見て取った結衣は、急いで立ち上がろうとする。だが上空から地面に叩きつけられた際のダメージは想像以上のもので、身体を起こそうとした身体は彼女の意思に反して再び地面に倒れてしまう。その弾みに手から長剣が滑り落ちた。
己の身体の自由を奪う痺れるような感覚に、結衣は激しい後悔の念に駆られる。
もしもあの時、自分がバスターストライクを選ばなければ、ここまでのダメージにはならなかったはずだ。
(私がバスターストライクを選んだせいで、こんなことに……!)
「あなたの必殺技だものね、バスターストライク。分かっていたよ。ああすれば、必ず使ってくるって」
「……え?」
自分に向かって薫の言い放った言葉の意味が理解できず、素っ頓狂な声を上げる結衣。そんな彼女に、薫はゆっくりと歩み寄りながら淡々と語って聞かせる。
「あなたは自分でそのプログラムを選んだつもりなんだろうけど、それは間違い。ああやってあなたが宙に逃げざるを得ない状況を作り出せば、間違いなくバスターストライクを使ってくれると踏んでいたの」
その言葉に結衣は慄然となる。
(そうだ。青山さんはカフェで会った時、私と彰人さんの試合を見たって言ってた……!)
当然、最後にバスターストライクを使った瞬間も見ていた。バスターストライクの存在も知っていた。
(青山さんは最後……私の行動を操ってみせたんだ!)
それに気づいた途端、胸の中から何かがこみ上げてくるのを感じて、結衣は慌ててそれを抑え込む。
(私が青山さんを追い込むことが出来たのは、本当にたまたま運が良かっただけ……。だからこの結果は仕方なくて……! それでも……!)
驚愕と悔恨、それと諦めの滲む結衣の顔を見て薫は満足そうな笑みを浮かべた。
「そんな顔をしないで。あなたは誇っていいわ」
酷く疲れたように息を吐くと、薫は銀色の杖を振り上げる。
杖の先端が空から射す陽の光を受けて鋭く光った。
「私がこんな泥臭い勝ち方をさせられた経験なんて、人生で数えられるくらいしかないもの」
杖は結衣へと振り下ろされ、無情にもその身体を貫いた。