第9話 青山薫
「青山薫だぁ……?」
亜紀の口から出たその名前に、涼はまるで怪しい霊感商法の壺でも見るかのような視線を彼に向ける。
「バカバカしい。少なくとも会場に奴の姿はなかった。奴がこの大会に参加してるわけねーだろ。……そんな嘘言って、お前ひょっとして何か企んでんのか?」
そう言って亜紀の眼前に拳を向ける涼に、彼は慌てて両手を振った。
「嘘じゃない! 本当だ! 現に俺の仲間も全員奴にやられたんだ」
「あの、」
ゲームの中とは言え社会人の男が女子高校生に脅されているというなんとも物哀しい光景を見かねて、結衣が涼を制止する。
「この人の言ってること嘘じゃないと思うんです。こんなに必死だし……」
「演技かもしれねーだろ」
その可能性は否めない。だがそれでも、結衣にはある一つの確証があった。
「実は私、今日この会場に来る途中で会ったんです。自分のことを青山だって名乗る人に。それでその人、実際に会場にも現れて……」
結衣のその言葉に透子と涼は驚いたような顔を向ける。
「あの会場にそれらしい人物はいなかったはずだけど――」
口に手を当てながら思案していた透子だったが、やがて一つの答えを導き出す。
「まさかあのフードを深めに被った?」
「うん、そう」
「お前なんでもっと早くそれ言わねーんだ?」
「いや、言おうと思ったら戦闘になって言いそびれちゃって……」
それに青山の存在が、ここまで彼女たちを動揺させるようなものだとは思わなかったのだ。
涼は呆れたように深いため息をついてから口を開く。
「特徴は?」
「え?」
「自分のこと青山だって名乗ったそいつの特徴だよ」
「えーと……」
結衣は記憶を辿り、カフェで出会った少女の姿を思い出す。
長くて綺麗な黒髪に整った顔。ほっそりとした白い身体。端正な顔立ち――……。結衣の口から出るそれらの言葉に涼の顔つきは神妙なものになる。
「……本物かもな」
ぽつりとつぶやかれた彼女の言葉に、辺りは水を打ったように静かになる。
だが一方で、いまいち事の重大さが掴めない結衣は一人首をかしげた。
「あの、そんなにやばい人なんですか? その青山薫……さんっていうのは」
「この子は電依戦をやってて青山薫を知らないのか!?」
亜紀が信じられないというような目線を結衣に向ける。涼はやれやれと首を振った。
「こいつはちょっと変なとこが抜けてんだよ。真島、説明してやれ」
彼女の指示に透子は小さくうなずいてから口を開く。
「一昨年と去年の高校電依戦で、あるプレイヤーが二年連続で優勝したの。そのプレイヤーの名前が青山薫。今日本で一番強いと言われている高校生よ」
「青山さんが一昨年と去年の高校電依戦優勝者……?」
結衣は驚きに眉を寄せる。
確かに薫本人、電依戦をやっているというようなことは言っていた。
だがこの大会に参加するという話同様、自分が高校電依戦の優勝者であるようなことはまったく言っていなかったはずだ。
「今年の高校電王戦も奴が優勝すれば、渡瀬葵以来の高校電依戦三連覇ってことになる」
涼の口から出てきた姉の名前に思わず結衣は口元を強く結ぶ。
そうだ、高校電依戦を二連覇しているならば、青山薫は姉に比肩する実力の持ち主である可能性だってあるのだ。
透子は涼の方を振り返る。
「フードで自分の顔を隠していたのは、もし青山薫が参加しているとバレれば自分以外のプレイヤーから総攻撃を受けるからですかね?」
「だろうな。それを避けたかったんだろ」
「この大会の運営であるRSIは当然青山の存在を知っていたんでしょうね。知っていて隠していた。他のプレイヤーが青山の存在を知っていれば全員が協力して彼女を追い詰める。プレイヤーの不利になるようなことは言わないのが運営の基本ですからね。フードのこともそれでお咎めなしだったってわけだ」
「さっさと気づくべきだった」と、透子は忌々しそうな顔をしかめる。
その時、『ポーン』短い音が結衣たちの耳朶に触れる。まるで時報のように連続する音。これは――、
「そろそろロケーション・ディスクロージャーの時間か」
自分のターミナルを眺め、涼がぼそりとつぶやく。
二十分ごとに行われる、各チームの――正確にはチームリーダーの位置情報開示を告げるカウントダウンだった。
その音とは別に、何やらもう一つ音が聞こえてくる。何かの鳴き声の様だがこれは――
「鳥……?」
結衣は空を見上げる。いつの間にか二羽の黒い鳥が樹々の間を気持ちよさそうに飛んでいた。
「ひっ!!」
鳥の鳴き声に突如亜紀が身をすくませる。
なんだ? あのなんの変哲もない鳥が一体どうしたと言うんだろう?
結衣がそんな疑問を抱いたその瞬間――
ポーン。
再びフィールドに鳴り響くロケーション・ディスクロージャーの音。その瞬間、視界端のマップに三つの黄色い点が表示された。
一つは自分たち、もう一つは亜紀、それじゃ残りの一つは――、
「あびっ!」
突然、亜紀が奇妙な声を上げる。
何事かとそちらに顔を向けた結衣たちは、目の前のあまりにも衝撃的な光景に思わず「あっ!」と小さな悲鳴を漏らした。
亜紀の頭には金属の棒が突き刺さっていた。
金属棒は亜紀の頭から腹を貫通しており、まるで彼の身体を地面に縫いつけるようにしている。
亜紀の体力は全損し、身体は光の粒子となって宙に消える。それと同時に黄色い点がマップ上から一つ消えた。
あまりに唐突に起きたその出来事に、しばらく唖然としていたプレイヤーたち。だが程なくして全員がほぼ同時に我に返り、大きく飛び退く。
気づいたのだ。
急いでこの場から離れなければ、次にあの男と同じ目に遭うのは自分かもしれないと。
距離を取ったことで結衣たちは金属棒の全容を把握することができた。
二メートルほどの長さのそれは白銀に煌めいており、色鮮やかな宝石がいくつも埋め込まれている。
金属棒の先端はぐにゃりと曲がっており、まるで魔法使いの杖のようだった。
杖の先端には、くつろぐようにして一人の少女が腰掛けている。
ウェーブのかかった絹糸のような金色の髪。白磁のような白い肌にはシミ一つない。
彼女の両目はまるで目隠しをしているかのように赤と金色で描かれた幾何学模様の長い布に覆われており、布はだらりと地面まで垂れている。
少女の顔がこちらを見下ろす。
「あら、早速本命が見つかったみたい」
「青山……薫……!」
その姿を見咎めた透子は深く息を呑む。
「この電依が青山さん……?」
結衣は喉を鳴らす。ステータス画面には『アイダ』と表示されていた。
「はじめまして、青南高校電依部のみなさん」
そう言って薫は杖の上から悠然と地面に降り立つ。
金糸の縫い込まれた赤いマントがふわりとめくれ、中に着込んだ黒いジャケットがあらわになった。
薫の顔が結衣の方を向く。
「さっきは黙っていてごめんなさい、渡瀬さん」
「……カフェではなんで黙っていたんですか?」
「わざわざ私が出るなんて言ってゲーム開始前に警戒させる必要もないでしょう。まああなたは私のことを知らなかったみたいだけど」
責めるように尋ねる結衣に、薫はつまらない質問だというように答える。
「私は出るだけで警戒されるから、運営に便宜を図ってもらってああやってパーカーを着込んで遅れて会場入りしたわけ」
薫が人さし指をわずかに上げると杖が独りでに地面から浮かび上がり、その小さな手に収まった。
「だって私が参加するって知られていたら、みんな絶望しちゃうじゃない。私が相手じゃ誰も勝てないんだもの」
そう薫が嘯いたその瞬間、短い二つの大きな音が辺りに響き渡る。
一つは透子の撃った銃の発砲音。そしてもう一つは、薫の振るった杖によって弾丸が弾かれた金属音だった。
「透子……!?」
不用意とも言えるような突然の彼女の行動に、結衣は驚き目を見開く。
心のどこかで期待していたのかもしれない。彼女はどんな時でも常に冷静で、自分を導いてくれるに違いないと。
だけど今の彼女は違った。その黒い宝石のような瞳を燦爛と輝かせ、頬を興奮に紅く染めている。
そんな透子の様子を見て薫はクスリと小さく笑う。
「余裕がないのね、スクワイア……いいえ真島透子さん。私と出会ってしまったことを不幸だと思っているのかしら? でも、だとしたらそれが正解。私の目の前に立ったプレイヤーは何人たりとも私に勝つことはできないのだから」
「逆よ、とてもラッキーだと思って。日本最強の高校生電依戦プレイヤーであるあなたさえ倒すことができれば、私は高校電依戦優勝に大きく近づくことができる」
薫の冷ややかな声に透子は興奮を隠すことなく返す。
そんな透子の傍らで密かに彼女の変化に驚く結衣だったが、もう一つ驚いていることがあった。
(目を塞いでいて、今の透子の攻撃をどうやって防いだんだろう……)
薫の電依の両目は布で覆い隠されている。何故あんなことをしているのかという疑問はひとまず置いておくとして、あの状態ではそもそも前を見ること自体が困難なはずだ。
(まさか……!)
結衣は慌てて周囲を見渡す。
――まさか薫の仲間が潜んでいて、逐一自分たちの行動を彼女に伝えているんじゃないか?
そんな考えが脳裏をよぎってしまったのだ。
だが辺りにそれらしい敵の気配はない。
では一体どうやって、と困惑の表情を浮かべる結衣に薫が声をかける。
「私の仲間ならもういないわよ。彼らにはゲーム開始と同時にリタイアしてもらったから」
「リタイア?」
「彼らはこの大会に参加するための人数合わせ。大会が始まってしまえば、後は別にいなくてもいいの。だってこの大会に参加している連中を一人で皆殺しにすることくらい、私には容易いんだから」
プロのプレイヤーも参加しているような大会でそのような発言。普通ならば一笑に付することができたのかもしれない。
だが不思議と結衣には、それが大言壮語であるようには思えなかった。
それだけ目の前にいる青山薫という女は、言いようのない底しれぬ気配を漂わせていたのだ。
『結衣、篠原先輩、聞こえますか?』
そんな結衣の不安をかき消すかのように脳内に声が響き渡る。透子からの通信だ。
『一斉に攻撃を仕掛けます。全員、タイミングを合わせて』
『お、おう』
『わ、分かった……』
その時、喉を鳴らして低く笑う声が聞こえる。そちらに顔を向けると、薫が口元を抑えて笑っていた。
「揃って私を叩く相談は済んだ? いいのよ、別に。何人でかかって来ても変わらないのだから」
どうやらこちらの作戦は完全に筒抜けだったらしい。
(どうする……?)
このまま攻撃を仕掛けても、薫には通じないんじゃないだろうか。そんな考えが結衣の頭をよぎる。
――もう一度透子と作戦を練り直すべきか?
そんなことを考えていたその時、
「くっ……!」
透子は歯噛みすると、結衣たちを置いて、止める間もなく一人で薫へと飛びかかって行ってしまった。その突然の行動に、結衣と涼は呆気にとられてしまう。
(透子……やっぱり青山さんが現れてからいつもと違う……)
普段の冷静な彼女とは違う無謀な特攻。
それはやはり薫が透子の目的とする場所にいる存在だからだろうか。
焦りを見せる透子に困惑すると同時に、結衣はこのまま彼女について行っていいものか一瞬躊躇ってしまう。
「仕方ねえ……行くぞ、渡瀬!」
「は、はい!」
涼に言われて、結衣は慌てて透子に続く。