第13話 糸衣ハル
三人は薫と戦った場所から遠く離れた所へとやって来た。
涼は「この辺りでいいか」と、疲れきった旅人のような緩慢な動作で巨樹の根に腰を下ろして息を吐く。
それからしばらく、彼女はうつむきながら落ち着きなく地面を踏み鳴らしていたが、やがてふっと顔を上げた。
「オレが今からするのは昔綴から聞いた話だ。もしかすると記憶違いや、実際の事実とは異なるところがあるかもしれねえ。……奴が元々神明高校にいたって話はしたよな?」
突然の質問に、結衣は促されるようにしてうなずく。
確か元々綴は神明高校の生徒だったが、二年の時に青南高校に転校してきたのだったか。
「奴が神明高校の電依部にいた時、三十人近くいた一年生たちの中で飛び抜けて優秀なのが二人いた。一人は青山薫。そしてもう一人は糸衣ハル。この糸衣って奴が二人の共通の知り合いでな。入部当初、綴と青山に面識はなかったらしいんだが、糸衣のお陰で三人はよくつるむようになった」
「糸衣ハル……」
知っているのだろうか。透子が聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で短くつぶやく。
「糸衣って奴は優秀な電依戦プレイヤーでな。実力は逆行分析者の青山相手に勝るとも劣らずといった具合で、高校電依戦優勝を目標にしていたらしい。その熱意は部の中でも一番と言っていいくらいだったとか」
話を聞きながら、なんだか透子に似ている子だなと結衣は漠然と思う。
「だけど生まれつき重い病気を抱えていてな。ナノポートによる治療でなんとか繋いでいたが、高校電依戦が近づいた時、容態がいよいよ深刻になった。本当なら電依戦もできない身体だったらしいが、それでも糸衣は無理を押して高校電依戦に出場して勝ち進んだ」
「そんな体調だったら、そもそも電依戦の大会になんて出られないはずじゃないですか?」
横から透子が疑問の言葉を挟む。結衣もそれに賛同するようにうなずいた。
ナノポートはインターネットアクセスや自動翻訳以外にユーザの安全装置としても機能しており、常にバイタルチェックを行っている。
ユーザに何か異常があれば、たとえゲーム中であっても即座にVR機能を無効にして、場合によっては医療機関へ自動で通報を行うのだ。
もしも死にそうな人間がいたならば、透子の言うようにゲームの大会に参加するなどと言っていられるような余裕はない。即座に病院送りになっているはずだ。
「糸衣のナノポートにはバイタルチェックを誤魔化すプログラムがインストールされていたらしい。ただそれは綴と青山、それに糸衣の三人だけの秘密だったんだとか」
涼の言葉に結衣は一瞬息が止まる。
今やナノポートのバイタルチェックは、人類にとっての生命線だ。実際、この機能によって命の危機を救われた人間は大勢いる。
だからこそ、その生命線を侵害するような行為は、現在では犯罪行為となってしまうことすらあるのだ。
「そして糸衣は高校電依戦の予選を突破して本戦への出場を決めた。だけどその頃になると今までの無理も祟ったのか、病気の具合はますます酷くなっていた。そこから先は流石に綴も青山も看過することはできなくなってな、二人とも糸衣を本戦に出させないことに決めたんだ。本戦当日、青山は一人で試合に出場して、綴は糸衣の自宅で彼女を監視していた……はずだった」
「はず?」
「何故か試合開始の時刻に糸衣が本戦会場に現れた。……糸衣は綴の監視を振り切って会場までやって来たんだ」
そう言ってから涼は一つ小さくため息をついた。
「結局、糸衣も青山もそのまま本戦を勝ち抜いて二人の決勝戦が行われた。結果は知っての通り、青山の優勝で終わった」
「……それから糸衣さんはどうなったんですか?」
嫌な予感を覚えながらも結衣は尋ねる。
「糸衣は高校電依戦の後、しばらくしてから死んじまったらしい。綴の奴はそれに責任を感じて神明高校を辞めてウチに転校してきたんだと」
「そう……だったんですか……」
そこでようやく結衣は、薫の言っていた言葉の意味をおぼろげながらにも理解することができた。
『秋名綴は人殺し』
そう言い放った時の彼女の目にドス黒い憎悪の色があったのを結衣は見ていた。
憎んでいるのだろう。恨んでいるのだろう。
むざむざとハルに逃げられて、彼女を大会に出場させてしまった綴を。
「糸衣さんは高校電依戦に出なければ助かったんですか?」
「さあな。そこまでは聞いてねえから分かんねえ」
尋ねる結衣にそう答えてから涼は空を仰ぎ見ると、
「あーあ。こんな話しちまったら流石にアイツに何されるか分かんねえな――!」
そう盛大に叫んでからやがて諦めたように笑う。
これまでの彼女の態度を鑑みるに、綴の過去について語ることはきっと彼本人から固く禁じられていたのだろう。
それでもこうして話をしてくれたのは、結衣のお願いが通じたからなのかもしれないが、何よりも彼が人殺しなどと後輩に吹聴されて耐えられなくなったからに違いない。
涼は「よっこいしょ」と言って立ち上がる。
「さてと、気分転換がてらにちょっと他の連中の様子を見てくる。お前らはここにいろ」
「一人で大丈夫ですか?」
慌てて結衣は声をかける。
この状況において一人での行動はかなり危険。そんなことは明らかだ。一人で行動だなんてあまりに無謀が過ぎると言うものだ。
「そんなこと言ってもお前らのクラスの敏捷性じゃオレに追いついて来れないだろ? 大丈夫だから、ちょっとの間だけここで大人しくしてろ」
そう微笑んで、男の姿をした涼はその大きな手で結衣の頭を撫でる。
「篠原先輩」
そんな彼女に透子が声をかけた。
いつもならば力強い真っ直ぐな彼女の瞳は、今はどこか緊張したように伏せられている。
唐突に名前を呼ばれて怪訝な顔をする涼を前に、しばらく口元を固く結んでいた透子だったがやがて、
「さっきは……すいませんでした」
そう小さく頭を下げた。
彼女のその想定外の言葉と行動にしばらく驚いたような顔をしていた涼。
だが、やがて吹き出すと快活な笑顔を浮かべる。
「もういいよ、オレも悪かった。じゃ、行ってくるわ」
そう言って透子の肩をポンと叩くと、涼はその場から駆けていく。心なしかその足取りは軽やかだった。
そんな彼女の後ろ姿を見送った結衣は、透子の方を振り返って微笑みかける。
「変わったね、透子」
少し前の彼女ならば、先輩相手でもそう簡単に謝るなんてことはしなかったかもしれない。
「別に……。ただどっかの誰かさんを見てたら、私も少しは協調性みたいなものを持ってもいいかなってそう思えただけよ」
「え、それ誰のこと?」
首をかしげる結衣。
そんな彼女を透子は信じられないというような目で見るが、やがてため息をつくと無言で巨樹の根に腰を下ろした。
一人突っ立っているのも何だか落ち着かなく、結衣もまた自然と透子の隣に座り込む。
念の為耳をそばだてながら辺りを警戒していたが、敵の気配は聞こえてこない。
聞こえるのは時折、樹の枝葉が風に揺れる音だけだった。
「ねえ、いい?」
場を支配する重苦しい沈黙に耐えかね、結衣は透子に声をかける。
「『静かにしてろ』……って言いたいところだけど、黙っていても息が詰まるだけだからね。何?」
「どうして糸衣さんは高校電依戦に執着したんだと思う?」
しばらく考えてみても分からなかった。
おそらく命の危険はハル本人も重々承知していたはずだ。なのに、そんな重い病を押してまで電依戦の大会に赴くだなんて普通は考えられない。
結衣は執着という言葉を使ったが、決して大袈裟ではないだろう。
「……私は糸衣さんの電依戦に関するデータは知っているけど人間性については全く知らない。そんな私の勝手な推測でもいい?」
その確認に結衣は透子の意見を促すよう無言でうなずく。それを見て透子は口を開いた。
「きっと糸衣さんにとって、電依戦は特別な何かだったの。実際、彼女の戦いぶりにはそれを感じさせるものがあった」
言って、透子は言葉を選ぶように続ける。
「私、実は糸衣さんが自分の寿命の限界に気づいていたんじゃないかって思うの。それでも高校生最高位の大会である高校電依戦で戦えるなら、きっと残りの命なんてさほど大切じゃなかったんじゃないかしら」
「……そんな考えある?」
思わず責めるような口調になってしまう。だが透子は揺るがない。
「少なくとも私はあり得ないとは思わない。もし私が糸衣さんと同じように余命幾ばくかという状況だったとしたら、生まれて初めて真剣に打ち込めるようになったもので自分という存在を遺したいと思う。そのためなら糸衣さんと同じように生命を賭してでも大会に出るだろうから」
「そっか……。ごめんね、ありがとう」
責めたことへの謝罪と疑問に答えてくれたことへの感謝の言葉をもって透子との会話を切り上げると、結衣はぎゅっと膝を抱きかかえる。そして誰にも聞かれぬよう一人小さくつぶやいた。
「理解できない」
自分は電依戦が好きだ。辛い思い出も悲しい思い出もあるけど、それでも大好きだ。
でももし自分がハルの立場だったとしても、電依戦のために命を捨てる気になんてなれない。
だって電依戦はどこまでリアルになったって所詮ゲームなのだ。
もしも自分の寿命が近いことを理解しているならば、ゲームのために寿命を縮めるなんてことはせず、家族や友人と僅かな時間を楽しんだほうがよほど有意義じゃないか。
自分には透子やハルと違って、どうしてもゲームのために命を捨てられる人間の気持ちが分からない。
でもそれってつまり、自分の好きは彼女たちに劣っているということなんだろうか。
そんな風に考えると、結衣はなんだか少し寂しい気持ちになった。
次回年内の10月か11月にまとめて更新となります