第23話 逆行分析者の目の小さな塵
「どういうことだ? 何が起きた?」
会場で試合の成り行きを見守っていたプレイヤーの一人が疑問の言葉を漏らす。
無理もない。今彼らの目には、突然棒立ちになった薫が無抵抗で斬られたようにしか見えなかったのだ。
「あんな遅い攻撃がどうして当たったんだ?」
「青山の余裕の表れか?」
「わざと攻撃を受けたって言うの? そんな馬鹿な……」
「もしかしてアレ、特殊なプログラムなんじゃ――」
ざわめく会場の隅で、自分のターミナルを眺めていた透子。そんな彼女の元に、一人の小柄で目付きの悪い少年が近づいてきて声をかける。
「よう、真島」
「どうしたの、榛原?」
ターミナルから視線を上げずに尋ねる透子に、願人は面食らったような顔をする。
「お前……やっぱり俺のこと覚えてたんじゃないか!」
「言ったでしょ『強いプレイヤーは忘れない』って」
「なっ……!」
「良かったっすねぇ、部長。覚えてもらってた上に褒めてもらって」
顔を赤くしてわなわなと震える願人の後ろから、金髪ポニーテールの少女と、小太りの少年がやって来る。麗秀学園のメンバーたちだった。
「おう、もしかしてお前がオレと戦った奴か?」
「うん……」
「おー、そうかそうか!」
涼は嬉しそうに小太りの少年――伴の肩にするりと手を回す。それに対して伴は口を尖らせながら眉をひそめた。
「いじめっ子……嫌い……」
「だからいじめねえって言ってんだろ。それよりゲームの中とは言え、中々悪くねえ蹴りだったぜ、お前の。また今度やろうな」
「う、うん……」
快活な笑顔の涼に、伴は顔を赤らめながらも小さな笑みをこぼす。
「おー、伴くんまで落とされちゃうっすよ、部長」
「今は梅宮のことはどうでもいい。……いや待て。『まで』ってどういうことだ、ローラ」
「あだだ……それより青山薫のことを聞きに来たんじゃないんすか~?」
耳をつねられながら必死に話題を変えようとするローラ。願人は鼻を鳴らして彼女を解放すると、透子に向き直る。
「そう青山薫だ。奴の身に、一体何が起きたかお前なら分かるんじゃないか、真島?」
「それは今調べてる最中よ……。あ、忘れてたけどあなた三年生だったわね。最中です」
「お前の敬語は気持ち悪いから止めろ」
「そう。助かるわ」
言ってから透子は、ふと何かに気づいたかのように小さく息を呑む。
「そう……か……」
「何か分かったのか?」
尋ねる涼に透子は静かにうなずくと、自分のターミナルに映った映像を自分以外の四人に共有する。映像は、結衣がプログラムを召喚した瞬間のものだった。
「結衣がアーツプログラムを召喚したこの瞬間、青山が固まっています。ここから考えるに、青山硬直の理由はこのアーツプログラムです」
「あのプログラム、何か特殊な仕掛けがあるのか?」
「いいえ、あの武器は結衣が自分で作ったという以外は何の変哲もないただの長剣です。ただ一つ。アレは酷いスパゲッティコードなんです」
「スパゲッティコード……要するに滅茶苦茶汚いプログラムってことっすね」
しかしそれは電依戦というコード量がリソースの消費量に直結するゲームにおいては、決して使ってはいけないプログラムだ。
「青山からしてみればあんなプログラムは理解に苦しむ駄作中の駄作。それでも彼女の脳は勝手に理解しようとする」
「おい。まさかそのせいで奴の脳が負荷に耐えられなくなって、身体の動きまで止まったって言うのか?」
信じられないという声を上げる願人に、透子は「恐らく」とつぶやく。
「もしかするとツールによって難読化されたコードの方が青山にとってはまだマシだったかもしれません。所詮ツールによって生成されたコードならまだ理解のしようもあったでしょう。青山ならそれすらも読んで理解してみせるはず」
だけどアレはそんな生易しいものではない。アレは渡瀬結衣というある種天才的なプログラマの作ったプログラムなのだ。
なまくら刀は怪物を殺す剣と化した。
「皮肉にも、逆行分析者の能力が青山を追い詰めることになってしまった」
透子は、試合を映す会場のディスプレイを見やる。
(それにしてもあのアーツプログラムは、かなりのリソースを消費するはず。それでもあえてこの局面でアレを選び取ったってことは、決して適当に選んだわけじゃない。こうなる可能性を少なからず見越していたのね、結衣)
あの局面でよくぞそれを取って選んだ。そう透子は素直に結衣へと敬意を示す。そして、ディスプレイの中の白銀の少女騎士へと期待の眼差しを向けた。
「勝てるかもしれない」
* * *
結衣によって斬られた薫は、大きなダメージを負いながらも後方へと大きく飛んで逃げる。
痺れるような頭の痛みとこみ上げる吐き気を抑えながらも、彼女はどうにかして現状を整理しようとする。
(……今、自分は一体何を見せられた?)
無駄な処理のオンパレード。まるで子供が自由帳に適当に描いたゴールの無い入り組んだ迷路の如きプログラム。あんなもの、解析したのは初めてだ。
理解に苦しむ。長剣という電依戦において初歩中の初歩であるはずのプログラムを何故あそこまで複雑怪奇に作れると言うのだ?
(いやそれはいい……いや、良くはないけど、今はとりあえず考えなくていい……)
混乱する思考を呼吸と共にゆっくりと落ち着けていく。
電依戦において小さく無駄のないコードというものは評価される。何故ならコードは消費リソースに影響するからだ。
故にプレイヤーたちは必死にコードを削る。無駄のないコードを書こうとする。
強者ならば自分の使う武器にこだわり、そこに重きに置く。当然のことだ。
だからこそ誰も結衣が使ったようなプログラムなど使わない。あんな酷いプログラム、無駄にリソースを食うだけで、メリットなど一つも無いからだ。
だがその無駄が今回、薫をここまで追い込んでしまった。
(これが私と戦うことを見越して用意したのだとしたら恐ろしいの一言に尽きる……。だが、彼女はつい先程まで私のことを知らなかった。それはあり得ない……)
薫が電依戦を始めて最初に戦った相手は、神明高校の上級生だった。当然、相手は無駄のない読みやすいプログラムを使ってきた。
それ以降戦ってきたプレイヤーたちも例外なく皆そうだった。誰も彼も班を押したように無駄のない綺麗なプログラム。
薫にとっては実に戦いやすい相手。だからそう苦労することなく勝つことが出来た。
(だけど渡瀬結衣……)
彼女は電依戦プレイヤーとしては凡庸だ。だがその凡庸さ故、強者が持たない強さを持っている。
――今の自分ならもしかして負けてしまうかもしれない。
そんな考えがよぎった瞬間、薫の口端から自然と笑みがこぼれる。
ハルが死んでから二年。世界中の猛者どもを相手に、まるで流れ作業のようにして勝ちを積み重ねて来た。
自分が勝ち続けさえすれば、ハルはあの世で自分たちの最後の戦いを誇ってくれるはず。
『私はあんなに強いプレイヤーと戦ったんだ』と。そう誇ってくれると信じて。
――なのに自分が負ける? 到底強者とも呼べぬ少女相手に?
(そんなこと……あっていいわけがない!)
頭を襲う激しい痛みがそうさせたのか、いつしか薫の脳裏に、病室でのハルとの会話が走馬灯のようによぎっていた。
『負けないなんてあるの?』
『憧れちゃうよねえ』
『憧れるけど疲れそう。だってそれって裏を返せば、絶対に勝たなきゃいけないってことでしょ』
昔の自分の言葉に苛立ち、薫の拳が地面を叩く。
(あんなもの! 何も背負っていないガキの戯言!)
疲れようが苦しかろうが、自分はたとえ誰が相手でもどんな状況でも勝たなければならない。
それが親友の最期の希望を潰した自分の贖罪なのだ。