第17話 行く手をさえぎる者たち
「忘れていれば思い出させるだけ。覚えていればあの時の礼をさせてもらうまでだ」
こちらに銃を構え、泰然と言い放つ願人。それに対して、透子は眉間にしわを寄せる。
『……よりにもよって、厄介な相手が残ってたわね』
『強いの?』
『麗秀学園の榛原願人と言えば、去年の高校電依戦の本戦にも残っていたほどのプレイヤーよ』
『それは……厄介だね』
『そういうこと。だからひとまず、あの男から先に――』
透子が言いかけたその時、突如、二つの人影が電光石火の早さで一斉に結衣たちへと飛びかかった。
影はそれぞれ結衣と涼の目の前に躍り出ると、二人に向かって稲妻の如き蹴りを放つ。咄嗟の出来事に判断の遅れた結衣たちは、それでも何とか攻撃を受け止めるも、為す術なく弾き飛ばされる。
地面に轍を作りながら何とか踏みとどまった結衣と涼。そんな二人の前にもそれぞれプレイヤーが仲間との合流を阻止するようにして立ちはだかる。
この一瞬で、三人は離れ離れになってしまった。
「……あら、分断?」
その声の調子は聞く者によっては、普段の透子のものと何ら変わりないものだっただろう。
しかしそれなりの付き合いの結衣には分かった。
先程までの彼女の声より、僅かに硬い。
『想定外なんだね、透子』
『うっさいわね。そうよ、本当は最初に榛原の奴を三人で叩く予定だったの!』
つまり不意打ちを喰らわそうとして、逆に喰らわされた――そういうことだろう。
『なんとかして合流した方がいいか?』
涼の言葉にやや考える透子だったが。
『……様子を見てそうしたいところですが、こうなった以上簡単には合流させてもらえないと思います。奴の仲間二人も、中々のプレイヤーですから』
あの透子が褒めるということは厄介な相手なのだろう。結衣は自分の正面の女性へと視線をやる。
結衣の前に立ち塞がったのは、カウボーイハットにシャツとデニムパンツというウェスタンスタイルの女性だった。
宝石のような青い瞳。スラリと伸びた長い手足に、後ろでひとまとめにされた流れるような長い金色の髪。それらは、海外のモデルを彷彿とさせる。
麗秀学園二年、ローラ・ファゴット。
彼女の使う電依は『クラリス』。そのクラスはシンギュラーだ。
電依戦プレイヤーは最初に電依を作る際、電依のクラスを自由に選択することができるのだが、唯一このシンギュラークラスだけは選ぶことができない。
何故ならシンギュラークラスを使うことが出来るのは、公式の大会で優秀な成績を収めてクラスの解放権を得たプレイヤーのみだからだ。
故にシンギュラークラスの電依を使えるということは、それだけである程度実力の証明となる。
(この人もそれなりの実力者ってわけだ……)
「そう緊張しないでくださいよ~。ほら、スマイル! スマイル!」
表情の固い結衣に対してローラは、ふにゃっとした柔らかい笑顔を見せる。
ついつい気を許してしまいそうになる人懐っこい顔だったが、相手はシンギュラークラスの電依を使うプレイヤーだ。油断は出来ない。結衣は表情を固く引き締める。
「一応聞くっすけど、降参してくれる気は無いんすよね?」
「しないです」
打てば響くような結衣の返答に一瞬眉を上げるローラだったが、やがてニカッと白い歯を見せて笑う。
「いいっすよ~別に。降参するって言われたら、それはそれで驚きっすから」
そう言って両手を地面につけると、ローラはまるで側転をするような姿勢を取った。
その異様な光景に一瞬目を奪われた結衣だったが、そこではたと思い出す。
(そうだ、確かこの人の武器は――!)
次の瞬間、金属音が響き渡る。
結衣の眼前には長剣に受け止められたローラの靴――正確には、銀色の刃が備え付けられた靴があった。
彼女の武器がこの靴だということを、透子から事前に参加者のデータを貰っていなければ気づかなかっただろう。
一方、自分の攻撃を受け止められたローラは、逆立ち姿勢のまま感心したような声を上げる。
「お、よく受け止めたっすね」
「それ……剣なんですか?」
「剣っすよ~、ほら斬れるじゃないですか」
そう言いながらローラは逆立ち姿勢のまま器用に身体を捻ると、今度はもう片方の足をこちらめがけて横薙ぎに払ってくる。
咄嗟に受け止めるも、想像以上のパワーに結衣の身体は軽々と吹き飛ばされてしまう。その拍子に、手から長剣が滑り落ちて転がっていく。
蹴りの威力に戦慄く結衣を見て、ローラは逆立ちしたまま「ハッハ――!」と愉快げに笑う。
「足のパワーは腕のおよそ五倍! 私の剣の数は二本で二倍! そこに加速とか何やかんやが加わって結果的に二十倍の力を発揮するっす!」
「結果的にって何!?」
恐ろしく馬鹿っぽい計算だが、威力自体は決して馬鹿に出来ない。
おまけにあのバトルスタイル。普段あんな戦い方をするプレイヤーと戦うことが無いせいか、どうしても距離感が測りづらい。
「そんで、なーんか忘れてないっすか?」
その声に結衣はローラの顔へと視線を向ける。いつの間にか、彼女の片手には銀色の拳銃が握られていた。それに気づいた結衣は、慌てて地面を転がる。
間一髪。弾は結衣の頭の横を通り抜ける。結衣はすかさずローラから距離を取って、急いで樹の陰へと逃げ込んだ。
(あんな軽業師みたいなことしてくるもんだから、普通に忘れてたっ!)
シンギュラークラスは剣と銃の両方に適性のあるクラス。当然ローラが剣だけで戦うはずがない。
(とりあえず、まずは武器をどうにかしないと――)
弾かれた長剣へと視線をやる結衣。だが――、
「おっと!」
樹の陰から身を乗り出そうとした瞬間、両手に二丁拳銃を握った金髪の女性が眼前に飛び込んでくる。
「武器を取らせるわけないじゃないっすか」
ニカッと笑うウェスタンガール。
青ざめる結衣の顔の前で、二丁拳銃が一斉に吠えた。
* * *
梅宮伴は、二メートル近くはあろうかというその巨体をのそりと涼へ向ける。
涼と同じ格闘に特化したトータルファイタークラスの電依でありながら、彼の身体はまるで力士のようにふっくらとした恰幅をしていた。
(真島はああ言ってたけど、こいつ本当に強いのかよ?)
涼は胡散臭いものを見る目で、伴の頭から爪先を値踏みするように観察する。
短い黒髪の下の顔は肉付きが良く、頬はふっくらと膨らんでいる。紋様の彩られたカーキー色の民族衣装のようなもので、そのずんぐりむっくりとした瓢箪のような身体を包んでいた。
手には赤い布の手甲を当てていたが、武器の類は見当たらない。もしかしたらどこかに隠し持っているのかもしれないし、そもそも武器は使わない主義なのかもしれない。
「ここから先……通さない。願人のところ……行かせない……。願人の戦いに……集中させる……」
のんびりとした伴の見た目と声に、涼は鼻を鳴らす。
「オイオイ、テメェみてぇなトロくせえのが、オレの相手務まるのかよ?」
「やってみれば……分かる……」
「ハッ、そりゃそうだ。テメェの言う通りだ」
見た目と反して思ったより好戦的な奴だと、涼は満足げな笑みを浮かべる。
――だが、それでいい。相手がその気でなければ、こちらもやる気など出ないというものだ。
見合う涼と伴。
敵はいつ動くか。どのように仕掛けてくるか。
相手の筋肉の動きと呼吸を頼りに、両者は未来を読もうとする。
――不意に遠くの方で弾けるような乾いた音が聞こえる。恐らく誰かが撃った一発の銃声。
その銃声と二人のプレイヤーの動く瞬間が、奇跡的に重なる。
先を突いたのは伴であった。
一瞬にして涼の正面に迫った太い腕が、彼女の頭上で空を切る。咄嗟に身体を屈めていなければ、首を折られていたかもしれない。
(思ったより早いじゃねぇか)
はらりと舞う自分の髪越しに伴を睨みながら、涼は赤橙色に光る鋼鉄の手甲を振り上げる。
スキルプログラム【レールストライク】。正確な軌道で放たれた高速の拳は、伴の顎を一直線にぶち抜く――はずだった。
「何ッ!?」
瞬間、伴は伸びゆく涼の腕を弾いて、迫りくる拳の角度を変えてしまう。
おかげで涼の拳はあらぬ方向へと伸び、伴の頬を掠めるに留まった。
(この野郎……素手でスキルプログラムをいなしやがった!?)
思わぬ光景に驚いた涼は、慌てて後方へと逃げ飛ぼうとする。だがそれを追いかけるようにして、今度は伴の蹴りが彼女の身体目掛けて放たれた。
まるで丸太のような伴の脚を、涼は腕を盾にして受け止める。お陰で腹へのダメージを回避した彼女だったが、直後聞こえてきた腕の軋む音と痺れる感覚に目を見開いた。
「がッ……!」
蹴り飛ばされ、涼は背後の樹に背中をしたたかに打ち付ける。倒れる彼女だったが、どうにか両手でその身体を支え起こすと、正面の伴を緑色の目で眇め見る。
(コイツ……! トロそうな見た目して、なんつー蹴り撃ってくるんだよ……っ!)
対峙した時は静かな大仏のような男だと思ったが、こうして打ち合ってみて分かった。彼はまるで戦車。繰り出される一拳一蹴が、砲弾の如き破壊力とスピードを併せ持っているのだ。
思い返せば分断のタイミングで自分を吹き飛ばした蹴り、あれも中々のものだったか。
「動ける……デブ……」
「いや自分で言うのかよ、それ」
そこはあえて言わないようにしていたのにと、ぼやきながら涼は重い身体をどうにかして立ち上がらせる。
ダメージのせいか、彼女の手は震えていた。
(これは……後輩の助言を軽く見て、相手を見た目で舐めくさったオレのミスだな……)
内心独りごちる涼。
だが反省もほどほどに、伴に向かって拳を構える。反省など、戦いが終わってからいくらでも出来るのだ。
「あ?」
不意に自分の身に起きた違和感に、涼は素っ頓狂な声を上げる。
見下ろすと、力が抜けたかのようにして自分の右腕がだらりと垂れていた。
思ったように動かぬ自分の腕に彼女は舌打ちする。どうやらさっきの蹴りで折られたらしい。
――これだからゲームは厄介だ、と涼は思う。
リアルならこんなもの、気合でいかようにでも動かせられるが、ゲームの場合、判定がされてしまえばそれだけで思うように動かすことが出来なくなる。
「腕……折れた……?」
「ああ、折れたっぽいな」
それでも白い歯を剥いて笑う涼に、伴はぼんやりとした顔に疑問を浮かべる。
「危機的状況の……はず……。だよね……?」
「オレはリアルで腕が折れた状態から、五人相手に勝ったことだってあるんだ。ゲームの中で、てめえ一人相手にするくらいワケねえんだよ」
「喧嘩自慢……格好悪い……」
「ただの喧嘩自慢かどうかは、試してみりゃ分かるぜ!」
まるで少年のような笑いを飛ばす涼。その笑顔に応じるようにして伴は、涼へと飛びかかる。
またもや放たれる砲弾のような飛び蹴り。涼は生きている方の手で、振るわれた伴の脚に手をつくと、それを軸にくるりと一回転して見せる。
払いのけようと手を振るおうとする伴だったが、涼はそれよりも早くに大男の首に脚を絡ませると、その巨体を背中から地面へと叩きつけた。
「ぐぇっ……!」
「どうだよ、ただの喧嘩自慢じゃなかっただろ?」
苦しそうな声を上げる伴を涼は馬乗りになったまま、勝ち誇ったような笑みで見下ろす。
その光景に何かを思い出したのか、伴の瞳が揺れた。
「お前も……そうやって僕をいじめる……。いじめるんだなッ!?」
突然激昂し、涼の腰に掴みかかって彼女を引き剥がそうとする伴。
だが涼は左肘を伴の腕に振り下ろすと、返す刀、左拳でもう片方の腕を叩く。左右からバキィッ! と何かが折れるような音が聞こえ、伴の腕が力なく垂れる。
「あっ……ぐぅ……っ!」
「いじめねぇよ、馬鹿。オレが拳を振るうのは自分より強い奴だけにだ」
涼は赤橙色に光る左拳を静かに持ち上げる。
「テメェは強かったぜ、伴」
燃える太陽のような拳が伴の顔面を叩き割った。