第3話 面倒臭い女
その日の夜、結衣は透子の家にいた。家と言っても学生寮で、透子はここに一人で暮らしている。
約一ヶ月前に行われた堺高校との親善試合をきっかけにもっと強くなりたいと考えた結衣は、以来金曜日になると、透子の家に来て泊りがけで電依戦の練習をしているのだ。
つまり結衣がこうしてこの場所にいるのは電依戦の練習のためなのだが、何故か今この瞬間彼女はキッチンに立っていた。目の前には、火にかけられたフライパンと鍋が並べられている。
理由は単純明快。
結衣が料理を作らなければ本日の真島家の夕食はインスタント食品になってしまい、彼女もその巻き添えを喰らってしまうからだ。
初めて透子の家に泊まりに来た一週間前のこと、彼女は両手にカップ麺を持って結衣に尋ねた。
『結衣はスタンダードなやつとカレー味、どっちがいい? もしかしてシーフード? だとしたら残念、シーフードは残り一個しかないの。そして今日の私はシーフード気分なの』
いきなりこんなことを言われて最初は何のことだか分からなかった結衣だったが、どうやら透子は夕食の話をしているらしかった。
そして更に詳しく話を聞いたところ、透子は一人暮らしを始めてから一度も自炊をしたことがないらしい。昼は学校の食堂で済ませ、夜は専らインスタント食品かお菓子で腹を満たしているとのことだった。
しかしそれでは明らかに栄養バランスが偏ってしまうし、結衣としてはちゃんとした夕食が食べたい。そこで仕方無しにと、結衣が泊まる日だけは、彼女が料理を作ることになったわけだ。
(それにしても……)
インスタント食品を差し出して滔々と語る透子のことを思い出して結衣は思わず吹き出してしまう。まさか『シーフード気分』なんて言葉が彼女の口から出るとは思わなかった。
きっと透子のあの姿をクラスメイトたちが知ったら、みんなもう少し彼女に対する畏怖を捨ててくれることだろう。真島透子という女は振る舞いで何かと損をしすぎなのだ。
「何を笑ってるの?」
不意に背後から訝しむような声が聞こえる。振り返ると料理の様子を見に来た透子の姿があった。
「んー何でもない」
これで透子のことを笑っていたなんて知られたら大変なことになりそうだと、結衣は何でもないような顔をして見せる。
――やがて夕食が完成した。
今日のメニューはふかふかの白いご飯とあんかけ野菜炒め、それに卵スープだ。
結衣としては手前味噌ながら渾身の出来である。かなり美味しく作れた自信はあるし、それは疑うべくもない。
だが問題は透子の感想だ。プログラムは褒めてもらえなくても、せめて料理くらいは褒めて欲しい。
その思いで、結衣はそっと透子の様子を窺う。
「いただきます」
短く言って料理を口に運ぶ透子。
さあ、果たして味の感想はどう? と結衣は固唾を呑んで見守る。
また一口料理を食べる。
美味しい? 不味い?
更にもう一口。
感想は?
そしてもう一口。
どうなの……?
だが透子は何も言わず、眉一つ動かすこと無く、ただ淡々と料理を口に運ぶだけだ。
結衣の期待の眼差しなど、まったくこれっぽっちも気づいていないらしい。
いい加減痺れを切らした結衣は、やむを得ず自分から尋ねることにする。
「ねえ透子。料理、どうかな?」
「……どうって?」
「美味しいとか不味いとか感想」
「そんなのいる?」
まさか料理の感想を求めて、「そんなのいる?」と返されるとは思ってもいなかった結衣は言葉もなくうなだれてしまう。
(いやいるよ……美味しいって言ってほしいし、味の好みが分からないと次から何作ればいいか分からないじゃん……)
そんな結衣の様子をしばらく見つめていた透子だったが、やがて悔しそうに一言つぶやく。
「美味しいわよ……」
言葉と噛み合っていない透子の反応だったが、結衣はすぐさまピンとくる。
(ああ、私の作った料理が美味しかったのが悔しかったんだ)
安堵すると同時にやっぱりこいつ面倒臭い女だなと結衣は思う。
夕食を終えた結衣は、キッチンでスポンジ片手に皿を洗う。
せめて洗い物くらいは流石に透子がしてくれるものかなと思っていたが、どうもそのつもりも無いらしい。
夕食をインスタント食品で済ませようと考えるくらいだから、そもそも食後に洗い物をするという発想が無かったのかもしれない。
(これは将来旦那さんになる人は大変だなぁ)
そんな益体もないことを考えながら洗い物をしていた結衣は、ふと昼間のことを思い出すと同時に透子はあの件についてどう考えているのだろうかと気になる。
結衣はリビングでくつろぐ彼女へと声をかける。
「ねえ透子」
「何? また料理の感想?」
「違うよ。部長、何であんなに怒ったんだと思う?」
「さあ」
そのあまりにも短い、にべもない返事に結衣は思わずズッコケそうになる。
「さあって……透子は興味ないの?」
「私が興味あるのは電依戦に関係あることだけだもの。秋名先輩があそこまで怒った理由が私の電依戦に関係してくるなら話は別だけど、今のところ一ミリも関係ないでしょ」
「そりゃ確かにそうだけど……」
言いさして結衣は言葉を飲み込む。
相変わらずドライな気がするが、ひょっとすると正しいのは透子なのかもしれない。
涼も言っていたように、他人の込み入った事情に気安く立ち入るべきではないのだ。
(変な荒波も立てたくないし、私もこれ以上気にしないようにするのが吉か……)
一つため息をつくと、結衣は再び洗い物に集中するのだった。