第10話 擬態
「仕方ねえ……行くぞ、渡瀬!」
「は、はい!」
涼に言われて、結衣は慌てて透子に続く。
正面と左右の三方向からの挟撃。咄嗟のことでロクな連携も取れなかったにしては、実に見事な攻撃だったと言えよう。
だが薫は襲いかかる剣と拳の連撃を杖で弾き返す。まるでこちらの攻撃をすべて読みきっているかのような動きだ。
一瞬、その目にあてがわれている布が実は透けているのではないかとも思ったが、薫の顔はこちらを向いてすらいない。それでは一体、彼女はどうやって自分たちの攻撃を見ていると言うのだろうか?
薫の電依アイダ――そのクラスはメイヴン。どちらかといえば遠距離タイプのスキルプログラムをメインに戦う、本来は徒手格闘には向いていないはずのクラスだ。
だが彼女は自分たち三人を相手に対等以上に近接戦を演じている。もちろん連戦続きで少なからず結衣たちに疲労があったことも影響していたが、それだけ彼女たちとの間に実力差があるということなのだろう。
「残念だよ、真島さん。もう少し冷静なプレイヤーだと思っていたのに、まさか実力差も見極められないような猪突猛進の猪武者だったとはね」
まぶたを開け続けることすら困難なほど激しい打ち合いの中で、落胆と嘲りがないまぜになった薫の声が聞こえる。
彼女の言う通り、この特攻は失敗だったのではないか。やはりここは一旦引くべきではないのだろうか。
結衣が一度撤退する算段について考え始めたその瞬間、突如、薫が弾かれたように大きく飛び退る。
結衣たちから距離を取る薫。
先程まで余裕の笑みを浮かべていた彼女だったが、その顔からは余裕の色が完全に失せており、赤色の口元をきつく結んでいた。
一方、一体何が起きたのか理解できず、結衣は目をぱちくりとさせる。
(と、とりあえず向こうから引いてくれたのは助かったけど、なんで突然引いたんだろう?)
少なくとも薫は、つい先程まで自分たちの攻撃をまるで子供をあしらうかのようにして防いでいたはずだ。それが突然、しかも何やら慌てたように退いてしまった。
注意深く彼女の様子を観察する結衣は、あることに気づいて「あっ」と小さく驚きの声を上げる。
薫が抑えている腕には、いつの間にか鮮血色の小さな穴が空いていた。
「やっぱり見えないところからの攻撃は防げないようね」
不意に隣から声が聞こえてくる。そちらに目をやると、そこには不敵な笑みを浮かべた透子がいた。
「み、見えないところからの攻撃……?」
結衣の口から掠れ声が出る。
まるで透子は、薫がどうやって自分たちの動きを把握しているのか知っているかのような口ぶりだ。
「あなたのそれ……目を塞いでいるのに、どうやって見ているのか不思議だったのよね」
薫に向かって指をさしてそう言い放つ透子。ふと気づけば、その声はいつもどおりの冷静なものに戻っていた。
「空を飛んでいる鳥……あなたのでしょ」
「鳥?」
彼女の言葉に結衣は空を見上げてみる。確かに空には先程から二羽の黒い鳥が飛んでいる。
だが、果たしてあの鳥が何か関係があるのだろうか。
「思い出して結衣。この電依戦フィールドに来てからあの鳥を見るまで、他に一匹でも動物を見かけた?」
「あ」
結衣の口から短く言葉が漏れる。
確かに。透子の言う通り、この電依戦フィールドでプレイヤー以外の生き物を見たのはあの鳥が初めてだ。
(そうか……この電依戦フィールドには動物がいなかったんだ……!)
「多分あの鳥は青山が用意したプログラムで、奴はあの鳥の目から私たちの動きを見ていたんだと思う」
「見ていた……? そんなことできんのかよ?」
「できますよ。ナノポートを介して視神経に信号を送るなんて、今日日珍しい技術ではありませんから。プログラムの目が見た光景を自分に送ることだって難しくない」
そう学校の教師のように涼の疑問に答える透子。
そんな彼女の言葉を聞きながら結衣は思い返す。そう言えばあの鳥を最初に見たのは、確かロケーション・ディスクロージャーのタイミング。確か亜紀もあの鳥の鳴き声に怯えていたか。
(言われてみれば気づくことばかりだ……!)
結衣は唇を噛み締めて――それから拳をぎゅっと握りしめる。
自分たちが見ていた物は、何もかもすべて同じものだった。
にも関わらず透子は気づいて、自分は気づかなかった。
そのことが悔しかったのだ。
「まあ確証はなかったんだけどね……。もし私の予想通りなら、あの鳥の視界から見えない攻撃なら当たるんじゃないかと思ったの」
そう言うと透子はその手に握っている丸い物体を見せる。野球ボールサイズほどのそれには、小さな砲身がついていた。
「銃……?」
「パームピストルって言ってね、日本じゃ昔は握り鉄砲なんて呼ばれてたらしいけどその名の通り、こうして手の中で握り込めば撃てるのよ。こいつを剣を持っていない方の手に隠し持って、あの鳥の視界の死角になるような位置から青山に向けて撃った」
そう若干早口気味に語りながら、透子はパームピストルを握り込むような仕草を見せる。
「だけど残念なことに、このプログラムは射程距離が短くてね。だからどうしても青山に怪しまれないように近づく必要があった。それが彼女の言った猪突猛進の正体ってわけ」
まるで手品師が自分の手品のネタをバラすような言葉を聞いて、結衣はようやくこれまでの透子の行動の意味を悟る。
薫と出会った時から明らかに見て取れた余裕のない態度、やぶれかぶれとも取れる無謀な特攻……。
おかしいと思っていたそれらはすべて薫を油断させるための透子の演技であり、上空からの視線をあざむくためのものだったのだ。
でもそれならそうと――、
「せめて私たちには教えておいてよ!」
そんな当然の苦情が口をついて出てしまう。事前に作戦を知っていれば突然の透子の奇妙な変化にも困惑する必要などなかったのだ。
しかしそんな結衣の恨み言にも、透子は悪びれた様子なく言う。
「敵を騙すには味方からって言うでしょ。それに青山薫相手に、まったく興奮してなかったと言えば嘘になるかもね」
よく見れば彼女の頬は未だ微かに赤く染まっている。普段は見ることがない彼女の表情に密かに心臓が跳ねる結衣だったが、そこでもう一つあることに気がつく。
「いやいや……それなら、あの飛んでる鳥をなんとかすればよかったんじゃないの?」
そうすれば少なくとも理由は分からないが両目を塞いでいる薫には、自分たちの姿を見ることなんてできないはずなのに。
「そんなことをしたら青山は別の手を打ってきて、彼女にダメージを与えることができなかったかもしれないでしょ」
それに、と区切ると透子は薫に向かって再び指を突きつける。
「ハメてやりたかったのよ。誰にも負けないって思い込んでるそこの勘違い女をね」
(すごい……!)
透子から放たれるその気迫に圧されながらも、結衣は自分の心臓が早鐘を打つのを感じる。
やっぱり透子は強い。
彼女さえいれば、たとえ相手が高校電依戦優勝者であっても勝てるんじゃないだろうか。
だがそんな結衣の期待をかき消すかのように、突如フィールドに哄笑と拍手が響き渡る。驚いてそちらに視線を向けると、薫が一人愉快げに笑っていた。
「ごめんなさい、真島さん。さっきの発言は撤回するわ。やっぱりあなたは噂通り……ううん、聞きしに勝るプレイヤーだったみたい」
「あなたの試合映像は何度も見ましたから。青山さん」
「そうか、もしかして私のファン!」
「いいえ、私は渡瀬葵さんのファンです」
「なあんだ、あっちか」
つまらなさそうに言う薫だったが、すぐさま口角を上げる。
「まあどうやら、あなた相手に今の状態のまま戦うのは厳しいらしい。使わせてもらうよ」
その言葉と同時に、薫の手が素早く目を覆う布へと伸びる。
「今すぐ攻撃!」
先程の通信とは違い、直接言い放たれた慌てるような透子の言葉に、結衣と涼はその理由を問うこともなく薫へとスキルプログラムを放っていた。
翡翠と紺碧、それに赤橙色の光。それらが一斉に薫へと襲いかかり、轟音と共に土煙を舞い上げる。
「やったか?」
そう興奮気味に前のめりになる涼に、
「先輩……そう言う時は大抵やってないんですよ……」
透子は諦めたようにつぶやく。
その言葉の通り、土煙が晴れたその先には薫の姿があった。その様子は先程と変わらず、ダメージを負っている気配はない。しかし両目の禁は解かれており、爛々と輝く金色の目がこちらを見つめていた。
その様子に苦い表情を見せる透子。彼女の顔に滲んだ焦燥の感情は、今度こそ本物のような気がした。
「分かるよ、真島さん。あなたはこの目を見ることなく私を倒したかったのよね。でも残念ながらそれはもう無理」
そう言って薫はその金の双眸をそっと細めた。