第4話 パンケーキの君
六月二十日。日曜日。RSI電依戦大会当日。
東京駅を出た結衣は、暖かな陽の光を受けて大きく伸びをする。
日本の首都の名を冠した駅の周辺は、休みの日ということもあってどこを見ても人でいっぱいだった。
大会の会場となるRSIセキュアコーポレーションは、駅から歩いて十分程度の場所にある。
早速会場に向かってもいいのだが、大会開始まで時間的にはまだだいぶ余裕がある。
先に会場入りしていてもいいのだが、おそらく青南高校のメンバーはまだ誰も来ていないだろう。
一応部活動の一環ということで今日の結衣は制服姿だ。
縁もゆかりもない会社に高校生が制服姿で一人いるというのは、さぞ居心地が悪いだろうし、どこかで時間を潰していた方がいいのかもしれない。
(電依戦の大会中はご飯食べられないから、先にお昼食べておかないといけないよね)
どこか近くのお店にでも寄って食事にしようかと、結衣はターミナルからマップアプリを立ち上げる。
流石都会と言うべきか、周辺にはあまりに多くの飲食店が立ち並んでいた。
そう言えばクラスメイトが話していたが、この辺りには確かパンケーキで有名なカフェがあったはずだ。以前透子にその話をしたら『くだらない』と一蹴されてしまったが……。
折角東京に出てきたのだから、たまには年相応の女の子らしいものでも食べよう。そう考えて結衣は早速、クラスメイトが噂していたカフェを探し始めた。
* * *
噂のカフェはかなりの盛況ぶりだった。客は店の外まで溢れており、店外の椅子には入店を待つ人々が座っている。
日曜日のこの時間に人気の店にやってくれば、こうなる。そんな当たり前のことに、結衣は来てからようやく気づいた。
(間に合うかなこれ……)
並んで食べてからで大会に間に合うかどうか不安になる。一瞬、他の店に行こうとも考えたが今から店を探している余裕はない。
――それに何より、折角ここまで来たのだから是非食べたい!
そんな強い思いが通じたのか、客の回転は思ったよりも速く、並んでから十分ほどで結衣は席へと案内された。
急いで食べればなんとか間に合いそうだと、結衣は電子メニューを開く。
この店の一押しは、山のような量のホイップクリームといちごジャムの乗ったパンケーキだ。クリームの程よい甘さといちごジャムの酸味が絶妙に組み合わさって、実に美味らしい。
結衣はそれを一つと、ブラックコーヒーを一杯注文する。
「ちょっと注文内容、大人っぽくない?」などと心の中で感動しつつも、間もなく運ばれてきたコーヒーにはしっかりと砂糖とミルクを入れる。
頼んでおいてなんだけど、苦いのはやっぱりちょっと苦手だ。透子なら平然と飲むのだろうけど。
やがて注文したパンケーキがテーブルの上に置かれる。
パンケーキの上には、親の仇かというくらいの量のホイップクリームと真っ赤なジャムが盛られていた。
流石にこの量を電依戦前に食べるのは厳しいだろうか。ちょっとチョイスを失敗しちゃったかな。
そんなことを考えながら、ふと何気なく隣のテーブルへ視線を向けた結衣は驚愕する。
右隣のテーブルには、結衣が注文した山盛りホイップクリームのパンケーキと同じもの、その皿がテーブルの上に所狭しと並べられていたのだ。
大量の皿の前には、黒いパーカーを羽織った人影が座っている。
フードのせいで顔はよく見えなかったが、垂れる黒い長髪とスカートから覗く白くほっそりとした脚から、その人影が女の子であることは分かった。
細身の彼女は目の前に並んだ大量のパンケーキをまるでフードファイターの如く、次々と平らげていく。
同席している人間はいない。テーブルには少女一人だった。
驚くべきことに、どうやら彼女はすべてのパンケーキを自分一人で食べるつもりのようだ。
(え、ええ~……)
その光景に結衣は思わず目が離せなくなってしまう。一体全体その細い身体のどこに、その量のパンケーキが入ると言うのだろう。
そんなことを考えている間にもまた一枚、もう一枚と皿が空いていく。
そのペースが衰えることはない。
若干引き気味の店員が追加の皿を運んでくる。なんだか見ているだけでお腹いっぱいになってしまいそうな光景だ。
果たしてどれだけ食べるつもりなんだろう。
いつしか結衣が興味深く少女の食事風景を眺めていたその時――、
「何? そんなに私の食事が珍しい?」
不機嫌そうな声が聞こえてくる。
その声に目線を上げると、いつの間にやら少女が怪訝な顔をしてこちらを見ていた。
年齢は結衣と同じかそれより少し上くらいだろうか。端正な顔の美人だったが、黒い前髪の向こうから冷たく刺すような目を覗かせている。その目はどこか透子に似ているような気もした。
眉をひそめる少女に結衣は後悔する。
無理もない。見ず知らずの人間にまじまじと食事しているところを見られていたら、それは気分がよくないだろう。
「あ、えーっと……すいません。たくさん食べてたのでつい……」
そう言ってから結衣は再び激しく後悔する。
なんだよ、『たくさん食べてたので』って……それこそ失礼じゃないか。
そんな苦い顔をしながら苦悶する結衣をしばらく睨んでいた少女だったが、やがてその硬い表情を崩してニコリと笑う。
その歳不相応の妖艶な笑顔に、結衣の心臓は高鳴った。
「なーんて冗談」
「え?」
「見られることは慣れてるよ。私たくさん食べるしね」
そう言うと少女はコーヒカップを手に取って、優雅に傾ける。その所作からは気品のようなものが感じられた。
「ほ、本当にすいませんでした……」
「だからいいって。うーん、変な絡み方したのが悪かったかな……」
恐縮しながら謝る結衣に少女はやりにくそうに頭をかく。
「こうやって声をかけたのは、同じゲームをやっているあなたと話をしてみたかったからなんだよ、渡瀬結衣さん」
「あ、私の名前……。えっと、同じゲームってことは……?」
「私も電依戦プレイヤーなの」
「そうなんですか?」
結衣は驚きの声を上げる。
たまたまカフェで隣同士になった人が電依戦プレイヤー。そんな偶然もあるのかと感心してしまう。
「ふふ……私も驚いているよ。私がご飯を食べていたら隣の席にあなたが来るんだもの」
「で、でもでも、何で私のことなんかを知ってたんですか?」
電依戦の中学生大会で優勝したことのある透子ならともかく、自分はそこまで有名な電依戦プレイヤーではないはずなのだが。
「先月の青南高校と堺高校の親善試合。実は私、アレを見てたの」
「ああ、それで!」
青南高校と堺高校の親善試合とは、先月の末に行われた学校間での一年生同士の交流戦のことだ。
結衣は透子と共にその試合に参加し、勝利を収めていた。
「実のところ、最後の方はあなたたちが負けちゃうかもしれないって思ってたんだけど、まさかあの状況から勝つなんて思いもよらなかったよ」
「あれは透子……友人が助けてくれたから勝てたんです」
あの試合は、決して自分一人の力では勝てなかった。もし一人で勝てと言われても絶対無理だろう。
「ところで今日は一人? もしかして、今日も何か大会があったりするの?」
「そうなんですよ。実は、この後もRSIの方に行く用事があって――」
そこまで言いさした結衣は自分のナノポートの時計を確認したところで、はたと気づく。
いつの間にか大会開始まで、あと十五分と迫っている。
少女と話をしていてすっかり忘れていた。
「やばい! もう始まっちゃう!」
結衣は慌ててパンケーキを平らげると、コーヒーを口に流し込む。
コーヒーはまだ少し熱く、喉が焼かれそうな思いをしたがそんな泣き言を言っている暇はない。荷物をまとめて、急いで席から立ち上がる。
「すいません、もう行かないと!」
「あ、そうなの? 残念」
「ごめんなさい! 失礼します!」
そう言ってお辞儀をすると、結衣は慌ててお会計へと向かおうとする。だが、そこでピタリと彼女の足が止まった。
「どしたん? 行かないの?」
「あの……そう言えば私、まだ名前を聞いてなくて……。もしよければ教えてもらえませんか?」
ここで偶然出会えたのも何かの縁だろうし、同じゲームをしているのだからいずれまたどこかで会う機会もあるかもしれない。
結衣の質問に少女は何かを考えていた様子だったが、やがて自分の名前を告げる。
「青山だよ。大会頑張ってね」
そう言って青山は柔らかく微笑むと、手をひらひらとさせて結衣を見送った。
* * *
結衣が会場であるRSIセキュアコーポレーションの会社ロビーに駆け込むと、そこには恐ろしい顔をして待ち構えている透子の姿があった。
となりにいる涼が若干引いているくらいには、色々と、かなり怖かった。
息を切らして二人の元へと駆け寄る結衣を透子は冷たい目で見下ろす。
「遅いご到着ね」
「ご、ごめんなさい……」
「受付は三人揃ってないとできないって散々言ったでしょ」
「い、いやあ、それがね……」
結衣が何か言い訳はないものかと考えを巡らせていたその時――、
「右の頬に生クリームがついてるわよ」
「え、嘘!?」
――しまった! 急いで食べてきたせいか?
結衣は慌てて自分の頬に触れて確認する。だが、指に生クリームはついていなかった。
「あ、あれ?」
「嘘よ。ふと、あなたが行きたがってたカフェがこの近くにあったのを思い出して、まさかと思ったんだけど……どうやら正解だったみたいね」
「あ、うう……」
カマをかけられたことに気づいて、結衣は言葉にならないような小さな悲鳴を上げる。透子相手に隠し通そうなどというのは甘かったか。
目を泳がせながら冷や汗を流す結衣を透子はじっとりとした目で睨みつける。
「大層気合の入ったお昼ご飯だったみたいだけど、今日は期待してもいいってことかしら?」
「が、がんばります……」
「まあまあ、ギリギリ間に合ったんだからいいじゃねえか」
二人の様子を見ていた涼が苦笑しながら透子をなだめる。
「それはそうですけど」
「本当にごめんなさい……」
最早言い逃れは不可能と、結衣はすっかり小さくなってしまう。そんな彼女を横目に、透子は深くため息をついた。
「もういいわよ。これから試合だっていうのに、そんなに萎縮されてたら困るから。はい、この話はここでおしまい」
そう言って透子は両手を一度叩く。もうこれ以上、結衣を責めても意味など無いと考えたのだろう。
「ありがとう、透子」
「もう終わりだって言ったでしょ。それより受付に行くわよ」
透子に言われて受付に向かおうとしたところで、結衣はこの場に一人いないことに気づく。
「あれ? 秋名先輩は?」
今回、大会の参加手続きをしてくれた綴の姿がどこにもないのだ。もしかして彼も遅刻だろうか?
そんなことを考えながら辺りを見渡していると、結衣の背後から涼が声をかける。
「綴の奴は用事があるから後から来るってさ。まあオレらが揃ってりゃ参加できるみてえだし、問題ねえよ」
なあんだと結衣は少しがっかりする。まあ彼に限って言えば遅刻なんてあり得ない話だった。